「夢の中」「モノリス」「叩く」
【置いてきたもの】
夢の中で、またあの場所に立っていた。
視界のすべてを呑み込むような闇。上下の区別もなく、風も音も消え失せた空間。そのただ中に、一本の黒い石柱が屹立している。高さは十数メートル、幅は人ひとりを難なく呑み込めるほど。表面は鏡のように滑らかだが、光を一切反射しない。まるで世界から切り離された異物――モノリス。
近づくと、低い音が鳴っているのに気づく。
ドクン、ドクン。心臓の鼓動のような、あるいは地の底から湧き上がる脈動のような音。
悠人は息を呑む。何度も夢に見ているはずなのに、その場に立つたびに全身の血が逆流するような緊張を覚える。
――叩け。
耳元で囁く声がする。誰の声か分からない。だが抗えない衝動に突き動かされ、彼は拳を伸ばす。
コン……。乾いた音が虚空に広がった。
次の瞬間、石柱の奥から誰かの声が返ってきた。
「……どうして」
それは確かに、かつての親友・絵里の声だった。
はっとして目を覚ます。会社のデスクで突っ伏していた。周囲の視線が痛い。
「また寝てたのか?」と同僚が苦笑している。
「すまん、徹夜続きで」
乾いた喉を押さえながら答えたが、鼓動の音はまだ耳の奥に残っていた。
絵里。大学時代の親友。いや、最後は喧嘩別れのようになって、互いに言葉を交わさないまま離れてしまった。卒業式にも姿を見せず、それきりだ。あれから七年、今さら夢に出てくるなんて。
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その夜も同じ夢を見た。
闇の中に佇むモノリス。叩くと、声がする。
「裏切ったの?」
彼女の声は震えていた。
悠人は答えられなかった。夢の中で喉が詰まり、声が出ない。必死に言葉を探そうとするが、何も紡げずに目が覚める。
午前三時。アパートの天井を見つめながら、冷や汗を拭った。
何を裏切ったのか。何を謝ればよかったのか。思い出そうとすると、胸の奥で何かが鈍く疼く。
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昼のオフィスで、パソコンの画面を前にしたまま意識が落ちた。
気づくと、またモノリスの前に立っていた。
「聞いてるの?悠人」
絵里の声がはっきりと響いた。
驚いて顔を上げると、黒い石柱の表面に、波紋のように光が走った。そこに彼女の輪郭が浮かぶ。髪を一つにまとめた姿。大学時代と同じ笑顔――いや、どこか哀しみを帯びている。
悠人は震える声で言った。
「……絵里、なのか」
返事はない。ただ、彼女は何かを言いかけて、また姿が闇に呑まれた。
次の瞬間、現実に引き戻される。オフィスで隣の席の同僚に肩を叩かれていた。
「おい、会議だぞ」
「あ、ああ……」
会議中も、頭の中でドクン、ドクンと音が響き続けていた。
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数日後。眠りと覚醒の境界が曖昧になっていた。電車で目を閉じればモノリス。コンビニで立ち読みすればモノリス。
そして週末の夜。ベッドに横たわると、今度はいつもと違う光景が広がった。
石柱の前に、誰かが立っている。
絵里だった。
もう幻影ではない。目の前に、確かに彼女が存在していた。
「どうして来なかったの」
彼女が口にした瞬間、悠人は思い出した。
大学四年の春。
絵里が突然、留学先から帰ってきて「会って話したい」とメールをくれた。けれど悠人は就職活動の面接を優先し、彼女との約束を反故にしたのだ。
その直後、彼女は事故に遭い、帰らぬ人となった。
「……おれは」
声が震えた。「ただ、怖かったんだ。未来のことばかり考えて、君の気持ちを、置き去りにした」
絵里は黙って彼を見つめていた。やがて、かすかに首を振る。
「叩かないで」
悠人ははっとする。無意識に拳を握り、石柱を叩こうとしていた。
「叩くたびに、あなたは私をここに縛りつけてしまう。もういいの。私は眠りたいの」
その声は深い闇に溶けていった。
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悠人は拳を下ろした。
「ごめん……ごめんな、絵里」
彼女は柔らかく微笑んだ。
そして光の粒となって、モノリスの中へ消えていった。
ドクン、ドクンと鳴っていた音が止む。石柱はゆっくりと亀裂を走らせ、やがて粉々に砕け散った。
目を覚ますと、窓から朝日が差し込んでいた。
夢だったのか。いや、右手の掌に黒い痕が残っていた。まるで石を叩いた跡のように。
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翌週、悠人は絵里の故郷を訪ねた。彼女の墓前に立ち、花を手向けた。
「ごめん。……ありがとう」
風が吹き、花弁が揺れる。空の青さが胸に沁みた。
もうモノリスは現れない。
けれど、掌の痕は消えずに残っている。それは後悔と記憶の刻印だった。
悠人はそれを抱えたまま、また歩き出した。
夢と現実の境界で交わした最後の言葉を胸に。
連載作品は0時更新。シリーズ『連載中』より、ご一読ください。
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