牛肉テロ
――翌朝。
関西での大がかりな仕事をお腹いっぱいに完了させた三人は、再び東海道新幹線のぞみ号の車内にいた。
しかし、昨夜の死闘の疲労と暴食の代償は、今になって彼らの体を確実に蝕んでいた。
「う……頭が痛い……。脳の機能が、完全にフリーズしている……」
三人掛けの真ん中に挟まれた大村志人が、いつになく弱々しい声を漏らしていた。
いつもなら隙のない彼だが、今は眼鏡を少しずらし、額を押さえて完全にぐったりしている。
原因は、お好み焼きの後に市川と競い合って食べた、超激辛ソース焼きそばのスパイスの摂りすぎだった。
「だから言ったろ大村、お前の計算はスパイスの刺激に耐えられなかったんだよ。へっ、ざまぁみろ」
窓側の席に座る市川が、勝ち誇ったような顔で笑う。
だが、そういう市川の顔もどこか青白い。
彼はお好み焼きを食べすぎたため、絶望的な胃もたれと戦っていた。
新幹線が少し揺れるたびに、「うおっ、揺らすな……胃の中のモダン焼きが……」と、胸を押さえて冷や汗を流している。
そんな満身創痍の二人に挟まれた通路側の席で、中山健人だけは、相変わらず無表情のまま驚異的な回復力を見せていた。
カサリ、と音がして、健人が袋から取り出したのは――。
「……おい、健人。お前、それ正気か?」
市川が引きつった目で、健人の手元を凝視した。
健人が取り出したのは、関西の駅弁として有名な、脂の乗った『牛肉弁当』だった。
車内全体に、甘辛く煮込まれたタレと牛肉の強烈な匂いが広がっていく。
胃もたれ限界の市川と、頭痛絶不調の大村にとって、その匂いは文字通り「即死級の攻撃」に他ならなかった。
「……これから東京に戻り、次の日常に備えるためのカロリー補給だ。体が、まだ肉を求めている」
健人は平然と言い放ち、無表情のまま肉をご飯ごと豪快に口へ運ぶ。
もぐもぐと、あまりにも美味そうに食べる音が、絶不調の二人の耳元で響き渡る。
「やめろ……健人、その肉を今すぐしまえ……。吐き気が限界に達する……」
大村が口元を押さえながら、健人の服を弱々しく引っ張った。
「健人、お前マジでそれテロだからな! せめて弁当の蓋を閉めろ! あと、俺にイチゴオレをよこせ! 口の中をリセットさせろ!」
市川がシートにしがみつきながら抗議する。
「断る。……大村、お前も一口食うか? 栄養が脳に良いぞ」
健人が、タレの染みた一切れの牛肉を、大村の目の前へと突き出した。
「やめ……っ、近づけるな……! 健人、お前っ!」
大村が必死に顔を背け、健人の右腕を弱々しく押さえようとする。
市川も「俺が健人の箸を止める!」と、胃を押さえながらも弁当を奪おうともがき始めた。
三人掛けの窮屈な座席で、超一流の殺し屋たちが、非常にレベルの低い「弁当防衛戦」を繰り広げる。
健人が無表情のまま箸を死守し、大村がシートの間に埋もれ、市川が牛肉の匂いに悶絶していた、その時――。
「――お客様、車内での激しいお弁当の奪い合いはお控えください。他のお客様の迷惑になります」
昨日と全く同じ乗務員の女性が、今度は完全に目が笑っていない笑顔で三人の前に立ちはだかった。
「……失礼しました。友人が、牛肉の産地について激しい議論を交わしていただけです」
「なぁー、河西産とか論外だよなー」
大村が即座に、限界の体調でありながらも、あの完璧な口調で言い訳を紡ぎ出した。
健人と市川も、何事もなかったかのようにすんと前を向いて座り直す。
健人は静かに、弁当の蓋をパタンと閉じた。
新幹線は、三人のあまりにも騒がしく、そして愛おしい日常を乗せたまま、ものすごいスピードで東京へと突き進んでいく。
関西での死闘を経て、彼らはまた一つ、切れない絆を深めていた。
大村志人の胸の奥にある兄への想いも、この二人となら、きっといつか前を向いて抱えていける。
きっと。




