後日談(勇者パーティ視点)
王都の最下層、スラム街の一角にある古びた酒場『泥酔亭』。
そこは、日雇い労働者や落ちぶれた冒険者たちが、安酒で憂さを晴らす掃き溜めのような場所だ。腐った床板の臭いと、嘔吐物と安っぽいエールの酸っぱい臭いが充満する店内で、三人の男女がテーブルを囲んでいた。
「……酒だ。酒を持ってこい!」
ドンッ、とテーブルを叩く音が響く。
かつて黄金の鎧を身に纏い、王国の英雄と持て囃された男、レオン。
今の彼に、その面影は微塵もない。伸び放題の髭は酒と脂で汚れ、自慢だった金髪はボサボサに絡まり、目には濁った黄疸が出ている。着ているのは穴だらけの麻の服で、そこかしこに泥と血のシミがこびりついていた。
「おい、レオン。もう金がないぞ。今日の稼ぎは全部飲んじまっただろうが」
向かいに座る男、元宮廷魔導師筆頭のベルンが、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。
彼もまた、かつての知的で尊大な雰囲気は消え失せていた。杖の代わりにひび割れた木の棒を握りしめ、爪の間は真っ黒に汚れている。頬はこけ、眼窩が落ち窪み、まるで亡霊のような形相だ。
「うるさい! 俺は勇者だぞ!? 店のツケくらい、いくらでもきくはずだ! 後で王家から莫大な報奨金が出るんだからな!」
レオンが呂律の回らない口調で喚く。
その声を聞いて、隣でうずくまっていた元聖女ソフィアが、ヒステリックに笑い出した。
「あははは! 報奨金? まだそんな寝言を言っているのですか? 王家からの援助なんて、とっくの昔に打ち切られましたわよ。それどころか、指名手配寸前じゃありませんか」
ソフィアの手元には、安酒のジョッキではなく、ひび割れた手鏡があった。彼女は何度も何度も自分の顔を映しては、爪でカリカリと肌を引っ掻いている。
かつて国一番の美女と謳われた彼女の肌は、荒れ果て、吹き出物が浮き、生気のない土気色に変色していた。
「あぁ……私の肌……。どうして? どうして治らないの? 高級ポーションを買うお金さえあれば……。ねえ、レオン。貴方が無能なせいで、私の美貌が台無しよ」
「なんだと!? 誰が無能だ! お前の回復魔法が効かないから、俺たちはこんな生活をしてるんだろうが!」
「貴方の剣が錆びついているからでしょう! ゴブリン一匹倒すのに、半日もかかるなんて!」
「俺のせいじゃない! 魔法だ! 俺の魔法が不発だったから、戦略が狂ったんだ!」
ベルンも混ざり、醜い罵り合いが始まる。
これが、かつてSランクパーティ『栄光の剣』と呼ばれた者たちの成れの果てだった。
あの日、深層ダンジョンから這う這うの体で逃げ帰った俺たちは、地獄を見た。
ステータスが初期値以下に落ちた俺たちは、道中の雑魚モンスターにすら勝てず、装備を全て失い、命からがら地上へ辿り着いた。
だが、本当の地獄はそこからだった。
ギルドに報告へ行くと、既にアレンの活躍が噂になっていたのだ。
『荷物持ちのアレンが、深層ボスをソロ討伐した』
『アレンが第二王女シルヴィア様を救出した』
そのニュースは瞬く間に広がり、逆に俺たちは「英雄を不当に追放した無能集団」として、世間から一斉に指弾された。
Sランクの資格は剥奪。
王家からの支援は停止。
それどころか、俺たちが過去に犯した横領や、他の冒険者への嫌がらせまでが明るみに出て、多額の賠償金を請求された。
全てを失った。
地位も、名誉も、金も、力も。
残ったのは、レベル1の貧弱な肉体と、肥大化したままのプライドだけだ。
「……おい、静かにしろ。あれを見ろよ」
ベルンが震える指で、酒場の窓の外を指差した。
通りが騒がしい。歓声と拍手が聞こえてくる。
俺は重い頭を持ち上げ、よろめきながら窓際へ行った。
王都の大通りを、華やかなパレードが進んでいた。
紙吹雪が舞い、楽団がファンファーレを奏でている。
その中心、白馬に跨り、沿道の人々に手を振っているのは――。
「……アレン」
見間違うはずがない。
かつて俺の後ろで、大きな荷物を背負い、俺の顔色ばかりを窺っていたあの少年だ。
だが今の彼は、まるで別人のように輝いていた。
最高級の素材で作られた純白の礼服を身に纏い、その背筋はピンと伸び、表情には自信と威厳が満ちている。
そして、その隣で馬を並べているのは、麗しの第二王女シルヴィアだ。彼女はアレンに寄り添い、幸せそうに微笑んでいる。
『救国の英雄、アレン様に万歳!』
『シルヴィア王女殿下に万歳!』
『新しいSSSランクパーティの誕生だ!』
民衆の歓声が、俺の鼓膜を叩く。
腹の底から、どす黒い感情が湧き上がってきた。
「ふざけるな……。ふざけるなよ……ッ!」
俺は窓枠を強く掴んだ。ミシミシと音がする――はずが、俺の握力では音すら鳴らない。
「あれは俺の場所だ! あの歓声も、あの栄光も、全部俺のものだったはずなんだ! アレンはただの付属品だろ!? なんで本体の俺がこんな泥水を啜って、付属品があんな場所で笑ってやがるんだ!」
「……綺麗」
背後でソフィアが呟いた。
嫉妬と羨望が入り混じった、ドロドロとした声だ。
「あのドレス……王家の秘宝『聖女の羽衣』だわ。私がずっと欲しかったのに……。なんであの泥棒猫が着ているのよ……。私が隣に立つはずだったのに……」
「アレンの魔力……ここからでも感じるぞ」
ベルンがガタガタと震えながら、窓に張り付いた。
「膨大だ……。底が見えない……。あいつ、以前よりさらに強くなっていやがる。あぁ、あの魔力の1%でもあれば、俺は大賢者に返り咲けるのに……! なんでだ、なんであいつだけ!」
三人の憎悪が渦巻く。
だが、その声はパレードの喧騒にかき消され、誰にも届かない。
アレンはこちらを見ることすらない。
俺たちが存在していることすら、記憶から消去されているかのように、彼は前だけを見据えて進んでいく。
「おい、行くぞ!」
俺は衝動的に酒場を飛び出した。
止めるベルンの声も聞かず、人混みを掻き分けて大通りへと走る。
何をするつもりだったのか、自分でも分からない。
ただ、あいつのあの涼しい顔を歪めてやりたかった。「俺を見ろ」と叫びたかった。
「アレン! おい、アレン!」
沿道の衛兵に突き飛ばされながら、俺は叫んだ。
「俺だ! レオンだ! お前の親友のレオンだぞ!」
パレードの列が近づいてくる。
俺の声に気づいたのか、アレンがふと、こちらに視線を向けた気がした。
俺は必死に手を振った。
「アレン! 悪かった! 俺が悪かったよ! だから戻ってきてくれ! また一緒にパーティを組もう! お前がいなきゃダメなんだ!」
プライドもかなぐり捨てて、俺は懇願した。
周りの民衆が、冷ややかな目で俺を見ている。
「なんだあの汚い男は」「勇者の名を騙る狂人か」「あぁ、あれが噂の『追放勇者』だよ」
嘲笑が聞こえる。石が投げられる。
それでも俺は、アレンに縋るしかなかった。
アレンの視線が、俺と交差した。
その瞳は、深淵のように深く、静かだった。
かつて俺に向けていたような、親愛の情も、あるいは恨みの炎すらも、そこにはなかった。
あるのは、道端の石ころを見るような、完全なる「無」。
彼は一瞬だけ俺を見ると、すぐに興味を失ったように視線を外し、隣のシルヴィアに微笑みかけた。
「……あ?」
無視された。
怒鳴られるわけでも、罵られるわけでもなく。
ただ、認識された上で、無視された。
それが意味することは一つ。
彼にとって俺は、もう「取るに足らない存在」ですらないということだ。
「待て……待ってくれよぉ……!」
俺はバリケードを乗り越えようとした。
だが、すぐに屈強な騎士たちに取り押さえられた。
「控えろ! 英雄殿のパレードを汚す気か!」
「離せ! 俺は勇者レオンだ! あいつのリーダーなんだ!」
「勇者? 笑わせるな。貴様のような薄汚い浮浪者が勇者なものか。この男を連れ出せ!」
ドンッ!
腹部に強烈な拳を叩き込まれ、俺は呼吸ができなくなった。
レベル1の身体には、騎士の拳ひとつが致命傷に近い。
胃液を吐き出し、地面に泥のように崩れ落ちる。
「ガハッ……ゲホッ……!」
泥水が口に入る。
視線の先を、アレンの乗った白馬が通り過ぎていく。
その蹄が蹴り上げた泥が、俺の顔にかかった。
「ア……レ……ン……」
手を伸ばすが、届かない。
遠ざかっていく背中は、あまりにも大きく、眩しかった。
***
日が暮れて、雨が降り出した。
俺、ソフィア、ベルンの三人は、路地裏のゴミ捨て場に座り込んでいた。
パレードへの乱入騒ぎで衛兵に袋叩きにされ、半死半生の状態でここに放り出されたのだ。
「……寒い」
ソフィアが襤褸布のような服を抱きしめて震えている。
その顔は青白く、唇は紫色だ。かつての栄華は見る影もない。
「もう……嫌だ。こんな生活、耐えられない……」
彼女が泣き出した。
だが、誰も慰める者はいない。
「俺の計算では……こんな確率は万が一にもあり得ないはずだったんだ」
ベルンがブツブツと独り言を呟いている。
「アレンを追放すれば、利益分配が増える。名声も独占できる。完璧な計算だった……。どこで間違えた? 変数が……アレンという変数が……」
「……」
俺は何も言えず、ただ雨に打たれていた。
身体中が痛い。骨が折れているかもしれない。だが、治す金もなければ、治せる聖女も(魔力切れで)いない。
ふと、懐に入れていた錆びついた短剣を取り出した。
かつてドラゴンを屠った聖剣エクスカリバーは、もうない。
今の俺にあるのは、このナクラ切りの安いナイフだけ。
そして、今の俺の実力は、このナイフがお似合いのレベル1。
「なぁ、ベルン。ソフィア」
俺は掠れた声で呼んだ。
「なんで俺たち、あいつを追い出しちまったんだろうな」
その問いに、答えは返ってこなかった。
分かっているからだ。
俺たちの傲慢。慢心。そして、アレンへの甘え。
「あいつは絶対に俺たちを裏切らない」「あいつは俺たちがいないと生きていけない」
そう思い込んでいた。
実際は逆だった。俺たちが、アレンなしでは生きていけない寄生虫だったのだ。
「戻りたい……」
ソフィアが膝に顔を埋めて嗚咽する。
「Sランクの頃に……戻りたい……。美味しいご飯が食べたい……。ふかふかのベッドで眠りたい……」
「無理だ」
ベルンが絶望的な声で言った。
「俺たちのステータスはもう戻らない。アレンのスキルは、一度切れたら再接続できない特殊なものだと……文献で読んだことがある気がする」
「じゃあ、俺たちは一生……このままか?」
「一生? 笑わせるな。このままだと、明日には野垂れ死ぬぞ。食い物もない、金もない、力もない」
沈黙が落ちた。
雨音だけが、シトシトと響く。
スラムの奥から、野犬の遠吠えが聞こえた。
以前なら一蹴できた野犬も、今の俺たちにとっては脅威だ。
俺は空を見上げた。
厚い雨雲に覆われて、星一つ見えない。
アレンがいる場所は、きっと星空のように輝いているのだろう。
「……クソッ」
涙が溢れてきた。
悔しい。悲しい。惨めだ。
だが、一番辛いのは、「これが全部自分のせいだ」と分かってしまったことだ。
誰のせいにもできない。
アレンは警告していた。「本当にいいのか?」と。
それを蹴り飛ばしたのは、俺たちだ。
「ざまぁみろ、ってか……」
誰に対しての言葉かも分からず、俺は呟いた。
アレンは俺たちを見て笑わなかった。罵りもしなかった。
それが、一番の復讐だった。
俺たちは、彼の記憶に残る価値すらない、ただの「過去の汚点」になったのだ。
「うぅ……うわぁぁぁぁぁッ!!」
俺は泥水の中に顔を突っ込み、獣のように泣き叫んだ。
ソフィアも、ベルンも、一緒に泣いた。
その声は雨音にかき消され、誰にも届くことはなかった。
明日は、今日よりマシになるだろうか。
いや、なるわけがない。
俺たちは生きていかなければならない。
かつて見下していた「弱者」として。
かつて足蹴にしていた「敗者」として。
栄光の記憶という、残酷な棘を胸に刺したまま、這いつくばって生きていくのだ。
それが、勇者を気取っていた詐欺師たちの、終わりのないエンディングだった。




