第四話 (三)
(三)
城下から呼んだという仕立て屋は五十代と思しき女性だった。
体のラインに沿ったチャコールグレーのスーツを着て、栗色の髪は隙なく夜会巻きにまとめられている。
「この方が閣下の奥様ですか」
「ミセス・マイヤー。妻のアイリスだ」
「初めまして、マイヤー夫人。本日はよろしくお願いします」
マルティナ・フォン・マイヤーと名乗った彼女は、アイリスを見るなり目がギラリと輝いた。
「まぁ、お召し物が映える背丈で羨ましいですわ」
「……ありがとうございます」
背の高さを賞賛されたことはない。素直に誉め言葉として受け止めていいのか一瞬だけ戸惑ってしまった。
アイリスはもじもじと指先を動かしつつ、マルティナを窺う。
「奥様、不躾ながらお聞きしますがこのお召し物はどちらで……?」
「あ、これは……あの、自分で」
今アイリスが着ているのは胸下で切り替えのあるエンパイアラインのデイドレスだ。このデザインで仕立てたのはクラシカルなデザインが好きでもあり、動きやすいからという理由からでもあった。
「さようでございますか。素晴らしい腕前でございますね」
「本職の方にそう言っていただけると自信になりますわ」
「ドレスのデザインはもうお決まりですか? 最新の流行の型もご用意がございますが」
「アイゼンガルドの気候や暮らしに合った生地で作っていただければ十分です」
「かしこまりました。ではまず生地の見本からお見せしますね」
マルティナがずらっと広げた見本にはベルベットや厚手のコットン、ウール、フランネルにカシミヤなど様々な生地が揃えられている。
アイリスは生地見本を見ながら心が浮き立つのを感じた。
「ウールとベルベットがよさそうですね。色は深い緑やボルドーがあればそちらを。装飾は控えめにしたいです」
キャスと話しているときのような高揚感を感じつつ、次々と浮かぶアイデアを口にする。せっかく作ってもらえるなら、やはりこだわりたいポイントがある。
マルティナは「助手に欲しいほどだわ」と一人うなずきながら、首に掛けてあったメジャーを手に取る。
「閣下、何着ほどご用意すれば」
「とりあえず春まで過ごせるくらいだ。ミセス・マイヤー」
アルフレッドが長椅子に座り、足を組みながらニヤリと笑った。
それを受けたマルティナも満面の笑みを浮かべる。どこか商人の様相ものぞかせる。
「えっ、え、閣下? それは」
春まで過ごせる、とはいったい。
この地は冬が長いのだから、そうなると想定より多く作ることになるのでは。
アルフレッドとマルティナの顔を交互に見ながら、アイリスは焦った声を出す。
マルティナは心底嬉しそうにアイリスの前に立っている。
「では奥様、まずはドレスを脱いでいただきます」
「え!」
「ドレスの上からでは正確に採寸できませんし、それが私の流儀でございます。さ、閣下はご自身の部屋へお戻りください」
「なぜだ」
「なぜって、こちらは奥様のドレスルームですよ。淑女の聖域です」
ビシッと言われ、アルフレッドがむくれた顔で立ち上がる。視界に入るアンナは、ぐっと笑いを堪えているようだった。
アイリスは何とも言えずアルフレッドを見送った。
そういえばまだ下着姿も見せたことはない。マルティナがアルフレッドを退出させてくれたことに内心では安堵していた。
***
打合せや採寸が終わり、マルティナは上機嫌で城を後にした。その姿を見送った後、アイリスはドレスルームの横にある私室の暖炉の前で充実感に包まれていた。
ウィングチェアに腰掛けてアンナの淹れてくれたお茶に口をつける。
「マイヤー夫人はとても素敵な方だったわね」
「はい。仕上がりが今から楽しみですね」
アンナが無邪気に笑う。
誰かに仕立ててもらうドレスを着るのは子どものころ以来で、アイリスも同じ気持ちを抱いていた。
自分で仕立てることも楽しいが、今後は彼女の店にお願いするのがよさそうだ。
だが、注文した数には少しばかり頭痛も覚える。
まだ何の役にも立っていないのに、これほどの支出をさせてしまって大丈夫なのだろうか。もちろんアルフレッドやアイゼンガルド家の経済力を心配しているのではなく、臣下や使用人たちにどう映るか、という点だ。
まだ大した仕事もできていないのに、金だけ使わせているなどと思われてアルフレッドの足を引っ張るのではないかという心配がある。
彼がそんなことを気にすることはないとは思うが、それとこれとは話が別だ。
柔らかな炎の揺らぎを見つめていると、アルフレッドがやってきた。立ち上がって迎えればアルフレッドの手が自然とアイリスの腰に回る。
「アイリス、疲れてはいないか」
「はい、閣下」
アルフレッドはスキンシップが多い。
アイリスはそのことに気づいてからというもの、平常心を保つのに必死だった。
彼は、アイリスの実父が誓約書を盾に婚姻を申し込み、王命によって夫婦となった相手だ。
いくら責任感が強いとはいえ、書類上の妻に対し、ここまで敬意や親愛の情を伝えてくれるものだろうか。
アルフレッドが優しく接してくれるのは、家族からの仕打ちや伯爵家の窮状を見かねた同情心からだと思っていた。
だけどどうもそれだけではないらしいと、さすがに察しがつき始める。
リンドヴァルドを出てまだ五日しか経っていないが、ほぼ毎日、執務で忙しいはずの彼がアイリスの様子を見に来てくれているのだ。
ハインツ医師に夜伽禁止を言い渡されても、寒さを理由に同じベッドで眠っているし、時には頬や額に口づけされることもある。
アルフレッドは、「これからは家族だ」と言ってくれた。アイリスの自意識過剰でなければそれはきっと、妹という意味ではない。
彼の態度を見れば、妹との距離感ではないと思うからだ。
自分が知らないだけでそんな家族がいるのかもしれないが、それならば自分が勝手に勘違いをしただけ、恥をかくだけで済む話でもある。
アイリス自身も、アルフレッドに対して抱く気持ちは尊敬や信頼だけではなくなってきている。
姿を見れば胸がドキドキと高鳴るし、抱きしめられれば安心する。笑顔を見れば心がほぐれる。淡黄色の瞳に見つめられると時間が止まったようにも感じるほどだ。
「昼食に誘いに来た」
使用人にさせればいいことも、こうやってわざわざ自ら足を運んでくれる。
「ありがとうございます。ご一緒します」
私室と同じ階にある家族用のこぢんまりとした食堂へエスコートされながら、廊下の窓から見える風景に目をやると、遠くの山頂に雪が積もっている。
「ここは美しいところですね」
「ああ。ありがとう」
アルフレッドを見上げると、柔らかく微笑んでいる。
窓から差し込む陽光に照らされた銀髪がキラキラと輝いていた。




