第16話 猫山さんと映画デート?
休日。
俺は、待ち合わせ場所の映画館前でスマートフォンを確認していた。
待ち合わせ時刻までは、あと五分。
……少し早く着きすぎたか。
いや、別に楽しみにしていたわけじゃない。
猫山さんと映画を見て、話をする。それだけだ。
そう自分に言い聞かせていると、不意に後ろから声をかけられた。
「先輩、お待たせしました!」
「おう、猫山さ……」
振り返った俺は、思わず言葉を失った。
「……え?」
落ち着いた色合いのブラウスに、ふんわりとしたスカート。髪もいつもより丁寧に整えられていて、小さなアクセサリーやバッグまで、全体の雰囲気によく合っている。
派手すぎないのに、目を引く。
いつもは生意気な笑みを浮かべている彼女も、今日はどこか大人っぽく見えた。
……いや、待て。
普通に、ものすごく可愛いんだが。
「……先輩?」
「あっ、いや……」
俺の視線に気づいた猫山さんが、不思議そうに首を傾げる。
その仕草まで、いつも以上に可愛く見えてしまった。
まずい。
何か言わないと、いつまでも見惚れていたことがバレる。
「きょ、今日はすごくオシャレだな」
「……え?」
「いや、その……可愛いと思う」
口にした瞬間、自分で言っておいて恥ずかしくなった。
……何を正直に言っているんだ、俺は。
せめて、もう少し言い方があっただろ。
恐る恐る猫山さんを見ると、彼女は目を丸くして固まっていた。
「そ、そうですか……?」
「ああ。すごく似合ってるよ」
「…………っ」
猫山さんは、ぷいっと顔を背けた。
「べ、別に……普通ですけど」
「そうか?」
「そうです!」
いつもの調子で言い返してくるものの、耳が赤い。
そして、俺から顔が見えないように少しうつむくと、口元をきゅっと緩めた。
……何だ?
今、笑ったような。
「猫山さん?」
「な、何ですか!」
「いや、何でもないけど……」
「だったら、早く行きましょう! 映画、始まっちゃいますよ!」
猫山さんは、俺の返事を待たずに映画館の入口へ向かっていった。
その足取りは、どこか弾んでいるように見えた。
……まあ、気のせいだろう。
たぶん。
***
映画館に入った俺たちは、まず上映作品の一覧を確認することにした。
「何を見るか、決めてきたか?」
「いえ。先輩と一緒に選ぼうと思って」
「そうか。俺も迷ってな……」
アクション、ミステリー、ファンタジー。
いろいろなジャンルの作品が並んでいる。
せっかくなら、気楽に楽しめるものがいい。
そう思っていた俺の隣で、猫山さんがあるポスターを指さした。
「先輩、これがいいです!」
「ん?」
指の先にあったのは、恋愛映画だった。
男女の主人公が見つめ合う、いかにも甘そうなポスター。
「……恋愛もの?」
「はい! 面白そうじゃないですか?」
「いや、まあ……そうかもしれないけど」
正直、普段はあまり見ないジャンルだ。
もっと気楽に笑える映画を想像していたのだが。
「先輩、もしかして恋愛映画は苦手なんですか?」
「苦手っていうか、あんまり見ないだけだよ」
「ふうん……?」
猫山さんは、にやりと笑った。
「もしかして、こういうのを見ると恥ずかしくなっちゃうんですか?」
「なっ……! そんなわけないだろ!」
「じゃあ、これにしましょう!」
「いや、話を聞け!」
「決まりですね!」
猫山さんは、さっさと上映時間を確認している。
……こいつ、最初からこれを見るつもりだったんじゃないだろうな。
俺の抗議もむなしく、結局、俺たちはその恋愛映画を見ることになった。
***
映画が始まってしばらくは、思っていたよりも普通に楽しめていた。
主人公たちが出会い、少しずつ距離を縮めていく。
不器用な二人がすれ違いながらも、互いを意識していく展開は、なかなかよくできていた。
……まあ、悪くない。
そう思っていたのだが。
物語が終盤に差しかかったところで、雰囲気が一変した。
主人公たちが互いの気持ちを確かめ合い、熱のこもったキスを交わす。
しかも、一度離れたかと思えば、また抱きしめ合って、なかなか終わらない。
「…………」
俺は、そっと背筋を伸ばした。
隣を見るわけにもいかない。
かといって、スクリーンから目をそらすのも不自然だ。
……どうすればいいんだ、これ。
ふと、隣から小さな物音が聞こえた。
ちらりと視線を向けると、猫山さんがポップコーンの箱を両手で抱えていた。
スクリーンを見つめているものの、頬が赤い。
目が合いそうになった瞬間、彼女は慌てて前を向いた。
……もしかして、猫山さんも気まずいのか?
いや、そもそも、この映画を選んだのは猫山さんだ。
だったら、平気なんじゃないのか。
そう考えているうちに、またスクリーンから甘い台詞が聞こえてきた。
俺は、そっと視線を戻した。
隣の猫山さんも、同じタイミングで姿勢を正した。
……なんだ、この空気。
映画の内容が頭に入ってこない。
さっきまで普通に楽しめていたはずなのに、今は隣に猫山さんがいることばかり意識してしまう。
ようやくエンドロールが流れ始めたとき、俺は心の底から安堵した。
「……終わったな」
「……そうですね」
エンドロールが終わり、館内の照明がつくと、俺たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「ど、どうだった?」
とりあえず感想を聞いてみる。
「……面白かったです」
「そ、そうか。俺も、まあ……よかったと思う」
「……はい」
「…………」
「…………」
会話が続かない。
いや、映画の感想くらい、もう少し何かあるだろ。
けれど、あの場面のことを思い出すと、どうにも言葉が出てこなかった。
猫山さんも同じなのか、いつものようにからかってくる様子はない。
その沈黙が、かえって気になってしまう。
「……そろそろ出るか」
「そうですね」
俺たちは連れ立って映画館を出た。
***
外に出ると、まだ日は高かった。
映画を見終わったばかりだというのに、帰るには少し早い。
「このあと、どうする?」
俺が尋ねると、猫山さんは少し考えたあと、ぱっと顔を上げた。
「ゲームセンター、寄りませんか?」
「ゲームセンター?」
「はい! せっかく来たんですし、少し遊んでいきましょうよ」
「まあ、それくらいならいいけど」
「決まりですね!」
猫山さんは、今度こそいつもの笑顔を見せた。
映画の気まずさから解放された俺も、少しほっとする。
こうして二人で遊ぶのも、悪くないかもしれない。
……仲直りのためのお出かけなんだから、これくらいは普通だろう。
俺たちは近くのゲームセンターへ向かった。
***
ゲームセンターに入ると、猫山さんは目を輝かせながら店内を見回した。
「わあ、いろいろありますね!」
「そうだな。クレーンゲームも結構あるな」
「……あっ!」
突然、猫山さんが声を上げた。
彼女の視線の先には、大きなクレーンゲームがあった。
中には、ふわふわした白い猫のぬいぐるみが入っている。丸い目に小さなピンクの鼻、首元には可愛らしいリボンまでついていた。
「可愛い……!」
猫山さんは、ガラスに近づいてぬいぐるみを見つめた。
その表情は、仕事中に見せる生意気な顔とはまるで違う。
純粋に欲しいものを見つけた子どものようだった。
「欲しいのか?」
「べ、別に? ちょっと可愛いなって思っただけです」
そう言いながらも、猫山さんの視線はぬいぐるみから離れない。
「……やってみれば?」
「言われなくても、そのつもりです!」
猫山さんは財布を取り出し、クレーンゲームに挑戦した。
慎重にアームを動かし、ぬいぐるみの頭のあたりを狙う。
アームが下りて、ぬいぐるみをつかんだ。
「おっ!」
持ち上がったぬいぐるみは、少しだけ動いたものの、すぐに滑り落ちてしまった。
「ああっ! 惜しい!」
「もうちょっとだったな」
「次こそ取ります!」
猫山さんは、再び挑戦した。
しかし、今度はアームがうまく引っかからず、ほとんど動かない。
「……あれ?」
もう一度。
今度は横から狙ってみる。
それでも、ぬいぐるみは少し揺れるだけだった。
「…………」
猫山さんの眉間に、じわじわとしわが寄っていく。
「……なんで取れないんですか」
「クレーンゲームって、意外と難しいからな」
「分かってます! でも、もうちょっとで取れそうなのに……!」
その後も何度か挑戦したが、ぬいぐるみはびくともしなかった。
猫山さんは、とうとう肩を落とした。
「……もう少しなのに」
その声が、思った以上にしょんぼりしていたので、俺は思わず笑いそうになった。
……いや、笑うのはさすがに失礼か。
「猫山さん、ちょっと貸してみな」
「え?」
「俺も一回やってみるよ」
「……先輩、取れるんですか?」
「いや、分からないけど」
「そうですか……。じゃあ、お願いします」
猫山さんは、少し期待するような目で俺を見た。
……そんな目をされると、失敗しづらいんだが。
俺は硬貨を入れ、ぬいぐるみの位置を確認した。
さっきまで猫山さんが狙っていた場所ではなく、少し横にずらしてアームを合わせる。
この手のクレーンゲームは、ぬいぐるみを持ち上げるより、うまく引っかけて出口側へずらすほうがいい。
狙いを定めて、ボタンを押した。
アームが下りる。
ぬいぐるみの首元に引っかかり、少しずつ出口側へと引き寄せていく。
「おっ……!」
ぬいぐるみが出口の近くまで動いた。
もう少し。
アームが持ち上げた拍子に、ぬいぐるみが転がり――。
ぽとん。
取り出し口に、白いぬいぐるみが落ちた。
「……取れた」
「えっ!?」
猫山さんが、驚いた声を上げた。
「と、取れたんですか!?」
「うん。ほら」
俺が取り出し口からぬいぐるみを取り、差し出す。
すると、猫山さんは目を輝かせた。
「わあ……!」
両手でぬいぐるみを受け取ると、ぎゅっと胸に抱きしめる。
「可愛い……! ありがとうございます、先輩!」
満面の笑みだった。
いつものようにからかうこともなく、ただ純粋に喜んでいる。
その笑顔を見ていると、こっちまで嬉しくなってきた。
「気に入ったならよかったよ」
「はい! 大事にします!」
猫山さんは、ぬいぐるみの顔をじっと見つめた。
それから、何かを思いついたように、ぱっと俺のほうを向いた。
「……そうだ!」
「ん?」
「この子、名前をつけましょう!」
「名前?」
「はい!」
猫山さんは、ぬいぐるみを両手で持ち上げ、真剣に考え始めた。
「うーん……。何がいいかな……」
しばらく悩んでいた彼女は、やがて満足そうに頷いた。
「決めました!」
「お、何にしたんだ?」
「近藤先輩です!」
「…………は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「いや、待て。なんで俺の名前なんだよ!」
「だって、先輩が取ってくれたんですから!」
「いや、だからって……」
「それに、先輩みたいに頼りになりますし!」
「ぬいぐるみが俺みたいに頼りになるって、どういう意味だよ……」
「ふふっ。いいじゃないですか!」
猫山さんは楽しそうに笑った。
そして、ぬいぐるみをもう一度ぎゅっと抱きしめる。
「近藤先輩、大事にしますね!」
「……その名前で呼ぶの、やめてくれない?」
「嫌です♪」
即答だった。
……まったく。
せっかくいい話だったのに、最後はこれか。
けれど、猫山さんがあまりにも嬉しそうなので、強く言い返す気にはなれなかった。
***
そのあとも、俺たちはゲームセンターを少し見て回った。
猫山さんは、ぬいぐるみを大事そうに抱えたまま、いくつかのゲームを眺めていた。
ときどき俺に話しかけてきて、さっきまでの気まずさが嘘のように、いつもの調子で笑っていた。
映画を見ている間は、どうなることかと思ったけれど。
こうして一緒に遊んでいると、案外楽しい。
……いや、案外どころじゃないかもしれない。
猫山さんが笑うたびに、つられてこちらも笑ってしまう。
そんな時間が、思っていた以上に心地よかった。
やがて、帰る時間になった。
「今日はありがとうございました、先輩!」
駅へ向かう途中、猫山さんがぬいぐるみを抱えたまま言った。
「映画も楽しかったですし、ゲームセンターにも行けましたし!」
「それならよかったよ」
「それに……」
「ん?」
猫山さんは、少しだけ頬を赤くして、ぬいぐるみの頭を撫でた。
「……先輩に、可愛いって言ってもらえましたし」
「え?」
「な、何でもありません!」
猫山さんは慌てて顔を背けた。
「それじゃあ、またお店で!」
「ああ。またな」
「はい! お疲れさまです!」
猫山さんは笑顔で手を振り、駅の改札へ向かっていった。
その腕の中には、白い猫のぬいぐるみが大事そうに抱えられている。
……本当に、嬉しかったんだな。
そう思うと、自然と頬が緩んだ。
俺も帰ろうと歩き出す。
今日のことを、頭の中で振り返ってみる。
待ち合わせ場所で見た、いつもよりずっと可愛い猫山さん。
褒めたときに赤くなった顔。
恋愛映画を見ている間の、妙に気まずい空気。
ゲームセンターでぬいぐるみを取ったときの、あの満面の笑み。
そして、ぬいぐるみに俺の名前をつけて、大事にすると言ってくれたこと。
「…………」
……あれ?
これって。
俺は足を止めた。
仲直りのために映画へ誘ったはずだった。
なのに、気づけば二人で映画を見て、ゲームセンターで遊んで、笑い合っていた。
しかも、あんなに嬉しそうな猫山さんの顔まで見られた。
「……今日は、本当にデートみたいだったな」
ぽつりと呟いてから、俺は慌てて首を振った。
「いやいや! 違うだろ!」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からない。
ただ――。
次に猫山さんと会うのが、少しだけ楽しみになっている自分がいた。




