第20話 トナカイ先輩と後輩サンタ
クリスマスイベント当日。
店内にはクリスマスソングが流れ、先日みんなで飾りつけたツリーや電飾が華やかに輝いていた。
いよいよ、イベント本番だ。
「よし……今日も頑張るか」
俺は気合いを入れて、バックヤードへ向かった。
去年も経験しているとはいえ、クリスマスイベントの日は普段より忙しくなる。準備にも気を配らなければならないし、お客さんも増えるだろう。
ただ、今年は一つだけ、去年とは違うことがあった。
それは、イベント用の衣装だ。
スタッフ全員が着替えるわけではない。店長は基本的に事務所で仕事をしているし、佐々木さんと大久保さんは厨房担当なので、普段どおりの服装で働くことになっている。
そして、俺に用意されていた衣装はというと――。
「近藤くん、ちょっといい?」
バックヤードに入ったところで、大久保さんに呼び止められた。
「はい、何ですか?」
「今日の衣装なんだけど、これを着てもらえるかな?」
そう言って差し出されたのは、茶色い衣装だった。
頭につけるカチューシャには立派な角が生えていて、赤い鼻まで用意されている。
……嫌な予感しかしない。
「…………大久保さん」
「うん?」
「これ、もしかして……」
「そう! トナカイだよ!」
「やっぱり!」
俺は思わず頭を抱えた。
「どうして俺がトナカイなんですか……」
「だって、猫山さんとシャロさんがサンタでしょ? サンタが二人いるんだから、トナカイもいたほうがクリスマスらしいじゃない!」
「いや、別に必要ないですよね!?」
「そんなことないよ。クリスマスらしくていいじゃない!」
大久保さんは楽しそうに笑っている。
完全に面白がっている顔だ。
「……佐々木さんは?」
「厨房だから、いつもの服装だよ」
「店長は?」
「事務所でお仕事」
「……つまり、俺だけですか」
「そういうこと!」
大久保さんは、ためらいなく親指を立てた。
俺は手渡された衣装を見下ろした。
茶色い上着に、トナカイの角。そして、やけに目立つ赤い鼻。
どう考えても、これを着て店内を歩くことになるのだろう。
「……せめて、鼻はなくてもいいですか?」
「駄目!」
「即答ですか……」
「せっかくのイベントなんだから、楽しんでいこうよ!」
……この人、絶対に楽しんでるだろ。
***
数分後。
着替えを終えた俺は、更衣室の鏡の前に立っていた。
「…………」
茶色い上着にトナカイの角。さらに赤い鼻までつけられた自分の姿を、じっと見つめる。
「……何やってんだろ、俺」
勤務三年目。
仕事にも慣れ、新人の指導を任されるようにもなった。
それなのに、クリスマス当日にトナカイである。
人生、何が起こるかわからない。
「近藤さん、準備できましたかー?」
更衣室の外から、シャロさんの声が聞こえた。
「……できたよ」
「じゃあ、出てきてください!」
俺は一度深呼吸してから、扉を開けた。
「お待たせ――」
目の前には、サンタ姿のシャロさんと猫山さんが立っていた。
二人とも、赤い衣装に白い縁取りのついたサンタクロース姿だ。頭にはふわふわのサンタ帽をかぶっている。
シャロさんは嬉しそうに帽子を整えていて、猫山さんは衣装の裾を気にしながらこちらを振り返った。
……うん。二人とも、よく似合っている。
特に猫山さんは、いつもより華やかな雰囲気で、思わず見とれそうになった。
けれど、そんな感想を口にする前に――。
「…………」
二人の視線が、俺の頭から足元までゆっくりと動いた。
「……ぷっ」
猫山さんの口元が、ぴくりと動いた。
「…………先輩」
「……何だよ」
「その格好……」
「言うな」
「まだ何も言ってませんけど?」
猫山さんは口元を押さえている。
肩も小刻みに震えていた。
その隣で、シャロさんは目を輝かせた。
「わあ……! 近藤さん、本当にトナカイさんなんですね!」
「見ればわかるだろ……」
「角もついてます! 赤いお鼻もあります!」
「それも見ればわかるよ!」
シャロさんは楽しそうに笑った。
「すごいです! とっても可愛いです!」
「……ありがとう」
褒められているはずなのに、全然嬉しくない。
そして、ついに猫山さんが限界を迎えた。
「……っ、ふふっ」
「猫山さん?」
「ふっ……あははははっ!」
とうとう、盛大に吹き出した。
「ちょ、先輩……! 何ですか、その格好……! あははっ!」
「仕方ないだろ! 衣装を渡されたんだから!」
「わ、わかってます……! でも、角が……っ!」
猫山さんは目元に涙を浮かべながら笑っている。
普段、俺をからかってばかりの後輩が、ここまで大笑いする姿は初めてかもしれない。
……いや、そんなことを考えている場合じゃない。
「お前、笑いすぎだろ!」
「だ、だって……! 先輩、いつもの真面目な顔でトナカイなんですもん……!」
「好きでやってるわけじゃない!」
「ふふっ……トナカイ先輩……!」
「その呼び方やめろ!」
俺が抗議すると、猫山さんは目元をぬぐいながら、まだ笑いをこらえていた。
くそっ。
今日という日は、絶対に忘れないからな。
***
ひとしきり笑われたあと、ようやくイベントの準備に取りかかった。
厨房では佐々木さんと大久保さんが、普段どおり仕事を進めている。
「近藤くん、衣装いい感じじゃない!」
厨房から顔を出した大久保さんが、俺を見るなり笑った。
「……大久保さん、そろそろ勘弁してください」
「ごめんごめん。でも、二人のサンタと並んだら、もっといい感じになりそうだね!」
「何がいい感じなんですか……」
「ほら、写真でも撮ったら?」
「撮りません!」
即答すると、後ろから猫山さんが顔をのぞかせた。
「えー、いいじゃないですか。私、トナカイ先輩と写真撮りたいです」
「絶対に嫌だ」
「ふふっ。照れてるんですか?」
「違う!」
「じゃあ、撮りましょうよ」
「話を聞け!」
猫山さんは、いつもの調子で俺をからかっている。
その隣で、シャロさんもスマートフォンを手にしていた。
「私も撮りたいです! 近藤さん、記念に一枚いいですか?」
「シャロさんまで……」
「駄目ですか?」
期待に満ちた目で見つめられると、強く断りづらい。
「……一枚だけだからな」
「ありがとうございます!」
結局、俺は二人に挟まれて写真を撮ることになった。
右にはサンタ姿のシャロさん。左には、同じくサンタ姿の猫山さん。
そして中央には、トナカイ姿の俺。
……どう考えても、俺だけ浮いている。
「はい、撮りますよー!」
シャロさんの声とともに、スマートフォンのシャッター音が鳴った。
「撮れました!」
「見せてください!」
猫山さんが画面をのぞき込む。
写真の中では、シャロさんが満面の笑みを浮かべ、猫山さんも楽しそうに笑っていた。
その中央で、俺だけが妙に真剣な顔をしている。
「……っ、ふふっ」
「おい、また笑うのかよ!」
「だ、だって……先輩、すっごくいい顔してます……!」
「どんな顔だよ!」
「真面目な顔でトナカイしてる顔です!」
「その説明で納得できるか!」
猫山さんは笑いながらも、撮ったばかりの写真を大事そうに保存した。
「猫山さん、その写真、変なところに載せるなよ」
「えー? どうしようかなあ」
「おい!」
「冗談です。これは記念ですから。大切に保存しておきますね、トナカイ先輩」
「だから、その呼び方!」
そう言いながらも、猫山さんは写真を消す気などなさそうだった。
……まあ、記念と言われれば、悪い気はしない。
俺は小さく息を吐き、二人と別れて自分の仕事に戻った。
***
イベントが始まると、店内はすぐに忙しくなった。
クリスマスの飾りつけを見て喜ぶお客さんもいれば、サンタ姿の二人に笑顔を向ける子どもたちもいる。
そして、なぜかトナカイ姿の俺にも、思った以上に注目が集まっていた。
「わあ、トナカイさんだ!」
来店した子どもが、俺を指さして笑顔を見せた。
「あ、ああ。メリークリスマス!」
俺はなんとか笑顔を作って返事をする。
「トナカイさん、頑張ってね!」
「ありがとう!」
子どもが嬉しそうに手を振る。
その様子を見ていると、少しだけ気恥ずかしさが薄れてきた。
……まあ、お客さんに喜んでもらえるなら、悪くないか。
そんなことを考えていると、サンタ姿のシャロさんが近くを通りかかった。
「近藤さん、子どもたちに大人気ですね!」
「そうかな……」
「はい! やっぱりトナカイさんは必要なんですね!」
「……それ、大久保さんにも言われたよ」
「ふふっ。来年もトナカイさんですね!」
「まだ来年の話は早いだろ!」
シャロさんは楽しそうに笑って、自分の仕事へ戻っていった。
入れ替わるように、猫山さんがやってくる。
「先輩、人気者ですね?」
「おかげさまでな」
「よかったですね。これなら来年もトナカイ役で決まりです!」
「決めるな!」
「来年は、もっと立派な角をつけてもらいましょうね」
「余計なお世話だ!」
猫山さんは満足そうに笑い、自分の持ち場へ戻っていった。
……こいつ、今日一日ずっとこの調子なのか。
先が思いやられる。
***
昼のピークが過ぎ、ようやく少し落ち着いた頃。
俺はバックヤードで短い休憩を取っていた。
トナカイのカチューシャを外し、椅子に腰を下ろす。
「……疲れた」
仕事そのものより、周囲に笑われ続けたせいで疲れた気がする。
「先輩、お疲れさまです」
声のした方を見ると、サンタ姿の猫山さんが飲み物を持って立っていた。
「おう。猫山さんもお疲れ」
猫山さんは俺の隣に腰を下ろした。
「イベント、思っていたより忙しいですね」
「だろ? 去年もこんな感じだったよ」
「でも、楽しいですね。お客さんも喜んでくれてますし」
「そうだな」
猫山さんは、少し満足そうに笑った。
「……先輩が言っていたこと、ちょっとわかった気がします」
「何が?」
「準備は大変でも、当日になると楽しいってことです」
「それならよかった」
「はい」
少しだけ沈黙が流れた。
すると、猫山さんがこちらを向いた。
「……ところで、先輩」
「ん?」
「今日、私のこと可愛いって言いましたよね?」
「……言ったけど」
「もう一回、言ってくれません?」
「……は?」
「だって、せっかくのクリスマスですから。サンタさんへのお願いってことで」
「自分でサンタって言うのかよ」
「いいじゃないですか。お願い、聞いてくれないんですか?」
猫山さんは、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
……こいつ、本当に遠慮がない。
「……可愛いよ」
観念して、俺は答えた。
すると、猫山さんの笑顔がぴたりと止まった。
「……っ」
頬が、みるみる赤くなっていく。
「……猫山さん?」
「な、何ですか……」
「いや、言わせたのはお前だろ」
「そ、それは……そうですけど……!」
猫山さんは顔をそらした。
さっきまでの余裕はどこへやら。
その反応を見ていると、少しだけ意地悪をしたくなる。
「なんだよ。自分で言わせておいて、照れてるのか?」
「……うるさいです!」
「ははっ」
「笑わないでください!」
猫山さんは頬を赤くしたまま、俺の腕を軽く叩いた。
けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。
……まったく。
やっぱり、こいつは生意気だ。
でも、こうして少しずつ本音を見せてくれるのは、悪くない。
「ほら、そろそろ戻るぞ」
「……はい」
猫山さんはまだ少し赤い顔のまま、立ち上がった。
そして、バックヤードを出る直前。
「……先輩」
「ん?」
「今日は、最後まで一緒に頑張りましょうね」
振り返った彼女は、いつもの生意気な笑みを浮かべていた。
「……おう。任せとけ」
俺が答えると、猫山さんは満足そうにうなずいた。
俺は再びトナカイのカチューシャをつけ、店内へ戻る。
……今日一日、あと何回笑われることになるんだろう。
隣では、サンタ姿の猫山さんが楽しそうに笑っている。
その顔を見ていると、なんだかんだで、このクリスマスイベントも悪くないと思えてきた。
……ただし。
「先輩、トナカイさん。次のお仕事ですよ?」
「その呼び方やめろ!」
「ふふっ。頑張りましょうね、トナカイ先輩!」
やっぱり、こいつは生意気だ。
――猫山さん。いつか絶対、わからせてやるからな。




