「コーヒーショップ」「パソコン」「欺く」
【午後三時の影】
午後三時。
窓際のコーヒーショップは、琥珀色の陽に包まれていた。
カウンターの奥では、豆を挽く小気味よい音がリズムを刻み、低く流れるジャズがゆるやかに時を溶かす。
美月はノートパソコンを広げ、黒い画面に映る自分の目をじっと見つめた。
カーソルは点滅している。
だが、書きかけの原稿は一文字も進まない。
彼女はフリーのライターだ。
今日中に提出すべき記事がある。
「都市型カフェの最前線」。
取材も終え、構成も決めてある。
なのに指が動かない。
――通知が来た。
メッセージアプリの小さなバッジが赤く光る。
送り主は、かつての同僚、そして今は広告代理店の売れっ子ディレクターとなった柊だった。
「美月、例の仕事、俺がやったことにしておいてくれない?」
美月は眉をひそめる。
「例の仕事」とは、先月二人で受けたコラボ企画。
企画案も記事の下書きも、美月がほとんど仕上げたものだ。
「クライアントには俺が出した案って伝えちゃったから。悪いけど」
美月は深呼吸した。
柊は昔からこうだ。
要領が良く、笑顔が武器。
だが、肝心なところで必ず誰かを欺く。
カップのコーヒーは、いつのまにかぬるくなっていた。
ミルクの膜が薄い虹色に光っている。
美月はゆっくり口をつけ、そしてパソコンを閉じた。
彼女はただ黙ってはいられなかった。
メールを新規作成し、クライアントの担当者のアドレスを打ち込む。
「今回の提案と記事構成について、実作業を担当したのは私です」
指が震えた。
送信ボタンの赤いアイコンが、心臓の鼓動と同じ速さで明滅する。
そのとき、カウンター越しにマスターが声をかけた。
「今日も仕事、大変そうだね」
美月は小さく笑った。
「ええ、でも……いいコーヒーのおかげで踏ん張れます」
マスターは頷き、窓の外に視線をやった。
春の光が街路樹を金色に染めている。
欺かれるたび、心がすり減る。
でも、今日だけは自分を欺かない。
美月はキーを叩いた。
送信。
静かな音が、遠い雷鳴のように胸に響いた。
――午後三時の影は、いつのまにか長く伸びていた。
彼女の心にも、確かな光が射し込んでいた。
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