「映画館」「弓」「憧れる」
【光の矢】
地方都市の駅前通りに、取り残されたような建物がある。
「シネマ光陽」。かつては街の娯楽の中心だったらしいが、いまはシネコンに押され、ほとんど人が入らない。ネオンはくすみ、ポスターの色は褪せ、雨に濡れたガラスの奥からは埃っぽい匂いが漂っていた。
高校二年の慎太郎は、その館をときどき訪れる。理由ははっきりしない。ただ練習帰りにふと足が向かい、狭いロビーのベンチに腰を下ろすと、張りつめていた心がほどけていくように感じられた。
慎太郎はアーチェリー部に所属していた。中学の頃はそこそこ結果も出せたが、高校に入り、強豪校との試合で思い知らされた。矢は狙ったところに飛ばず、試合では緊張で体が固まる。
「お前、弓をやってて楽しいのか?」
後輩に何気なく言われた一言が胸に刺さり、以来、練習に身が入らなくなった。
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ある日の夕暮れ、練習帰りに立ち寄ると、ロビーに人影があった。
長い黒髪をひとつに束ねた女性。白いシャツに大きめの作業ジャケット。手には油に汚れた工具が握られていた。
「いらっしゃい。上映、もうすぐ始まるから、よかったらどうぞ」
彼女は柔らかく微笑んだ。
慎太郎は思わず立ち止まった。
「……もしかして、黒田美佐子さんですか?」
女性は目を丸くし、それから小さく苦笑した。
「そんな名前を知ってる人、もういないと思ってた」
雑誌で見た横顔と重なっていた。全国大会常連の弓道選手、黒田美佐子。中学の頃、慎太郎が憧れていた人物だ。彼女の姿を真似て弓を引き、記録を切り抜いて部室に貼ったこともある。
「どうしてここに……」
問いかけると、美佐子は肩をすくめた。
「怪我で引退して、そのあといろいろあってね。いまはここで映写技師をしてる」
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映画を観終えた後、慎太郎は館を出ようとして、ふと足を止めた。
「俺……うまくならないんです。弓」
美佐子は振り返り、静かに言った。
「外すのが怖いんでしょう」
「……はい」
「じゃあ一度、当てることをやめてみたら?」
意外な言葉だった。
「的に当てるためにやってるのに」
「うん。でも本当に大事なのは、弓を引いてる自分がどう見えるかだよ。私はね、いつも『誰かに憧れられる自分』ばかり気にしてた。だから壊れたの」
彼女は自分の右肩を軽く叩いた。そこに怪我の跡があるのだろう。
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それから慎太郎は、ときどき美佐子のいる映画館に通った。上映が終わると、ロビーで彼女と話す。映写機の回転音を背に、弓を引くときの呼吸や、緊張のほぐし方を教わった。
「的なんてね、ただの白い布切れよ。そこに当てることじゃなくて、矢を放つまでの動作を、ひとつひとつ大事にして」
ある晩、彼は彼女に促されて館の裏手で実際に弓を構えた。夜の闇に向かって矢を放つ。的はない。ただ弦を弾く音と、矢が空気を裂く感触だけが残る。
不思議と心が軽かった。外すことも、当てることも考えなくていい。矢は真っ直ぐ夜空に吸い込まれていった。
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春の地区大会。
慎太郎は緊張していたが、胸の奥に彼女の言葉を思い出していた。
――当てようとするな。矢を放つ自分を信じろ。
最初の矢が弦を離れる。スッと伸びた矢は、音もなく的の中心に吸い込まれた。
続く矢も、次々に。完璧ではないが、これまでの自分とは違った。
結果は三位。表彰台の端に立ちながら、慎太郎は会場を見渡した。観客席に、美佐子の姿はなかった。
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大会後、映画館を訪ねると、シャッターが下りていた。張り紙には「閉館」の二文字。老朽化と客足の減少で、ついに幕を閉じたのだ。
ロビーにはもう入れなかったが、郵便受けに小さな封筒が残されていた。
中には短い手紙と、一本の矢羽根。
〈憧れの先に進んで。
今度は、あなたが誰かの光になる番です〉
慎太郎は矢羽根を強く握った。
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夏の練習場。
慎太郎は弓を引く。視界の先にある的は、もはや怖くなかった。
矢を放つ瞬間、夜の映画館の闇と、そこで教えてくれた声がよみがえる。
「外してもいい。自分を信じろ」
矢はまっすぐ空気を裂き、中心に突き刺さった。
その音を耳にしながら、彼は微笑んだ。
憧れるだけでは終わらない。
今度は自分が――誰かの憧れになるのだ。
連載作品は0時更新。シリーズ『連載中』より、ご一読ください。
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