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猫山さんをわからせたい!  作者: ウチぬっこ
第一章 猫山さんには頭があがらない!

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第8話 立ち直った猫山さん

翌朝。


 俺はいつも通り、少し早めに店へ着いた。


 制服に着替えながら、昨日のことを思い出す。


 ミスをして、落ち込んで、それでも最後には泣きながら本音を話してくれた猫山さん。


 普段はあれだけ生意気なのに、あんなふうに泣くとは思わなかった。


 ……いや、別に変な意味じゃない。


 先輩として、後輩が落ち込んでいたら気になる。それだけだ。


「おはようございます、先輩!」


 ちょうど考えていたところで、聞き慣れた声がした。


 振り返ると、猫山さんがいつもの笑顔で立っていた。


「おはよう。今日は早いな」


「先輩こそ。もしかして、私に会いたくて早く来ちゃいました?」


「違う。お前のその自信はどこから来るんだ」


「日頃の行いです!」


「どんな行いだよ……」


 いつもの調子だった。


 昨日のことなんて、まるでなかったかのように。


 ……いや、実際にはなかったことになんてできない。


 俺は、あのときの猫山さんの泣き顔を知ってしまったのだから。


「……何ですか、先輩。じっと見て」


「いや。いつも通りだなと思って」


「それ、褒めてます?」


「半分くらいは」


「残り半分は?」


「いつも通り生意気だなって」


「ひどいっ! せっかく朝から元気に挨拶したのに!」


 猫山さんは頬を膨らませた。


 その顔を見て、俺はようやく少し安心した。


 昨日の失敗を、いつまでも引きずっているわけではなさそうだ。


 もちろん、無理をして明るく振る舞っている可能性だってある。けれど、少なくとも今は、いつもの猫山さんに見えた。


「……まあ、昨日はよく頑張ったな」


「え?」


 思ったことが、そのまま口から出ていた。


「ミスした後も、ちゃんと最後まで仕事してただろ。もう必要以上に気にするなよ」


 猫山さんは、少しだけ目を丸くした。


 それから、ふっと表情を和らげる。


「……ありがとうございます、先輩」


 いつものからかうような声ではなかった。


 だからこそ、俺は少しだけ居心地が悪くなる。


「別に。先輩として当然のことを言っただけだ」


「へえー?」


 ……しまった。


 猫山さんの目が、いたずらっぽく細められた。


「昨日のこと、そんなに気にしてくれてたんですね?」


「いや、まあ……」


「私が泣いちゃったことも、覚えててくれたんだ?」


「そりゃ、あれだけ泣かれたら忘れないだろ」


「うわぁ。先輩、ひどいです。乙女の涙をそんな言い方するなんて」


「お前な……」


「でも」


 猫山さんは、ほんの少しだけ声を落とした。


「昨日は、ありがとうございました。先輩が話を聞いてくれたから、ちゃんと切り替えられました」


 今度は、からかう様子もなかった。


 俺は返事に困って、頭をかく。


「……それならよかったよ」


「ふふっ。先輩、今日は優しいですね」


「いつも優しいだろ」


「えー? そうでしたっけ?」


「おい」


「冗談ですって!」


 猫山さんは楽しそうに笑った。


 結局、いつもの調子に戻ってしまった。


 けれど、その笑顔を見ていると、昨日のことが少しは彼女の中で整理できたのだと思えた。


 それなら、俺としてもひと安心だ。


 ***


 その日の仕事は、特に大きな問題もなく進んだ。


 猫山さんは注文を取るたびに伝票を確認し、料理を運ぶ前にも内容を見直していた。


 昨日のミスを気にしているのは間違いない。


 ただ、必要以上に萎縮している様子はなかった。


 分からないことはきちんと確認し、できることは自分で判断して動く。


 その姿を見て、俺は改めて思った。


 もう、すっかり一人前に近づいている。


 最初の頃は、何かあるたびに俺を呼び止めていたのに。


 今では、俺が別の仕事をしていても、安心して持ち場を任せられる。


 ……まあ、たまに余計なことまでしてくるけど。


「先輩、聞こえてます?」


「ん?」


 気づけば、猫山さんが目の前に立っていた。


「さっきから、ぼーっとしてますよ?」


「いや、お前もちゃんと仕事ができるようになったなと思って」


「えっ。急にどうしたんですか?」


「いや、最初の頃と比べたら、ずいぶん成長したなって話だよ」


「……それって、褒めてます?」


「今日は褒めてばっかりだろ」


「たしかに!」


 猫山さんは嬉しそうに笑った。


 そのあと、少しだけ得意げな顔をする。


「じゃあ、そろそろ先輩がいなくても大丈夫ですね!」


「まあ、そうだな」


「……えっ」


 あまりにも素直に答えたせいか、猫山さんが固まった。


「な、何ですか。その反応」


「いえ……。もうちょっと、引き止めてくれると思ったので」


「何でだよ。お前が一人で仕事できるようになるのは、いいことだろ」


「それは、そうですけど……」


 猫山さんは、何か言いたそうに口を開きかけた。


 けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「まあ、先輩が寂しいなら、たまには頼ってあげてもいいですよ?」


「誰が寂しいんだよ」


「さあ? 誰でしょうねー?」


 そう言って、猫山さんは軽い足取りで持ち場へ戻っていった。


 ……まったく。


 仕事ができるようになっても、こういうところは変わらないらしい。


 それが少しだけ、ありがたいような気もした。


 ***


 仕事を終え、着替えを済ませた俺は、従業員用の出入口でスマートフォンを確認していた。


 明日は水曜日。


 店の定休日だ。


 何をするかは、まだ決めていない。とりあえず本屋にでも行こうかと考えていると、背後から声をかけられた。


「先輩、明日ってお休みですよね?」


 振り返ると、猫山さんがいた。


「ああ。水曜日だからな」


「ですよね! あの、明日って何か予定あります?」


「今のところはないけど……。どうした?」


 猫山さんは、なぜか少しだけ視線を泳がせた。


 いつものように、すぐにからかってくるのかと思ったが、今日は違うらしい。


「実は、買いたいものがあるんです」


「買いたいもの?」


「はい。それで、よかったら一緒に買い物に行きませんか?」


「……俺と?」


「ほかに誰がいるんですか?」


「いや、そうじゃなくて。何で俺なんだよ」


「桜場さんは明日、予定があるみたいですし」


「じゃあ、一人で行けばいいだろ」


「それはそうなんですけど……」


 猫山さんは、そこで言葉を切った。


 ほんの一瞬、迷うように視線を落とす。


 それから、顔を上げた。


「……先輩と行きたいなぁ、と思って」


「…………」


 思わず、返事が遅れた。


 今、こいつは何と言った?


 先輩と行きたい。


 いや、買い物の話だ。別におかしなことじゃない。


 それなのに、いつものようにからかう調子ではなかったせいか、妙に意識してしまった。


「……何ですか、その顔」


 猫山さんが、少し不安そうにこちらを見る。


「いや、別に……」


「もしかして、嫌でした?」


「いや、嫌ってわけじゃないけど」


「じゃあ、いいですよね?」


 途端に、いつもの調子が戻ってきた。


 ……さっきのは何だったんだ。


「ちなみに、荷物持ちも期待してます!」


「おい。結局それが目的か」


「それも目的です!」


「堂々と言うな」


「でも、先輩と一緒に買い物したいのも本当ですよ?」


「……っ」


 また、返事に詰まってしまった。


 猫山さんは俺の顔をのぞき込むと、楽しそうに笑った。


「先輩、もしかして照れてます?」


「照れてない」


「ほんとですかー?」


「ほんとだ」


「じゃあ、明日、付き合ってくれますよね?」


 ……ここまで言われて、断る理由もない。


 それに、俺だって明日は暇なのだ。


「分かったよ。一緒に行けばいいんだろ」


「やった!」


 猫山さんは、ぱっと顔を輝かせた。


 その反応が思いのほか嬉しそうで、俺は少しだけ面食らう。


「じゃあ、待ち合わせ場所とか、あとでメッセージしますね!」


「ああ。分かった」


「約束ですよ、先輩!」


「分かってるって」


「えへへ。明日、楽しみにしてます!」


 猫山さんはそう言い残すと、軽い足取りで帰っていった。


 その後ろ姿を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。


 まさか、猫山さんから買い物に誘われるとは。


 いつも店で顔を合わせている相手と、わざわざ休日に出かける。


 考えてみれば、少し不思議な話だ。


 ……まあ、たまにはいいか。


 明日は本屋に行くつもりだったけど、予定を変えるのも悪くない。


 俺はスマートフォンをポケットにしまい、帰路についた。


 明日、何を買うつもりなのかくらいは、聞いておけばよかったかもしれない。


 そんなことを考えながら、ふと思う。


 ……俺も、少し楽しみにしているのだろうか。


 いや、別に。


 後輩と買い物に行くだけだ。


 そう、ただの買い物。


 ……明日は、少し早めに起きよう。

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