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三題噺  作者:
2025年9月

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33/50

「体育館」「花札」「殴る」

【こいこい】


 町の体育館は、もうずいぶん古びていた。

 天井にはひび割れが走り、壁の塗装は剥がれ落ちている。床板も軋み、体育館シューズで走れば「ぎし、ぎし」と心もとない音がする。だが、この小さな町にはほかに大きな集会所もない。だから町内会の集まりや、老人会の催し、時には葬式の後の直会まで、すべてこの体育館でまかなわれてきた。


 その晩も、蛍光灯がちらつく体育館に、町の人々が集まっていた。

「町内対抗・親睦花札大会」。

 なんとも田舎らしい企画だ。卓球でもゲートボールでもなく、なぜか花札。実行委員長を務めるのは、町内会長の権田だった。七十を過ぎても声の大きさと顔の広さで町を牛耳る男である。


「よし、始めるぞ!」


 会長の合図で、長机の上に次々と花札の束が並べられていく。参加者は三十人ほど。若い者はほとんどいない。四十を過ぎた中年と、六十七十の年寄りばかり。だが、体育館には妙な熱気が漂っていた。



---


 その片隅に、ひとり腕を組んで立つ青年がいた。

 佐久間祐介、二十五歳。都会から戻ってきたばかりのUターン組だ。就職に失敗し、なんとなく実家に転がり込んだ。町内会の寄り合いなど興味はなかったが、母に「顔を出してきなさい」と強引に背を押され、仕方なく来たのだった。


 彼の目には、この集まりは滑稽にしか映らなかった。

 体育館の中で、真剣に花札を切る老人たち。勝ち負けに一喜一憂し、歓声や怒号を上げる。まるで人生を賭けているかのような熱中ぶり。


 祐介は思わずため息をついた。

「なんでこんなことで盛り上がれるんだか……」



---


 しかし大会が進むうちに、彼の周囲でもざわめきが広がっていった。

「次の相手は……佐久間くんだな」

 権田会長がにやりと笑って指名したのだ。


「え、俺?」

「若いもんも混じらんとつまらんだろうが。都会帰りの腕前、見せてみい!」


 逃げられない。祐介は渋々、長机の前に腰を下ろした。向かいに座るのは町一番の勝負師と名高い老人、坂下だった。


 花札の束が切られ、卓上に並ぶ。祐介はカードゲームは多少たしなんでいたが、花札はルールも曖昧だった。

「赤短、青短……ああ、こういう感じか」

 ぎこちなく札を出す祐介に対し、坂下の動きは鮮やかだった。まるで踊るように札を繰り出し、次々と役を揃えていく。


「こいこい!」

「ほい、カス二十枚で勝負ありじゃ!」


 祐介の惨敗。周囲は爆笑に包まれた。


「都会もんは弱いのう!」

「ほれ見てみい、若いのはスマホばっかで役にも立たん!」


 祐介の胸に、カッと熱いものがこみあげた。

 笑われるのは慣れていた。就職に失敗し、地元でも「使えない若造」と陰口を叩かれていることは知っている。だが目の前で、見下すように札を切る坂下の笑顔に、思わず拳が震えた。


「……ふざけんな!」


 次の瞬間、祐介は机を叩き、立ち上がった。椅子がガタンと倒れる。

「なにが都会もんだ! バカにするな!」


 その声は体育館に響き渡り、空気を一変させた。



---


 緊張が走る中、坂下はにやりと笑った。

「おう、そうこなくちゃの。若いもん、殴ってでも勝ちたいと思うなら本物じゃ」


 祐介の拳が震える。

 本当に殴ってやろうかと思った。だが、寸前で理性が踏みとどまる。ここで手を出せば、ますます笑いものになる。


 代わりに彼は深く息を吸い込み、椅子を起こして再び座った。

「……もう一戦だ」


 その声に、周囲の年寄りたちがどよめいた。



---


 再戦。

 祐介はルールを頭に叩き込み、必死で札を追った。最初はやはり坂下のペース。だが少しずつ、祐介は勝負の勘を掴んでいく。カードゲームで培った「流れを読む」感覚が、花札にも通じていた。


 やがて――


「こいこい!」

 祐介が強気に宣言した。場がざわつく。坂下は目を細め、慎重に札を繰る。


 最後の一手。祐介の指が札を掴む。震える手で、それを机に叩きつけた。

「赤短三枚、月見で一盃――役、成立だ!」


 一瞬の沈黙。次いで歓声が爆発した。


「おおっ!」

「やったな若造!」


 祐介は思わず拳を握った。勝った。あの坂下に、堂々と。



---


 試合後、坂下は笑って祐介の肩を叩いた。

「なかなかやるのう。都会で落ちこぼれても、ここではまだまだ伸びる余地があるわ」


 祐介は不意に胸が熱くなった。

 この町を馬鹿にしていたのは自分の方だったのかもしれない。体育館の軋む床、蛍光灯のちらつき、くだらないと思っていた花札――それらが今は、やけに愛おしく思えた。


「……俺、もう一度、やり直してみます」


 その言葉に、周囲の老人たちがうなずいた。



---


 大会が終わり、体育館の灯りが消える頃。

 祐介は夜空を仰いだ。星が滲んで見えるのは、目に涙があったからだ。

 殴る代わりに、札で勝った。たったそれだけのことなのに、胸の奥に灯ったものは、都会で失った自信や誇りに違いなかった。

連載作品は0時更新。シリーズ『連載中』より、ご一読ください。


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