地獄の中
激しい雨が二人の頭上に降り注ぐ中、電磁隔壁という歪んだ透明な窓を挟んで、二人は少しずつ、しかし確実に、奇妙な対話を深めていった。
ハルが問いかけ、澪が戸惑いながらも拙い言葉で自分の日常を語る。その一つひとつは、至れり尽くせりの環境で育ったハルにとって、想像を絶するほど残酷で不条理な「野蛮な暮らし」そのものだった。
「電気も、ガスもない世界なんて信じられない……。夜になったら、どうするの?」
「ひ、を、おこす。油を燃やす。あとはもう寝るだけだ」
「じゃあ、病気になったら? どこかが痛くてたまらないときは、どうするの?」
「天に祈る。薬草を摘んできて噛む。……それでも死ぬ奴は、死ぬ。当たり前だ」
澪が事もなげに言った。
隔壁のすぐ向こうにある澪の肉体は、近くで見れば見るほど痛々しさに満ちていた。手首は細いのに、クワを握りしめ続けた掌は無数のマメでゴツゴツと硬く、指先は酷い霜焼けで赤黒く腫れ上がっている。厳しい冬が来るたびに、村では何人もの人間が凍え、飢えに怯え、なす術もなく命を落としていくのだという。
(やっぱり、ここは地獄だ……。病気も飢えもAIがすべてを先回りして管理するエデンとは大違いだわ)
ハルは激しい衝撃に胸を突かれ、目の前の双子の妹があまりにも不憫で、涙をこぼしそうになった。
――しかし、ハルの同情を拒絶するように、澪の口から次に出た言葉が、ハルの胸の奥深くを激しく穿つことになる。
「でも、泥まみれになって、みんなで育てて収穫したばかりの野菜は、ひっくり返るほど美味いんだ。お前も、そう思うだろ?」
「え……」
「それに、うちには頑固だけど優しい婆さまがいる。隣の家の奴らだって、一日のきつい仕事が終わればみんなで一箇所に集まって、焚き火を囲んで下らない話をしたり、腹の底から笑い合うんだ。誰かが怪我をして動けなくなれば、自分の分を減らしてでも、みんなで飯を分け合うし、助け合う。辛いことも多いけど、それが……当たり前だろ?」
澪が、雨に濡れた顔で、ふっと濁りのない白い歯を見せて笑った。
その瞬間、ハルは息を呑み、言葉を失った。
文字の読み書きもできず、本一冊与えられず、ただ生きるためだけの過酷な労働に縛られ、明日をも知れぬ命。
それなのに、澪のその野生的な、鋭い瞳の奥には、ハルがエデンの平穏な暮らしの中でどうしても手に入れられなかった、圧倒的な「生への輝き」と力強さが満ち満ちていた。
不便で、残酷で、あまりにも不条理な世界。
けれどそこには、他者を心から思いやり、限られた食べ物を譲り合い、仲間と体温を分け合って支え合う、「心」が生きていた。
ひるがえって、自分のいるエデンはどうだろう。
傷つくリスクを徹底的に排除された代わりに、他人の痛みに心から寄り添うこともない。AIに宛がわれた、最適化された無機質な幸福をただ消費し、誰とも深く繋がれないまま、学校もSNSもすべてが透き通ったカプセルの中で、ただ生かされているだけ。
(本当に地獄にいるのは……どっちなの……?)
ハルの胸に、冷たい戦慄が走る。
どちらの箱庭がより幸福か。実験の答えが、ハルの脳内で完全に狂い始めていた。




