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第三話 (三)

(三)


 なぜもっと、早くに見切りをつけられなかったのだろう。

 どうして家族としての情を求めてしまったのだろう。


 母が愛し、祖父母が守ってきた家を、ただ無情にも食いつくされていくのを見ているしかなかった。

 抗おうとして、だけど力が及ばなかった。

 どれだけ力を尽くしても、認められることも褒められることもなく、あまつさえ、辺境伯家にもこんな風に迷惑をかけて。


(確かに私のせいだわ……)


 アイリスは膝の上でぎゅっと手を握りこむ。


「黙れ。彼女を侮辱することは許さん」


 地を這う声が響き、アルフレッドの周囲に冷気が広がる。床が薄く白むが、それ以上は凍ることもない。怒気を孕んでいるが、それでもアルフレッドが制御しているのだ。


 ────これが、北の覇者の気迫。


 アイリスは静かに息を飲む。

 鬼神のごとき形相にカサンドラだけでなく、ギルバートとリリアーヌも蒼白になる。

 本当なら恐怖に慄くはずなのに、不思議と怖くはない。アルフレッドの気迫に背中を押されるように、アイリスは口を開く。


「家族のため、ですか……。そこに私は含まれていたことがありましたか」


 その言葉に、ギルバートとカサンドラが押し黙る。


「これまでは家のため、領地のためと思って耐えてきました。ですが母の遺産にまで手を出したあなた方と、形だけの家族でいることは、もうやめにします」

「おまえ、なにを……」


 ギルバートの焦った声が響くが、アイリスは三人を見据えて立ち上がる。


「国王陛下。畏れながら、ヴァレンシュタイン家次期当主としてお願いがございます」


 アイリスは陛下の前へ跪いた。


「申してみよ」


 陛下は顎に手をやりながら続きを促す。アイリスは力のこもった瞳を上げた。


「脱税や横領は国家に対する犯罪でもあります。この者は我が家の名に泥を塗った罪人。ヴァレンシュタイン家の籍より除いていただきたく存じます。そのうえで、伯爵家としての罰は甘んじて受け入れます」

「ばかな! そんなことできるわけがない!」

「なにを言っているの……?!」


 背後で悲鳴のような声が上がるが、アイリスは一瞥たりともしなかった。


「もとより彼らは私を家族として見てはおりません。とすればヴァレンシュタインを名乗るのも、きっと苦痛だったことでしょう」


 ヴァレンシュタイン家直系血族であるアイリスの言葉が静かな部屋に落ちる。ギルバート達の顔からは血の気が引いていた。

 ギルバートは子爵家の三男だ。伯爵家から縁を切られ、かつ平民出身の妻子を連れて出戻ることはなかなかに厳しい道だ。除籍されれば子爵家が受け入れるかも怪しい。


「ふ、ふざけるな! 誰が平民などに!」


 ギルバートが椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。衛兵が即座に剣の柄に手をかけたが、彼は構わずアイリスを指差した。


「私は子爵家の血を引く貴族だぞ!  アイリス、おまえ、実の父親を……あんな、明日をも知れぬドブネズミの群れの中に放り込むつもりか!」

「そうよ! せっかく貴族になったのに、あんな不潔な場所に私を戻す気!?」


 カサンドラも必死の形相で身を乗り出した。その目は余裕を失い、飢えた獣のような光を宿している。


「たとえ貴族でなくとも、彼らは立派に仕事をし、日々を紡いで生きています」

「あんた、自分がどれだけ恐ろしいことを言っているか分かっているの!?  一生這いつくばって生きろと言うの!? 」

「這いつくばる? 私たち貴族の生活は領民あってのもの。あなた方に彼らを見下す資格などありません」


 アイリスが静かに言い放つ。


「恩知らずにも程があるわ、この、性悪女がっ!」


 カサンドラはこめかみに血管を浮かび上がらせながら叫んだ。


(あなたに恩を感じたことなどないわ)


 アイリスの頭に反射的にそう浮かんだが、言葉にはしなかった。

 黙っていると、次々に醜悪な言葉の礫が飛んでくる。アイリスは自分の心がどんどんと冷えていくのを感じていた。


「嫌……嫌よ、私は貴族よ、令嬢なのよ。平民に戻るなんて嫌! 私たちは実の姉妹じゃない。お姉さまは妹に愛情はないというの?」


 もはや怒りの感情さえ湧いてこないことを、不思議なほど冷静に受け止めている。


「……あなたにはあったというのかしら」


 アイリスは自身の口角がほんの少しだけ上がったのが分かった。

 彼らに愛されることなど、愛されていると感じることなど、一度たりともなかった。

 言葉にすることで、悲しくも認めたくない事実を認めざるを得なかった。

 そんなアイリスの言葉に、リリアーヌは何も言えず立ち尽くしている。


「だ、だがおまえはアイゼンガルドに嫁ぐんだ。ヴァレンシュタイン家の今後はどうするつもりだ。リリアーヌが後を継ぐしかないだろう」


 まだ食い下がるギルバートの言葉に、ユリウスが眼鏡の奥の瞳を冷ややかに光らせながら口を開いた。


「残念ながら、法的にはそれも難しいですね」

「……なんですって?」


 カサンドラが顔を引きつらせてユリウスを睨む。


「この国では現在のところ、婚姻前に生まれた子は、事後の婚姻によっても完全な継承権を持つ嫡出子とは認められません。そちらのお嬢さんが生まれたのはお二人が正式に婚姻届け出す半年前。つまり」


 ユリウスの視線がリリアーヌで止まる。


「あなたは今も平民の子に過ぎないということですよ」

「そんな……嘘よ、嘘! 私は伯爵令嬢よ!」

「……もっとも、これまでその伯爵令嬢として享受していた贅沢な生活費については、不当利得として返還を請求する権利がアイリス様にはおありです」


 ユリウスの言葉に、リリアーヌは膝から崩れ落ちた。お気に入りの新しいドレスが汚れることも、もはや気にする余裕はないらしい。

 アルフレッドが立ち上がり、アイリスの隣へと動いた。そしてその細い肩を、大きな手が包み込む。


「陛下。アイリスの願いはアイゼンガルド家としても全面的に支持いたします。罪を犯して家名を汚し、我が妻となる女性を虐げた者たちを、当家の姻族として認めるわけには参りません。彼らを速やかに放逐し、法に基づいた厳正な処罰を望みます」

「うむ。アイゼンガルドがそこまで言うのであれば……」


 アルフレッドの言葉を受け、陛下が静かに立ち上がる。低い声が、室内を震わせた。


「三名をヴァレンシュタインの籍より除名する。証拠隠滅および逃亡の恐れが極めて高い。審理が終了するまで拘束せよ」


 衛兵が進み出て三人を取り囲んだ。


「陛下、お待ちください! ま、おい待て! これは何かの間違いだ!」

「離して! 私は何も知らないわ!」

「ね、ねえ待って! 辺境伯へは私が嫁ぐわ! お姉さまより私の方が可愛いもの。そのほうが絶対にいいわよ、ね、そうでしょう?」


 リリアーヌの焦りに満ちた甲高い声が途切れ、国王陛下が口を開く。


「両家の婚姻については、アルフレッドとアイリスが夫婦になることを命じる」


 王命だ。陛下が撤回する以外に覆すことはできない。


「な……なぜ」


 ギルバートの声は掠れ、震えている。

 書記官は国王指示のもと、事前に作成されていた婚姻登録簿をアルフレッドの前へ恭しく差し出した。

 アルフレッドが内容に目を通してサインをすると、次はアイリスのもとへと差し出される。アイリスも速やかにペンを取った。


「嘘よ、私よりお姉さまが選ばれるなんてありえないじゃない! ねえ!」


 リリアーヌは屈辱に頭を抱えて絶叫し、ユリウスやアルフレッドに縋るような目を向ける。だがユリウスはもちろん、アルフレッドは視線を合わせることすらしなかった。


「身ぐるみ剥がして連れていけ」


 陛下の傍らにいた侍従武官が厳然と言い渡した。

 三人は取り乱すが、誰も取り合わない。リリアーヌは泣き叫び、ギルバートは顔を真っ赤にし、カサンドラは喚き散らす。その姿は貴族の威厳の欠片もなかった。


 扉が閉まり、静寂が訪れる。

 陛下は小さく息を吐き、アイリスに向き直った。


「大義であった」


 その声音は、先ほどまでとは違い柔らかい。


「国の細部まで目が届くよう変えていかねばな」


 アイリスは無言のまま深く頭を下げた。スカートを持つ手が震えている。アルフレッドも最敬礼で陛下を見送り、扉が閉じた瞬間にアイリスと向かい合った。


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