不自由と不便と
けれど、逆にハルを心の底から驚かせ、羨望させたのは、澪の語る「世界の姿」だった。
「季節の移ろい……? 季節によって、衣服を着替えるの?」
「当たり前だろ。春には桜が咲いて山が笑う。夏は暑くて、みんなで川に飛び込むんだ。秋には山いっぱいに木の実が実って、冬は……凍え死にそうになりながら、じっと春を待つ。また春が来て桜が咲く。お前のところには、冬はないのか?」
「……ないよ。いつでも22度。雨もホログラムだから、本当に濡れることもないの」
ハルが寂しそうに答えると、澪は信じられないといった風に首を振った。「なんだそれ、雨じゃないな」と。
さらに澪は、昨日、村の男たちが仕留めたという「山猪」の肉の話を楽しそうに語った。
「皮を剥ぐのは血生臭くて最悪だ。だけど、みんなで火を起こして、じっくり炙って、脂の滴る肉を口に放り込んだ瞬間は……思い出すだけでヨダレが出る。生きててよかったって、心の底から思うんだ」
ハルは、自分が手にしているストロベリー味の無機質なジュレを見つめた。
ボタン一つで、何のリスクもなく、誰の血も流さずに手に入る、完璧な栄養。けれどそこには、澪が語るような「生きててよかった」という震えるほどの感動は、ただの一度も含まれていなかった。
命を勝ち取るための、贅沢な不便。
すべてを与えられ、飢えることすら許されない、不自由な豊かさ。
二人の会話が深まるにつれ、ハルの中で、澪が持つ「剥き出しの生」への憧れは、だんだんと膨れ上がっていった。
そんなハルに、澪はクワに体重を預けながら、ふと思い出したように言った。
「そういや、俺、もうすぐ婚礼なんだ」
「え……?」
ハルは持っていた端末を落としそうになった。耳を疑う。
「け、結婚、するの? その年で?」
「ああ。小さい頃からよく知ってる、村の男だ」
「その人のこと、好きなの……?」
ハルの問いに、澪はきょとんとした顔をして、それから可笑しそうに鼻で笑った。
「好き? さあな、そんなこと考えたこともない。村の長たちが決めたことだ。それが普通だろ。きっと来年には、俺に子どもが生まれる。……かわいいだろうなあ」
「そ、そんなの嘘でしょう……!?」
ハルは愕然として声を荒らげた。好きでもない村の男と、16歳という若さで結婚して子どもを産む。文字も知らないコミュニティの歯車として消費されるだけの人生。それはエデンの倫理観からすれば、悍ましい人権侵害でしかなかった。
「そんな、村の都合だけで結婚するなんて、どうかしてる! 自分の意志はないの?」
「じゃあ、お前のところはどうなんだよ」
澪にまっすぐな瞳で見返され、ハルは言葉に詰まった。
「エデンでは……すべてAIが管理しているの。性格、適性、遺伝子の相性を完全に計算して、最も欠陥のない、最適な結婚相手をマッチングされる。一応、3人程度の選択肢は与えられるけれど……。それに、結婚はすべてのオンライン授業を終えて、社会的な役割をこなしてからっていう決まりがあるの。人によって時期はバラバラだけど、16歳なんてあり得ない」
「子どもは?」
「子どもも……体外受精や人工子宮で作られるのが一般的だから、自分で産む人なんてほとんどいないと思う」
今度は澪が、言葉を失う番だった。
澪はまるで、冷たい機械の化け物の話でも聞くかのように、怪訝な目でハルを見つめた。
「全然知らない奴と結婚するのか? 役目をこなすまで家族も持てねえのか? 腹を痛めて産んだ我が子を抱くこともないのか?」
澪の言葉が、鋭い刃となってハルの胸に突き刺さる。
「……気味が悪いな」
その一言に、ハルは反論できなかった。
どちらの箱庭が地獄で、どちらの箱庭がまともなのか。
二人の間に横たわる電磁隔壁が、まるで互いの歪んだ世界を映し出す鏡のように、激しく明滅していた。




