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三題噺  作者:
2025年9月

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29/50

「校庭」「パソコン」「謡う」

【青空に届く歌】


 放課後の校庭は、夕日の光を受けて赤く染まっていた。野球部の掛け声、サッカーボールの弾む音、吹奏楽部のチューニングが遠くから微かに届く。

   三年生の悠斗は、その喧騒を横目に、校舎の隅に腰を下ろしてパソコンを開いていた。周囲からは「オタク」と冷やかされることもあったが、悠斗には譲れない理由がある。彼は、古い民謡を採譜し、データベースに残す作業を続けていたのだ。


 「またやってんのか、悠斗」

 声をかけてきたのはクラスメイトの翔平だ。サッカー部のエースで、悠斗とは対極の存在に見える。

 「うるさいな。ほっとけよ」

 「何が楽しいんだよ。そんな古臭い歌」

 「……楽しいとかじゃない。必要なんだ」

   悠斗は画面を見つめたまま答えた。



---


 きっかけは、一年前の祖母の死だった。

 祖母はよく、家で古い民謡を口ずさんでいた。洗濯物を干しながら、煮物をかき混ぜながら、あるいは庭を掃きながら。歌詞の意味は悠斗には分からなかったが、不思議と心に残っていた。


 葬儀の後、祖母の部屋を整理していると、古びたノートが見つかった。中には音符もなく、ただ歌詞と走り書きが並んでいた。「誰かが覚えていてくれますように」と書かれた一文を見つけたとき、悠斗は胸を突かれた。


 ——自分がやらなきゃ。


 それ以来、悠斗は独学で採譜や録音を学び、パソコンに向かい続けてきた。



---


 だが、孤独な作業はしばしば心を折る。周りが部活動で輝いている時間、校庭の片隅でパソコンを叩く自分。何度も「やめよう」と思った。


 そんなある日、校庭に響く合唱の声が耳に入った。文化祭に向けて、合唱部が練習していたのだ。指揮者の声に合わせて十数人の声が重なり合い、空へ伸びていく。その響きを聴いたとき、悠斗の背筋に電流が走った。


 ——あの声に、祖母の歌をのせられたら。



---


 悠斗は意を決して、合唱部の顧問である中年の音楽教師・小坂を訪ねた。

 「先生……この歌、聞いてもらえませんか」

 USBに入れた祖母の歌声を再生すると、古びた旋律がスピーカーから流れ出す。

   小坂は目を細めて黙って聴き、やがてゆっくりと言った。

 「これは……良い歌だな。君が採譜したのか?」

 「はい。でも、僕一人じゃ歌にできなくて……」

 「合唱部に持ちかけてみろ。彼らなら、謡う価値を感じてくれるかもしれない」



---


 だが、合唱部は難色を示した。

 「民謡なんてダサい」

 「今さら新しい曲なんて無理」

 と不満が漏れた。


 そのとき、顧問の小坂が言った。

 「音楽は時代を越える。誰かの心を残したいと思った歌を、今ここで謡えるかどうか……挑戦してみるかは、君たち次第だ」


 しばしの沈黙のあと、部長の由衣が口を開いた。

 「やってみよう。歌にして残すのも、私たちの仕事かもしれない」



---


 それからの日々は目まぐるしかった。悠斗は合唱部に加わり、校庭や音楽室で練習に立ち会った。祖母の民謡を合唱用に編曲する作業は難しく、音が合わないたびに心が折れそうになった。だが、少しずつハーモニーが重なっていくのを聴くと、不思議と胸が熱くなった。


 やがて迎えた文化祭当日。校庭に設けられた特設ステージに合唱部が並ぶ。悠斗はパソコンを脇に置き、マイクの前に立った。


 「今日歌うのは、僕の祖母が残した歌です。誰も知らない小さな民謡。でも、ここにいるみんなと謡うことで、新しい形で残したいと思いました」


 深呼吸。指揮者の合図。


 最初はか細い旋律だった。だが、由衣の声が重なり、テノールが寄り添い、アルトが支え、音楽は校庭いっぱいに広がっていった。悠斗の胸の奥に眠っていた祖母の笑顔が、鮮明によみがえる。


 歌い終わったとき、しばし静寂があった。次の瞬間、拍手と歓声が沸き起こった。

   悠斗は涙でにじむ校庭を見渡しながら思った。

 ——祖母、聴こえた? 僕らの声、届いたかな。



---


 その夜、家でパソコンを開く。文化祭で録音した音声ファイルを保存し、フォルダに名をつけた。

 「未来へ残す歌」


 画面の中で波形が揺れる。それはまるで、祖母の声と仲間の声がひとつになって脈打っているように見えた。


 悠斗は小さくつぶやいた。

 「これからも謡い続けるよ」


 窓の外では、静まり返った校庭が、月明かりに照らされていた。

連載作品は0時更新。シリーズ『連載中』より、ご一読ください。


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