脳波の共鳴
「なぁ、ハル。お前もうちの村に来ればいいのに。そんなところ、捨てちまえよ」
澪が切なげに眉をひそめ、電磁隔壁へとさらに一歩近づいた。ハルもまた、吸い寄せられるように壁へと顔を寄せる。
二人の物理的な距離が、透き通った隔壁を挟んで、わずか数十センチメートルまで縮まった――その瞬間だった。
キィィィィィン――!!
鼓膜を直接針で突き刺されたかのような、凄まじい高周波の耳鳴りが、二人の脳を同時に直撃した。
「う、ああっ……!?」
「頭が……割れる……っ!!」
二人は同時に短い悲鳴を上げ転がった。頭蓋骨の内側から脳を直接かきむしられるような激痛に、のたうち回りながら頭を抱える。
至近距離で、全く同じ遺伝子を持つ二人の生体チップが接近したことで、脳波の共鳴が安全圏を超え、臨界点を突破したのだ。
それは単なる痛覚の共有ではなかった。互いの記憶と視覚が、怒涛の濁流となって脳内へと逆流し始める。
ハルの視界に、澪が今見ている、激しい雨に煙る緑の森と泥の匂いが、異常な鮮明さでオーバーラップする。それどころか、澪がこれまでに味わってきた、冬の凍えるような本物の「寒さ」や、仕留めた獣の血生臭さ、焚き火の爆ぜる爆音までもが、津波のようにハルの神経を侵食していく。
一方、澪の視界には、ハルの脳内にある、エデンの幾何学的な白い高層ビル群、空を飛び交う無数のドローン、数字と記号で埋め尽くされたホログラムディスプレイの光景が流れ込んでいた。文字すら知らない、教育も受けたことのない澪のまっさらな脳に、エデンが蓄積してきた膨大な電子データログが、強制的に直接書き込まれていく。
「あ、あ、頭の中に……見たこともない『もの』が、景色が、……たくさん……入ってくる……! 身体が、熱い……っ!」
澪が白目を剥きそうになりながら、激しく過呼吸を起こして悲鳴を上げる。
限界を超えた共鳴は、二つの「箱庭」の遥か上空、実験を管理するエデン政府の最高世代AI、そしてこの非人道的なプロジェクトを裏で統括する『財団』のモニタリングルームに、決定的なアラートを鳴り響かせていた。
ピコン、ピコン、ピコン。
無機質な赤い警告灯が、冷徹なオペレーターたちの顔を照らす。
『警告。被験体01(ハル)および被験体02(澪)の脳内物質、および脳波同期率が98.2%を記録。双方の自我境界に重大な融解の兆候あり。QOL比較対照実験の継続に、致命的なエラーが発生しています』
オペレーターたちが一斉にキーボードを叩き、巨大なスクリーンを見つめた。
「何が起きている? 汚染区域の電磁隔壁の境界に、行方不明だった宮代ハルが潜伏しているのか?」
「脳波が完全に融合しかけている。これ以上の共鳴は、実験データの汚染どころか、被験体そのものの脳死を招く。……即座に二人を引き離せ。境界エリアへ特殊駆動部隊を急行させろ」
ルームの奥から、プロジェクトの責任者が冷酷な声で追命を下した。
「手段は問わん。万が一、回収作業に抵抗するようであれば、片方の脳の生体シグナルを強制停止させても構わん。貴重なサンプルだが、実験全体が崩壊するよりはマシだ」
二人がただ純粋に互いを求め、言葉を交わした代償。
それは、偽りの世界を揺るがす致命的な「バグ」として、狂気の実験機構の容赦ない牙を完全に呼び覚ましてしまった。
激しい頭痛と視界の狂気の中、ハルは遠のいていく意識の向こうで、隔壁の向こう側で同じようにもがいている澪を見つめた。
遠くから、エデンの重々しい駆動兵器の足音が近付いてくるのが聞こえる。追手は、もうすぐそこまで迫っていた。




