「そうめん」「夕顔」「自然災害」
【夕顔を流れる日】
八月の終わり、山あいの集落はむせかえるような蒸気に包まれていた。
佳代は縁側で、冷水に泳ぐ白いそうめんを竹の箸ですくい上げる。氷がきらりと陽を跳ね返すたび、短い夏がもう一歩、終わりへ近づいているように思えた。
庭先の棚には夕顔の花が咲いている。日が落ちかけるころ、薄紫がかった白い花びらが、ほんのりと甘い匂いを漂わせながら開き始める。それは毎年、佳代が一番好きな時間だった。
ラジオから、気象庁の警報が流れたのは、その時だ。
「記録的豪雨の恐れがあります。川の増水に警戒を——」
佳代は箸を置き、耳を澄ます。ここ十年、台風や大雨が珍しくなくなった。昨年は山崩れで隣村が孤立し、親戚の家が土砂に飲まれたばかりだ。
それでも、夕顔は淡々と花を開き続ける。自然の脅威と美しさは、同じ手で世界を撫でているのだ。
その夜、雨が狂ったように降った。
電線がうなり、川の水音が家を震わせる。
佳代は家族と共に高台の集会所へ避難した。暗闇の中、濁流に光る稲妻を見ながら、頭の奥でそうめんの白さと夕顔の匂いが何度も蘇る。
——昨日まで確かにあった静かな日々。
明け方、雨は嘘のように止んだ。
家に戻ると、庭の夕顔は無残に倒れていた。棚も、花も、泥にまみれている。
佳代は膝をつき、指で花びらをそっと拾い上げた。濡れた白は、朝の光に淡く透けている。
家の中は幸い大きな被害がなかった。台所で残っていたそうめんを茹でながら、佳代はふと笑った。
生きて戻った者が、今日の空腹を満たすためにすする細い麺。
その味は、あの夕顔の甘やかな香りと同じく、二度と同じものではないだろう。
箸を持つ指先に、泥の感触がまだ残っている。
自然は奪いも与えもする。
それでも人は、生きて、食べて、花を愛でる。
佳代は窓の外を見た。
壊れた棚の隅に、小さな芽がもう一度、空へ向かって伸び始めていた。
連載作品は0時更新。シリーズ『連載中』より、ご一読ください。
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