第一章6 『ありがとう』
皆んなが私から目を逸らしていく。存在を無視されているように、手を伸ばしてもとってくれない。
心臓が痛い。
肺が痛い。
でも、誰もが私を無視する。メイドさんも執事さんも、お母さまもお父さまも、お兄さまも皆んなが私を視界の中に入れない。
足が痛い。
息が苦しい。
それでも、私はなんでも一人でやらないといけない。
お母様、お父様、どうして私は『いない方がいい子』なの?
お兄様、どうして忌々しげに私を殴るの?
いつかドレスを着てみたいな。いつかアクセサリーをつけてみたいな。おめかしをしてみたいな。フルーツを食べてみたいな。ぬいぐるみがほしいな。
でもそれより、早くこの部屋から出たい。
真っ暗で、ベッドしかない小さな部屋。
埃がたくさんの苦しい部屋。窓もない。
ここは別棟で、私は隔離されているんだって。
いるだけ迷惑だから。ご飯も残り物が配られる。
それを配ってくれるメイドさんは睨みつけてきて、舌打ちしてくる。私がいない方がいい人間だから。
誰も喋ってくれない。壁に身をもたれさせながら移動して、離れている場所にある風呂場で湯浴みをする。
移動するだけで、心臓がいつもより痛くなる。
ああ、私は一生このままなのかな?
誰とも笑い合えないまま、死んでいくのかな?
イヤだな。
『お前なんて生まれてこなければよかったんだ』
父から言われたその言葉が脳裏を過り、
私はハッと目を覚ました。
◇◆◇
目を覚ますと、最初に知らない天井が目に入った。
変な夢を見たせいで息が乱れている。
息を整えながら、レールカは身体を起こした。
――そうだ、私はもうあの部屋にはいない……
――エクセレーネ邸……私は魔女の……
「起きたのかい? お嬢さん」
突如として左横から穏やかな声が聞こえてきて、レールカは肩を震わせる。そして、慌ててその方を向いた。
するとそこには和かに微笑んでいる男の姿が確認できる。イリオスだ。彼はベッドの縁に腰をかけていて、レールカの左手首を優しく掴んでいた。
「……っなん、なんで……ここに……?」
「立ち寄ってみれば、お嬢さんが酷くうなされていたからな」
「わかるのですか……? 目が見えてないって……」
「当然だとも。目が見えなくても、『魔女』の視界は暗闇ではないものでね」
よくわからないことを言う彼は全盲だ。
それなのに、その目線の先にはちゃんとレールカがいる。
それが何よりも嬉しくて、何よりも怖くなる。
「っごめんなさい……対等になりたいと言った側から心配をかけさせてしまって……」
「どうして謝るんだい?」
イリオスはまた悲しそうな顔をして聞いてきた。
「私なんかに、貴方の時間を使わせたから…………迷惑をかけてしまいましたから」
レールカにとって、イリオスは『未知』そのものだ。レールカは誰からも心配されたことがない。心配される、それ即ち心配してくれた相手の貴重な時間を少なからず奪ったということ。迷惑をかけたも同然なのだ。
『価値のない人間が、価値のある人間の時間を奪うことは許されない』
幼き日に母からそう教えられきた。だから今、イリオスの時間を奪っていることに少なからず抵抗がある。それと同時にこの部屋を無価値な私に貸してくれて、それで笑いかけてくれるイリオスという人間が理解できない。
「お嬢さんに好かれたい、頼ってもらいたい私としては、もっと心配させてほしいところなんだがね」
イリオスから言われたレールカは思わず頬を赤く染めると、咄嗟に彼から目を逸らした。
「……っ! ご冗談を」
わからない。本当にわからない。
イリオスという人間が。
「ともかく、今は安静にしているといい。あと少しでネリーハがここにくると思うから、どうか彼女の相手をしてやっておくれ」
ネリーハという女性もまた不思議な人だ。
とても力が強くて、たまに変なことを言う。
「もっと一緒に居たい気持ちはあるが……多忙な身なので失礼させてもらうよ」
穏やかな物腰で言いながら、イリオスは杖を左手にゆっくり立ち上がる。それをふと不思議に思って、レールカは不安になりながら彼の方を向いた。
「お仕事ですか?」
「ああ。これでも一国を率いている身。お嬢さんを守るためにも表舞台に出なければならないんだ」
イリオスはまた不思議なことを言って綺麗な敬礼をみせる。
彼は今なんて言った?
『魔女』が一国を――?
「表と裏は上手く使うもの――というだけだ。なに、心配はいらないよ」
レールカが口を挟む前に、彼はその説明を含みのあるように紡いできた。そして杖で地面を軽く叩きながら部屋の扉へと足を進める。その後ろ姿をみて、レールカは咄嗟に彼を呼び止めた。
「待って……!」
イリオスは不思議そうに振り向いてくる。
「どうかしたのかい?」
「その……車椅子も、この部屋も、お風呂も、大きくてふかふかなベッドも……ご飯も! その! ありがとう……!」
恥ずかしながら辿々しくても、目一杯に感謝の言葉を叫んだ。
するとイリオスは穏やかに微笑み、
「どういたしまして。ああ、このことに恩返しは求めていないからね、お嬢さん。私が勝手にやりたくてやったことだ」
物腰柔らかく言ってきた。彼は穏やかな姿勢のまま扉からこの部屋を後にする。
レールカは彼に感謝を伝えられことに安心して、胸を撫で下ろした。
イリオスがいなくなった部屋の中では、物静かな空気が流れていた。それからレールカは眠い目を擦り、ぼさぼさになった自分の長い髪を一つにまとめる。薄紫色のこの髪は一度だけしか切ったことがないため、腰の下まで伸びていた。
ベッドの右側の壁にある窓を覗いてみると、辺り一面に雪が降り積もっているのが確認できる。昨日は降っていなかったように思えるが――どうりで寒いわけだ。
被り布団を肩までかぶって、レールカは一人になった静かな部屋の中で浮かない顔をした。
するとその時だった。
「レールちゃんを一人にするなんて……ダメね、これだから万年ボッチさんは」
そんな優美な声がベッドの下から聞こえてきて、レールカは思わず肩を震わせる。何事か、と身構えていると、ベッドの下からゆっくり女の人が姿を現した。ネリーハだ。
艶美な見目をしている彼女は今やローブも仮面をつけていない。淡い桃色の長い髪を顕にさせ、より一層と美しさを際立たせていた。そして何事もなかったかのようにレールカがいるベッドの横に立つ。それをレールカは思わず目を見開いて見つめていた。
「……ずっと、ベッドの下に隠れていたのですか……?」
「ええ。レールちゃんの寝顔が可愛くって見惚れていたら、気がついたらベッドの下に隠れていたわ」
平然と答えるネリーハはイリオスよりも変人だ。
思考が読めない、本当によくわからない人だ。
それよりも寝顔を見られていたことが恥ずかしい。
赤面していると、ネリーハの両腕に抱えられた。
そして軽々と持ち上げられて、気がつけばおレールカは姫様抱っこをされていた。
「…………?」
「車椅子の準備を忘れていたから我慢して頂戴。一緒に朝ごはんを食べましょう?」
朝ごはん……というものをレールカはよく知らない。
レールカが元々いた場所は窓がない部屋だったから、昼か夜か朝かよくわからない時間に起きて、一日一食、配られていた残り物を食べる。それの繰り返しだ。
十歳児と勘違いされるくらいの小柄というのは体質もあるのだろうが、この食生活も一つの原因にあるだろう。
レールカはひとまず、ネリーハに身を委ねた。




