開かれた禁忌
心臓が、耳障りなほどドクドクと音を立てている。
エデンにおいて、未登録のデバイスを起動することは重大な規律違反だ。もしパノプティコンに検知されれば、「精神最適化」という名の、実質的な記憶消去措置を受けさせられる。そうなれば、父への切ない恋しさも、この世界への違和感も、すべて綺麗に削ぎ落とされて「幸福な人形」にされてしまうだろう。
それでも、ハルは止まれなかった。メモリを握る指先が、じりじりと熱い。
ハルは自室の学習用ホログラム・プロジェクターの拡張ポートに、震える手でそのメディアを差し込んだ。
カチリ、と硬質な音が響くと同時に、部屋の照明が自動的に暗転する。
空間にノイズが走り、浮かび上がったのは、エデンの洗練された3Dフォントとは違う無骨なテキストデータ。そして――いくつかの動画ファイルだった。
ハルは唾を呑み込みながら、最初の動画ファイルを空間でタップした。
光が広がり、部屋の中に映し出されたのは、鬱蒼とした、見たこともないほど深い「緑」だった。エデンの遺伝子組み換えされた均一で綺麗な街路樹ではない。不揃いで、不気味で、圧倒的な生命力を持った本物の森だ。
カメラの視界が揺れ、やがて森が開ける。
そこに現れたのは、歴史アーカイブのバーチャル博物館でも見たことがないような、奇妙な光景だった。茅葺き(かやぶき)の屋根がいくつも並ぶ「村」の立体映像。
「……何、これ……?」
ハルは呆然と呟いた。
画面の中の人々は、麻のような粗末な服をまとい、クワで地面を掘り返していた。彼らの手元には、スマートデバイスもモニターも、情報端末の類は一切ない。あるのは、パチパチと爆ぜる本物の炎だけだった。
彼らの顔には、エデンの市民のような、計算された澄んだ笑顔はなかった。
泥にまみれ、汗を流し、苦悶に表情を歪めている。
動画の背景から、低く、かすれた声が聞こえてきた。聞き間違うはずのない、父・和真の声だった。
『……記録コード、八津里。ここはエデンの外周に位置する、電磁隔壁に囲まれた第4実験場だ。住民は、ここが世界のすべてだと信じている。彼らは、我々エデンが捨て去った「苦痛」と「労働」を実験させられている、箱庭の住人だ』
ドクン、とハルの心臓が跳ねた。
父の声は震えを帯び、どこか深い愛情を湛えながら、こう続けた。
『……そして、この場所には、私のもう一人の娘がいる……』
「え……?」
ハルは目を見開いた。息の仕方を忘れたように、口元が戦慄く。
もう一人の娘?
自分は一人っ子で、両親の愛を一身に受けて育ってきたはずだった。
頭が真っ白になるハルの前で、映像のカメラが、一人の少女の姿をズームアップした。
ハルは息を呑んだ。
粗末な服を着て、額に汗を浮かべたその少女の顔立ちは――自分と、あまりにも酷似していた。
村の少女が、ふとカメラの方向――すなわち、画面を見つめるハルの方を、まっすぐに見つめ返してくる。まるで、時空を超えて視線が交わったかのように。
その瞬間。
「ハル。異常な心拍数の上昇、および脳波の乱れを検知しました。リラクゼーションプログラムを起動します」
天井からパノプティコンの無機質な声が響くと同時に、部屋のドアが外側から重々しくロックされる音がした。強制的な精神安定剤が噴出される前触れだ。
しかし、ハルはもう、さっきまでの自分ではいられなかった。
メモリをプロジェクターから引き抜き、胸に強く抱きしめる。恐怖を遥かに凌駕する衝撃と、まだ見ぬ「半身」への強烈な想いが、ハルの胸の中で激しく燃え上がっていた。




