人食いの獣
激しい脳波のフラッシュが収まりきらないうちに、世界の終わりを告げる足音がやってきた。
ドォン、ドォン、と大地を文字通り震わせる、重々しい金属音が山々に反響する。電磁隔壁のエデン側、鬱蒼とした木々をへし折りながら姿を現したのは、これまでの防犯ドローンとは一線を画す、漆黒の装甲をまとった財団の『特殊駆動部隊』だった。
人間の規格をはるかに凌駕した、3メートルを超える巨体。鈍く光る超硬質合金のフレームに、無感情に周囲を走査する血のような赤の単眼。それは文字も文明も持たない澪の目には、天界の神々が怒り狂って遣わした、この世の終わりを告げる鉄の化け物にしか見えなかった。
化け物は、うずくまるハルを見下ろし、その駆動関節を冷酷に軋ませて距離を詰めていく。
『被験体01(ハル)を確保。周辺の生体ノイズを排除。――被験体02(澪)が接近を続ける場合、ただちに脳内チップを強制停止』
化け物の胸部から響くのは、人間の温かみが微塵もない、合成された冷徹な機械音声だった。
ハルは激しい頭痛に視界を歪ませながらも、必死に逃げようとしたが、漆黒の巨大な鋼鉄の脚が、冷酷にその行く手を阻む。
「ハル……っ!!」
隔壁の向こう側で、澪の叫びが雨を切り裂いた。
圧倒的な神の暴力とも言える存在を前に、澪の身体は恐怖でガタガタと震えていた。だが、彼女は折れそうな歯を食いしばり、両手でクワをきつく握りしめた。そして、触れれば命を削る半透明の壁に向かって、弾かれたように一歩を踏み出す。
「その、人食いの獣ども……! ハルから離れろっ!」
「澪、ダメ! 近づかないで! 撃たれる……っ!」
ハルが喉をからして叫んだ瞬間、駆動兵器の右腕に備え付けられた銃口が、無慈悲に澪へと向けられた。
キィィィンと空気が励起する音がしたかと思うと、不可視の指向性衝撃波が放たれる。ドォン!という爆音と共に電磁隔壁がバチバチと激しく青白い火花を散らし、まともにその余波を浴びた澪の身体は、木の葉のように軽々と後ろへ吹き飛ばされた。
「う、あ……っ……が、はっ……!」
激しく叩きつけられた澪は、肺の空気をすべて吐き出し、激しく咳き込んだ。
口の中に広がる生臭い鉄の味。全身を襲う凄まじい打撲の痛み。
這いつくばる彼女の頭上には、どんよりとした本物の雨雲が広がり、冷たい雨が容赦なくその肌を打ち据え、体温を奪っていく。
自然は本物だ。自分たちが日々流してきた血と汗も、凍える冬の飢えの苦しみも、昨日仕留めた猪の剥き出しの命の味も、すべては本物だったはずだ。
だが――自分のクワなど爪楊枝ほどにも思えない、平然と激しい雨を弾く鉄の兵器。それが再び発した無慈悲な音声が、澪が生まれてから信じ続けてきた「世界のすべて」を、あまりにも容易く粉々に打ち砕いていく。
『警告。被験体02。当領域は、最高世代AIによるQOL(生活の質)比較対照実験場。あなた方の出生、人生、労働、および生存確率はすべて、財団の管理下にあります』
「実験……? 管理……? お前ら、何を、言って……」
澪は必死にクワを杖にして、震える足で立ち上がった。
その瞬間、澪の頭の奥で、先ほどハルとの共鳴によって強制的に流れ込んできた、見たこともない『文字』や『知識』の意味が、パズルのピースが噛み合うように、最悪な形で結びついていく。
「お触れの壁」の向こうには、夜になると人を食う凶暴な化け物なんて、最初から一匹もいなかった。
自分たちをこの過酷で不便な環境に縛り付け、疑問を持たせないように、そしてこの境界線の壁に近づけさせないために、村の長たちに「嘘の怪異」を語らせ、都合よく怯えさせていただけだったのだ。
自分たちは、この大自然の山奥ごと、巨大な目に見えない網で捕らえられたただのモルモット。
「じゃあ、俺たちが毎年、仲間が死ぬのを見送りながら、命がけで冬を越えて……必死に生きてきたのは……」
澪の瞳が、驚愕と、すべてを裏切られた絶望に大きく見開かれる。
「お前らのお遊び(実験)のためだったっていうのか……!? 俺たちの命は、何なんだよ……っ!」
激しい目眩が澪を襲う。世界そのものに拒絶されたようなあまりの衝撃に、彼女は足の感覚を失い、再び泥の中に崩れ落ちそうになった。




