魔法の道具
それから数日。ハルは隔壁のすぐ近くにある、薄暗い岩の洞窟を隠れ家にしていた。
「――おーい、いるか?」
草木を分ける音と共に、隔壁の向こう側から澪が顔を出した。ハルはホッとして、洞窟の奥から這い出る。二人はこの数日間、誰の目にも触れないこの境界線の境目で、静かに密会を重ねていたのだ。
「澪! 今日も来てくれたんだね。……これ、お腹空いてない?」
ハルがポケットから取り出したのは、手のひらサイズの金属製の筒――エデンの『携帯用分子収束プリンタ』だった。
ハルがボタンを押すと、筒の先端から青い光が放たれ、空間に1個の美しい立方体が出現する。それは、完璧な栄養バランスと、人工的なストロベリーの香りを放つ、エデンのジュレフードだった。
「な、なんだそれは……!? 光の中から食べ物が出た……!?」
澪は電磁隔壁の向こう側で、腰を抜かすほど驚いて目を見開いている。あまりの衝撃に、尻餅をつきそうになりながらクワを落とした。
「これはプリンタ。そのへんの空気の成分を組み替えて、食べ物を作る道具だよ。あげる、隔壁の隙間から……あ、ダメか」
ハルはハッとして手を止めた。隔壁に物を近づければ、分子レベルで焼き切られてしまう。渡してあげることも、食べさせてあげることもできないのだ。
しかし、澪は怖がりながらも、ハルが繰り出す未来の「魔法」に興味津々だった。
ハルが次にポケットから取り出したのは、父のガレージで見つけた、エデンでは一世代前の携帯情報端末だった。薄いガラス板のようなデバイスにハルが触れると、画面が鮮やかに発光する。
「うおっ! 板が光った!?」
「これは端末だよ。驚くのはまだ早いよ、見てて」
ハルが画面をスワイプすると、端末のスピーカーから、エデンで流行している美しい電子音楽が流れ出した。透き通るような歌声と、聞いたこともない楽器の複雑な旋律が、静かな森に響き渡る。
澪は耳を限界までそばだて、驚きと感動が混ざり合ったような顔で固まった。
「……綺麗な音だな。箱の中から人が歌ってるのか? 妖精か?」
「ふふ、違うよ。データが再生されてるだけ。あと、こういうこともできるの」
ハルがカメラ機能を起動し、隔壁の向こうの澪にレンズを向けてシャッターを切った。チカッと小さなフラッシュが光る。
「なっ、今度は何だ! 目がくらむ!」
「ほら、見て」
ハルが画面を隔壁に押し当てるようにして見せると、そこには、驚いて間抜けた顔をした自分自身の姿が、寸分の狂いもなく鮮明に映し出されていた。それどころか、ハルが画面をピンチアウトすると、澪の顔が立体的なホログラムとして空間に浮かび上がる。
「わあああっ!? お、俺が、俺がもう一人いる……! 呪われるのか!? 魂を抜かれたのか!?」
澪は本気でパニックになり、頭を抱えて数歩飛び退いた。その野生動物のような素直なリアクションが可笑しくて、ハルはエデンにいた頃には決して見せなかったような、お腹の底からの笑い声を上げた。
「あはは! 呪われないよ! 写真っていうの。あなたの姿を、そのまま記憶しておく道具。ほら、私とあなた、本当にそっくりでしょ?」
怯える澪に、ハルは身振り手振りで優しく説明を続けた。
超小型のLEDライトが太陽のように闇を照らす様子や、すり傷に吹き付けるだけで一瞬で痛みを消し去るスプレー式のナノ医療薬――。
ハルが一つガジェットを動かすたびに、澪は「お前は天界の神様か何かなのか」と、子供のように純粋に目を輝かせた。エデンでは誰もが持っている退屈な日用品の数々が、この過酷な箱庭で生きる澪にとっては、世界の理を覆すほどの奇跡の塊だった。




