表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/16

『福を食らう牙』

 その男、佐伯は、都内の安アパートで「招き猫」に囲まれて暮らしていた。

 玄関、窓際、枕元、そしてトイレの蓋の上にまで、陶器製、プラスチック製、木彫り……あらゆる種類の、右手を挙げた猫たちが並んでいる。

 それは一種の「しゅ」だった。

 

 佐伯は信じていた。猫がいつか、自分に「本物の幸運」を招き寄せてくれることを。

 だが、招き猫というモノは、福を呼ぶと同時に、持ち主の「執着」という名の毒を吸い込んで肥大していく魔物でもあるのだ。


 ある日、佐伯は一匹の黒柴犬を拾った。

 雨の夜、ゴミ捨て場の隅で、濡れた炭のような色をして震えていた。

 

 佐伯は動物など好きではなかったが、その黒柴の右前脚が、まるで招き猫のように不自然に曲がっているのを見て、反射的に連れ帰ってしまった。

「お前も、福を呼ぶのか?」

 佐伯は、黒柴に『フク』という名をつけた。それがこの犬にかけた最初の「呪」だ。


 アパートに連れ帰った瞬間、異変は起きた。

 部屋中の招き猫たちが、一斉にカタカタと震えたのだ。

 フクは唸り声を上げた。その牙は白く、剥き出しになった歯茎からは野性の、そして獣特有の生臭い匂いが漂う。

 

 その夜から、佐伯の生活は一変した。

 フクは、棚に並んだ招き猫を、一匹ずつ、丁寧に噛み砕いていった。

 バキリ、という硬質な音が真夜中の静寂を裂く。陶器の破片が散らばり、佐伯が何年もかけて集めた「福の予感」が、ただの瓦礫へと変わっていく。


「やめろ、やめてくれ!」

 佐伯は叫び、フクを蹴り上げようとした。

 だが、その瞬間。

 

 フクの瞳が、黄金色に輝いた。

 それは招き猫のガラス玉の瞳ではない。深山みやまの闇を凝縮したような、恐ろしくも神々しい、本物の獣の光。

 

 佐伯は、動けなくなった。

 格闘家がリング上で、圧倒的な死の予感に打たれて硬直するように。

 

 フクは、最後の一匹――佐伯が最も大切にしていた、江戸時代の骨董品の招き猫を口に咥えた。

 そして、ゆっくりと咀嚼した。

 ゴリ、ゴリ、という音が佐伯の脳髄に直接響く。

 

 次の日の朝。

 部屋からすべての招き猫が消えていた。あるのは無数の破片と、満腹そうに眠る黒柴犬だけだ。

 

 佐伯は絶望した。

 おれの幸運が、おれの執着が、すべてこいつに食い尽くされた。

 

 しかし、その時、電話が鳴った。

 何年も前に絶縁した父からの遺産相続の知らせだった。さらに、宝くじの当選、音信不通だった恋人からの謝罪……。

 

 雪崩のように、幸運が押し寄せてきた。

 招き猫を壊されるたびに、佐伯の運気は爆発的に上昇していったのだ。

 

 マジか?

 マジか!

 

 佐伯は狂喜した。

 やはりこの犬は『フク』だった。

 モノへの執着を破壊することで、真の福を招き寄せる「生きたしゅ」だったのだ。

 

 佐伯はフクを溺愛した。

 最高級の肉を与え、絹のクッションに寝かせた。

 だが、フクは次第に痩せ細っていった。

 部屋に壊すべき招き猫がなくなったからだ。

 

 フクは、悲しげな声で鳴き、佐伯の右手をじっと見つめるようになった。

 

 佐伯は理解した。

 この犬は、食い続けなければ死ぬ。

 そして、この犬が死ねば、今の幸運もすべて消え失せるだろう。

 

 佐伯は、自分の「執着」の正体を知った。

 彼は金が欲しかったのではない。愛が欲しかったのでもない。

 「福を招いている自分」という状態に、狂おしいほど執着していたのだ。

 

 一週間後。

 佐伯の部屋には、穏やかな幸福が満ちていた。

 

 佐伯は満足げに笑い、左手だけでフクの頭を撫でている。

 

 フクは、その足元で、何やら赤い肉のようなものを幸せそうに噛み砕いていた。

 

 それは、佐伯が自ら差し出した、「招く」ためにしか使わないはずの、右の手、、、首、、、。


どうだい。

「幸運」という名の毒に当てられた男が、最後には自分の一部を供物にして、その幸福を維持しようとする。

これこそが人の「業」だ。

招き猫という無機質なモノへの執着が、黒柴犬という生身の獣を介して、血肉を伴う本物の「呪」へと完成したわけだ。

君の右手は、今、無事かな。


フフフフ

このとげが、君の心に深く刺さったまま抜けないことを願っているよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ