第10話 紛争
――帝都アルレウス 最高学術院。
ノーマンは周囲を窺いながら学術院の正面扉を開ける。
心なしか扉が重く感じられる。
幸い1階のフロアには受付嬢しかいない。
(ホッ)
ノーマンの姿に気づいた受付嬢が微笑む。
「おはようございます」
笑顔と会釈を返すと、足早に階段へと向かう。
今は極力上層部の人間と鉢合わせたくない。
昨日エリアン達がやらかした件だけではない。
先程自宅から学術院に向かう途中で、いつも立ち寄るパン屋の主人から気がかりなメモを渡されたためだ。
やや動揺している状態であの陰湿で小賢しい老人共の小言を受け流すのは難しい。
何より狼狽している姿をあんな連中に見せたくない。
幸い誰にも遭遇せずに技術監査部の部屋の前まで到着する事が出来た。
とはいえ問題自体は何一つ片付いていない。
(さて、落ち着いていろいろと考えてみるか)
自身を奮い立たせるように力強くドアノブを回した。
◇
「ノーマンさん?! どうしたんですか?」
ノーマンのデスクの隣に座る後輩のエドガーは、着席した先輩の表情が見たことが無いほど険しい事に驚き、思わず声をかける。
歳は10ほど離れているものの、普段のノーマンはノリが良く飄々としており、上層部からの無茶な要求を蝶のように躱す姿は、少し年上の頼りになるお兄さんという感覚だ。
今の姿は見る影もない。
「まさか…。またエリアン工房の連中が何か…。昨日のエーテル通信ケーブル断線の損傷が想定以上の規模だったとかですか…?」
ノーマンは少しニコリとしてから顔を上げる。
「いやいや、その件は昨日のうちに復旧したらしいよ。まぁナウマリスで何かやらかしてないか不安じゃないって言えば嘘になるけども…」
「そっちとは別件で少しまずい事になったかもしれないんだよねぇ」
『少しまずい』
普段はエリアンがどれだけやらかしても「またあいつはやってくれたみたいだねぇ」程度で済ませるノーマンが言うと相当深刻な事が起きた、または起きそうだという事が伝わる。
「ちょっとコーヒー入れてきますね。ノーマンさんもいります?」
聞くのに覚悟が必要だと悟ったエドガーは、少し心の準備をする時間を確保する。
「うん、お願いするよ」
(はぁ…。エリアン工房のやつらの始末書は覚悟していたが更に厄介な事が重なるのかぁ…)
給湯室に向かうエドガーの足取りは重装備用の鉛入りの靴を履いているように重かった。
◇
2人でコーヒーを一口飲んだところでノーマンが周囲を見渡す。
誰もいない事を確認してから小声で切り出した。
「シルヴァレムの宗主の人間が行方不明らしい。しかも後継候補の可能性がある」
「…!!」
エドガーは血の気が引く感覚を覚える。
「それは…確かな筋の情報ですか?」
「俺が個人的に雇っている密偵からの情報だ。元軍部所属でシルヴァレムとのコネがある。信憑性はそれなりに高い」
エドガーは数秒目を閉じた後、目の前に貼ってある地図に目を向ける。
帝都以外にも大きい都市は多数存在する。
帝都が突出して大規模ではあるのだが、他の都市も天然の要塞を活かし優れた戦術で生き残っているため軍事力は非常に高い。
とりわけシルヴァレムは帝都に匹敵する軍事力を誇ると言われている。
帝都に多数存在する訓練校では、どこも中等部の歴史の講義で必ず60年前にシルヴァレムと起きた紛争の話が出てくる。
紛争に参加した人間が未だに当時の話を語り継いでいる事もあり、訓練校に通っていない者にまでも浸透している。
『当時の帝都はアノマライト兵団と呼ばれる精鋭集団が快進撃を続けていた』
『装備にアノマライトの粉末を組み込む技術が発達し、アノマライト装備の前衛が魔獣の魔法を無効化しながら肉弾戦を行い、後衛が致命傷を与えるという戦術が確立したのだ』
『帝都の区画が大幅に増えた時期と言われている』
エドガーは地図を見つめながら当時の講義の内容を思い返す。
(ただ、シルヴァレムの魔法はアノマライトで無効化する事が出来なかった…)
『シルヴァレムは外界との交流を断絶していたが、軍部の関係者がシルヴァレムの近くで負傷してシルヴァレムの人間に介抱された事をきっかけに、交流が始まったと言われている』
『当初は文化交流や交易で非常に良好な関係を築いていたが、アノマライトで打ち消せない魔法に学術院が脅威を感じた事から関係が悪化していった』
(そして紛争にまで発展したが、アノマライト兵団はシルヴァレムの宗主三家の当主達、たった3名に壊滅させられたと言われている…)
◇
エドガーは息を大きく吐く。
和解したとはいえ、当時のしこりとも言うべきか、学術院とは折り合いがいまだに悪い。
逆に軍部とは元々の繋がりもあって良好と聞く。
この均衡は、宗主の戦力ありきで保たれている部分は大いにあるはずだ。
「…。戦争になりますかね…?」
エドガーはいろいろ考えた末、ストレートに聞く。
「ならない…とは言い切れないかもしれない。ただそうなると軍部との内戦にまで発展する可能性がある」
「情報統制も含め慎重に動かないとまずい」
「…」
(エリアン工房のやつらに振り回されている方がマシだったという状況にならないといいが…)
エドガーは大きくため息をついた。




