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三題噺  作者:
2025年9月

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35/50

「真っ赤な鳥居の下」「ドライフルーツ」「摘む」

【甘いひとかけら】


 真っ赤な鳥居の下は、夕暮れの光を受けてさらに鮮やかに染まっていた。

 長く続く参道の両脇には石灯籠が並び、風に揺れる竹の葉がカサカサと音を立てている。だがその参道を歩く人影は、ほとんどない。町外れのこの神社は、すでに忘れられたように人気を失っていた。


 鳥居をくぐった瞬間、空気が変わる。

 湿った苔の匂いと、遠いどこかから響くような鈴の音。まるで現実の端がひとつ外れ、異なる世界に足を踏み入れたかのようだった。


 佐伯凛は、手に持つ小さな紙袋を強く握った。

 そこには、母の四十九日を終えたばかりの供物が収められている。果物や菓子を少しずつ取り分けたもの。その中には、母が生前よく食べていたドライフルーツも入っていた。



---


 境内に進むと、不意に声がした。

「……おや、お供えかね」


 振り返ると、鳥居の影に小さな屋台が出ていた。

 こんな場所に店などあっただろうか。木の台には籠が置かれ、その中に色とりどりのドライフルーツが山と積まれている。干し柿、ドライマンゴー、砂糖漬けの林檎。琥珀のように光を帯びて、どれも妙に瑞々しい。


 屋台の奥に座るのは、年齢の分からぬ女だった。白髪なのに若々しく、瞳は夜空のように深い。

「ひとつ摘まんでみるといい。この果実は、記憶を呼び戻す」


 凛は息を呑んだ。

 母の遺影を思い出す。もう声も匂いも、遠く霞んでしまった。

 もしも、この果実であの人の記憶に触れられるなら――。



---


「代金は?」

「払うのは金ではない」女は笑った。「おまえの心のひとかけらをもらうだけだ」


 意味が分からぬまま、凛は籠に手を伸ばした。

 ドライフルーツをひとつ、指で摘まむ。

 口に含むと、不思議な甘酸っぱさが広がった。乾いているはずなのに、瑞々しい果汁が舌を満たす。


 その瞬間、凛の視界が滲んだ。

 ――あの台所。

 ――母の笑い声。

 ――「おやつはこれで我慢しなさい」と、差し出された小皿。

 そこに載っていたのは、やはりドライフルーツだった。


 鮮やかすぎる記憶に、思わず涙がこぼれる。



---


「どうだい、思い出せたろう」女が囁く。

「……母だ。母の声が聞こえた」

「人の心は果実のようなものさ。干されても、甘みは残る。だが口にする者がいなければ、やがて果てて消えてしまう」


 凛は震える手で、もう一つ摘まもうとした。

 だが女がその手を制した。

「食べすぎるな。記憶に溺れれば、現に戻れぬ」



---


 凛ははっとして立ち上がった。

 空を見上げれば、鳥居の向こうに沈みゆく夕日。

 現実に帰らねばならない。


「ありがとう」

 そう言ったとき、屋台も女も、跡形もなく消えていた。

 ただ凛の掌には、一切れのドライフルーツだけが残っていた。



---


 帰り道、凛はそれをポケットにしまい、胸に手を当てた。

 母はもういない。けれど、記憶は果てない。

 真っ赤な鳥居の下で摘まんだ一切れが、それを教えてくれたのだった。

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