殺し屋の日常
――ターゲットの排除完了。
深夜、冷たい雨の降る高架下の暗がりに、高級スーツを着た男――沼田栄一が崩れ落ちていた。
「な、にもの……だ、お前……っ」
泥水をすする沼田の視線の先で、中山健人は冷たい瞳で銃口を見下ろしていた。
圧倒的な力の差だった。
沼田が雇っていた大柄なボディーガードたちも、健人の前ではあっさりと倒されるだけだった。
かつて野球で培われたずば抜けた運動神経と、この5年間で叩き込まれた戦いの技術。
その二つが組み合わさった健人は、すでに一人前の殺し屋として十分すぎる強さを持っていた。
命乞いをする沼田の言葉に、健人は耳を貸さなかった。
法律の抜け穴を利用して弱い者から金を騙し取り、人の人生を壊した男。それを片付ける。ただそれだけだ。
夜の闇の中に、静かに一発の銃声が響いた。
「あー、仕事終わりの夜風が身に染みるぜ。で、俺のイチゴオレは?」
アジトに戻るなり、相変わらず呑気な顔で出迎えてきたのは市川太郎だった。
「……おい」
健人は無表情のまま、コートのポケットからストローのついた紙パックを取り出した。
けれど、健人はそれを普通に手渡したりはしない。
5年前まで少年野球チームのエースピッチャーだった血が、ほんの少しだけ悪戯心を呼び覚ました。
「市川、捕れ」
健人はイチゴオレのパックを指に引っかけると、綺麗なフォームで腕をしならせた。
全盛期のマウンドを思い出させるような、無駄のない完璧な投球フォーム。
放たれた紙パックは部屋の空気を切り裂き、すごいスピードで市川の胸元へと一直線に飛んでいく。
「って、おいマジかよっ!?」
目の前に迫る紙パックに対し、市川の反射神経がとっさに反応した。
市川は近くにあった丸めたポスターを、まるで野球のバットのように構える。
「オラァッ!!」
パンッ! と、心地いい音が部屋に響いた。
市川は見事なスイングでイチゴオレをヒット。
紙パックは綺麗な弧を描いて、部屋の隅のソファへとぽとんと落ちた。
「よっしゃあ! ヒット! 健人、今のは完全に持っていっただろ!」
「……チッ。今のコースを打つか。次は低めに落としてやる」
「おい、野球の投げ方をイチゴオレでやるな! パックが破けたらどうすんだよ!」
市川がポスターを振り回して文句を言い、健人は無表情のまま、どこか楽しそうに次の投球フォームをとる。
二人の殺し屋が、部屋の真ん中で子どものようにじゃれ合い始めた。
「おい市川、次だ。高めの球、受けてみろ」
「上等だ、どんな球でも打ち返してやるよ!」
「騒がしいぞ。作戦を立てる場所で野球ごっこをするのはやめろと言っている」
その様子を冷ややかに見つめながら、大村志人が部屋の奥から歩いてきた。
大村は相変わらず落ち着いた様子で、じゃれ合う二人には目を合わせない。
そのまま、すたすたとソファの方へと歩いていく。
そして、市川がポスターを構えて健人と向き合っている一瞬の隙を見逃さなかった。
大村はソファの上に落ちていたイチゴオレの紙パックを、ごく自然な動作で回収した。
手際よくストローを差し込むと、ちゅーっと音を立ててそれを飲んでしまう。
「……なるほど、悪くない。頭がすっきりする味だ」
「あーーーっ!! 俺のイチゴオレが!!」
市川の叫び声が部屋に響く。
大村は真顔のまま、「お前がいつまでも遊んでいるからだ。冷えているうちに飲んだだけだ」と、もっともらしい顔で横取りを正当化していた。
「健人! 大村を押さえつけろ! 今度こそあいつの高級チョコを奪うぞ!」
「……分かった。大村、あきらめろ。後ろは押さえた」
「待て、健人。お前にはさっきチョコを半分分けてやっただろ。市川、近づくなよ」
裏社会で暗殺の手助けをする『殺し屋』。
彼らは確かに、闇の中で生きる恐ろしい存在だ。
けれど、この冷たい隠れ家の中にだけは、普通の高校生のような、不思議な温もりが確かに存在していた。
その頃、明るい世界にいる花山美有は、夜空を見上げながら、どこかにいる幼馴染の無事を祈り続けている。
彼女が心配している「中山健人」が、今、仲間たちとイチゴオレを巡って全力で遊んでいるとは、知る由もないまま――。




