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第四話

(一)



 馬車が減速する前から、窓の外は白一色だった。


 領地を発って三日。

 深い森を抜け、山道を越え、辿り着いた先は静かな雪景色に包まれている。

 重そうな城門が軋みを立てて開き、馬車寄せへと進む。


「疲れてないか」


 アルフレッドの声は低く、優しい。

 扉が開いた瞬間、冷たい空気が流れ込んできた。

 分厚い外套でくるまれているのに、思わず肩が震える。刺すような冷気が頬を通り過ぎていく。


「北の風は容赦がないからな」


 アルフレッドはそう言いながら、自分の外套の中にアイリスを抱き寄せた。広い胸板にすっぽりと収まり、視界の半分が黒い布に覆われる。

 革のブーツが雪を踏みしめる音が、きゅ、きゅ、と小さく響く。


 目の前に広がる景色に、アイリスは言葉を失う。


 真っ黒く高い城壁。

 厚く積もった雪。

 鉄格子のはまった窓。

 まるで軍事要塞のような重厚な建造物。


 それでも、扉の両脇に灯る炎だけが温かい色をしていた。


「ここがシュヴァルツ城……」


 門の内側にある中庭も一面の雪。通路部分の石畳は綺麗に除雪されている。

 整列した使用人と騎士たちが、無言で頭を垂れた。ざ、と布が擦れる音が揃う。その規律の正しさに、アイリスは思わず背筋を伸ばす。

 整列していた使用人たちのなかから、老執事らしき人物が一歩前に出る。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 落ち着いた声が、雪の空気に溶ける。そして視線が、そっとアイリスへ移った。


「妻のアイリスだ」

「執事のサイモン・クリフォードと申します。ようこそお越しくださいました、奥様」


 サイモンと名乗った執事が頭を下げると、それに続いて使用人たちも一斉に礼の姿勢を取る。その中には、いつの間にか一緒にこの城へ来たユリウスも混じっていた。


「アイリスと申します。至らぬ点も多いと存じますが、この地を愛する閣下の隣に立つ者として、恥じぬよう努めます。どうぞよろしくお願いいたします」


 外套のままのカーテシーは初めてで、合っているだろうかと不安になるが、すぐにアルフレッドが抱き寄せてくれる。


「このままだと体が冷えるな。旅の疲れもあるだろう。まずは湯を使うか?」


 そう言うと、アルフレッドは当然のようにアイリスを抱き上げた。


「え……、きゃあ!」

「転ぶと危ないからな」


 言い訳のように囁くが、下ろす気配はない。メイドと騎士の何人かが、わずかに目を見開く。

 重厚な扉が閉まると、外の白とは対照的に、城内は赤い絨毯と暖かな灯りに包まれていた。冷えた頬に室内の熱がじわりと染みる。


「……やはり軽すぎる」


 廊下を進みながら、ぼそりとアルフレッドが呟く。

 抱き上げているのに、重さをほとんど感じない。

 アイリスが聞いたらそんな馬鹿な、と思うような感想をアルフレッドは持っていた。


「閣下?」


 アルフレッドの首に腕を回しているアイリスの藤色の瞳が、すぐそばで揺れている。その頬がわずかに紅潮していて、アルフレッドはご機嫌でアイリスを部屋に連れて行った。


 三階にある城主の私室へ連れて来られたアイリスは、暖炉の前のソファへと座らされている。隣にはぴったりとアルフレッドが寄り添っている。

 天井は高く、壁にはタペストリーがかかっている。繊細な織のそれは、足元の絨毯ともよく似ていて、部屋に統一感を与えていた。

 緻密で複雑な意匠はこの地域独特のものだろうか。

 アイリスは興味津々で織物を眺める。

 広い部屋の窓側には、天蓋付きの大きな寝台がある。リネンが濃い色なのは、アルフレッドの趣味によるものだろう。


「アイリス。明日は仕立て屋を呼ぶから服を揃えよう。そなたの持ってきたものはここの冬を越すには生地が薄すぎる」


 出発時、トランク三つにも満たない荷物しかないことに、アルフレッドは軽くショックを受けていた。

 遠慮して荷物を少なくしたわけではなく、これが持ち物のほとんどだと侍女のアンナは言っていた。

 そんなことがありえるのか、貴族の令嬢として。

 そうは思ったが、アルフレッドはぐっと唇を噛んで堪えたものだ。


「いえ、そこまでしてもらうのは」

「妻に服を贈ってはいけないなんて言わないでくれ。それに、臣下たちにそなたを冷遇していると思われては困る」

「あ……」


 服なら自分で仕立てられる。そう思って断ろうとするアイリスだったが、体面を保つことでもあると言われてしまうと断れない。

 確かに、辺境伯の妻として、あまり貧相な恰好をしているわけにはいかないのかもしれない。しきたりやマナーがあるのなら頭に入れておきたい。


「かしこまりました、閣下。お言葉に甘えさせていただきます」

「それから、これを」


 アルフレッドが手渡してくれたのは、魔石だった。


「保温魔法をかけてある。湯たんぽは重くて持ち歩けないだろうからな」


 小さいけれど、しっかりと温かみのあるそれを、両手で受け取る。指先からじわじわと温まっていく感覚に、アイリスは思わずほっと笑みをこぼした。

 魔石は、倒した魔獣の体内から出るものらしい。強い魔獣ほど魔石は大きく、高値で取引されるという。


「こんな貴重なものを、ありがとうございます」

「足りなければすぐに準備させるから言ってくれ」

「まさか、十分です」


 お腹の辺りに魔石を当てると、その温もりが全身へ伝わるようだった。


「湯を使うならメイドを呼ぼう」

「閣下、アンナだけでも大丈夫ですから」


 アルフレッドが呼び紐を引く。

 アンナとマーサ、そしてシュヴァルツ城のメイド二人が部屋に入ってくる。このうちの一人はメイド長のニーナと名乗った。執事のサイモンの妻だという。


「アイリス。彼らも仕事だ。慣れてくれ」


 そう言って片目を瞑ると、「ミセス・コックス、こちらへ」とマーサを連れて部屋を出ていった。

 アイリスは見慣れないウィンクに頬を赤く染め、ニーナとアンナ主導のもと、しっかりと磨かれていった。


 ***


 アルフレッドは二階の執務室へマーサを連れていく。途中でユリウスを呼び、サイモンも同行させた。マーサは少し緊張した面持ちで、大きな執務机の前に大人しく立っている。


「聞きたいことがある」


 アルフレッドは前置きなく切り出した。机の上には、ヴァレンシュタイン伯爵家の調査資料が乗っている。


「彼女の健康状態について心配はないのか」

「アイリス様は家のためにと無理を重ねておいででした。ですが今まで大きな病気などはされていません」

「そうか。サイモン、バルガスに言ってアイリスの食事には滋養にいいものを用意させろ」

「かしこまりました」

「宿では無理に食べさせたが……甘いものは好きか? 何か食べられないものは」

「特に好き嫌いはございませんでしたが、肉よりは魚がお好きなようです。甘いもの、はそうですね、ヴァレンシュタイン家の料理長はよく野草で菓子を作っておりましたよ」


 マーサの言葉に、アルフレッドの片眉が上がる。


「野草?」

「はい、アイリス様は森で野草を採取していました。その……少しでも食事の足しになれば、と自ら」


 最初の出会いを思い出す。

 確かにアイリスはバスケットを持っていた。護身用の武器でもなくなぜ籠などを持っているのか疑問に思ったが、そういうわけだったのか。


「分かった。下がっていい」


 マーサと入れ替わりに、ニーナが入ってきた。


「湯浴みは終わったのか」

「はい。それであの、奥様のお体に……」


 ニーナは言いにくそうにしながら、それでも報告はしなければならないと顎を上げる。


「……薄いものですが、背中に傷跡がいくつか見られました。それに」


 セダムの集めた情報通りだ。あの屑が鞭を打ったのだ。

 アルフレッドは頭に血が上るのを自覚しつつも、ニーナの言葉を待つ。


「あのお体では旦那様に押しつぶされてしまわないか心配です」

「なに?」


 思いもよらない発言に、アルフレッドの声が裏返る。ニーナはアルフレッドが子どものころからこの家に仕えているため、時々遠慮がない。

 ユリウスとサイモンは顔を伏せ、肩を震わせている。


「十分にお気を付けくださいませね」


 本当は今夜の床入りは見送ったほうがいいのでは。そんな思惑が漏れ伝わってくる。

 拷問のような二泊を耐えたアルフレッドはそこについては無視を決め込み、ヴァレンシュタイン家の調査書類を暖炉へと投げ入れる。

 除籍されたとはいえ、彼女の元家族への苛立ちはなかなか収まりがつかない。

 特に実父であったはずのギルバート。あの男は秘密裏に処理してしまいたい。そんな黒い気持ちが頭をもたげる。


「バルガスに菓子を切らさないよう言っておけ」


 ユリウスたちを残し、アルフレッドは私室へと向かう。

 階段を三段飛ばしで駆け上がり、あっという間にアイリスのもとへたどり着いた。


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