虚空の曼荼羅(こくうのまんだら)
宇宙の果て、事象の地平線にへばりつくように浮かぶ監獄惑星「アビ」。
そこには、銀河連邦が最も恐れる犯罪組織『無相会』の残党が潜んでいる。
宇宙刑事・ゼンは、チタン製の戦闘スーツに身を包み、凍てつく真空を歩いていた。彼の背負った重力十手が、獲物の「業」に反応して、カチリと鳴る。
「ゼンよ。まだ追ってくるか」
通信波に混じるのは、組織の首領、老いた道化師のような声。
ゼンの執着は、正義感などという高尚なものではない。彼は、この宇宙から「悪」が消えることを何よりも恐れていた。悪が消えれば、それを取り締まる「刑事」という己の存在理由が、宇宙の塵となって消えてしまうからだ。
彼にとって犯罪組織とは、魂を繋ぎ止めるための、唯一の錨であった。
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ゼンは、廃墟となったドームの奥へと踏み込む。
鼻腔を突くのは、古いオイルの焦げた匂いと、線香の煙に似た静電気の香り。ドームの中央には、虚空を見つめる巨大なホログラムの仏像が鎮座していた。その指先には、組織の幹部たちが、まるで数珠の珠のように数万個の冷凍睡眠カプセルに収められ、円環を成している。
「これこそが我が組織の最終形態。すべての個を消し、一つの『コム』へと昇華する儀式だ」
首領アクーが笑う。
ゼンは、その笑い声を遮るように、呪を唱えた。
**「——同定。個体識別番号:零。真実の名を以て、汝を定義する」**
ゼンの放つ光条が、首領の影を地面に縫い付ける。
この「定義」こそが、宇宙刑事に与えられた絶対の拘束。名を与えられた者は、その名の通りの役割から逃れることはできない。
「お前は『大悪党』だ。逃げることも、消えることも、死ぬことも許されない」
ゼンは首領アクーの首筋に十手を突き立てる。
首領の顔が歪む。恐怖ではなく、憐憫に。
「哀れなのはお前だ、ゼン刑事。お前は私を捕らえたいのではない。私という『標的』がいない世界に、一秒たりとも耐えられないだけだ」
格闘の最中、ドームの隙間から銀河の光が差し込む。
それは美しく、あまりにも無慈悲な静寂だった。遠くで超新星が爆発し、音のない断末魔を上げている。その光がゼンのバイザーに反射し、彼の眼差しを銀色に染めた。
ゼンの指先が震える。
この男を殺せば、組織は壊滅する。
組織が壊滅すれば、ゼンの物語は終わる。
彼は、自らの内に煮え滾る「業」を自覚していた。
彼は首領アクーを殺さなかった。代わりに、自らの戦闘スーツを解除し、自らの心臓に直接、プログラムを打ち込んだ。
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数年後。
銀河には、新たな巨大犯罪組織『シン・無相会』が誕生し、各地で破壊の限りを尽くしていた。
その首領は、かつて最も優秀だった宇宙刑事と同じ顔をしていた。
そして、その組織を追うのは、かつての首領が若返り、新たな「名」を与えられた新米刑事であった。
追い、追われる。
殺し、生かされる。
永遠に完成することのない曼荼羅の中で、彼らは踊り続ける。
宇宙という巨大な空虚を、自分たちの「執着」という名の色彩で埋め尽くすために。
それは、宇宙で最も醜く、そして、星々さえも嫉妬するほどに美しい、共依存という名のハッピーエンド。。。
「さあ、定義しよう。私の新しい敵よ。お前がいないと、私は私になれないのだから」




