『魔力なき皇子の「事務」無双』 ## 第3回:老害の楽園、あるいは「監査」という名の再起動(リブート)
帝国魔導院の第一講義室には、淀んだ空気が満ちていた。
教壇に立つのは、魔導院の重鎮、バルタザール教授。齢八十を超え、その身に纏う魔力は枯れ木のようだが、彼が口にする「言葉」という呪は、依然として学生たちを縛り付けていた。
「……よって、この第七小節の魔力練成は、三〇〇年前の英雄・ガランの定めた形式を遵守せねばならぬ。一ミクロンのズレも許されん。それが『伝統』であり『秩序』だ。近年の若者の魔法陣は、効率ばかりを求めて美しさがない……」
バルタザールの声は、湿った腐葉土のような響きを持っていた。
学生たちは、顔色を失い、震える手で無駄に複雑な魔法陣をなぞっている。魔力を過剰に消費し、精神を摩耗させる、前時代的な欠陥構造。それをバルタザールは、若者が自分を追い越さぬよう、わざと「指導」という名の重石として課していた。
その重い扉を、音もなく開いた少年がいた。
第十三皇子、ナイン。
その後ろには、帝国監査局の制服に身を包んだ、まだ幼さの残る数名の新人たちが控えている。
バルタザールは、眼鏡の奥の老いた瞳を細めた。
「……何用かね、無能皇子。ここは神聖なる探求の場。魔力を持たぬ者が踏み入る場所ではない」
ナインは微笑まなかった。
ただ、手にした分厚い報告書を一瞥し、冷徹な事務官の声で告げた。
「バルタザール教授。あなたの講義、および魔導院のカリキュラムに対し、帝国監査局より『業務改善命令』、ならびに『資源浪費罪』による立ち入り検査を実施します」
「……何だと? 浪費だと!?」
バルタザールの枯れた身から、激しい魔力が吹き出す。周囲の学生がその圧力に喘ぐ中、ナインは一歩も引かずに続けた。
「三〇〇年前の魔法陣を、現代の魔力環境で強制し、学生の魔力リソースを平均四二パーセントも過剰に消費させている。これは教育ではなく、国家資産の『横領』に等しい。……教授、あなたの見守るその魔法陣、根本的に『バグ』だらけですよ」
講義室が凍りついた。
ナインは、後ろに控えていた監査局の新人、少女リィに目配せをした。
「リィ。プロジェクト『R・E・D』の成果を見せてあげなさい。(……一つだけですよ。機密保持のために)」
リィは、震える手で一枚の羊皮紙を広げた。
そこには、バルタザールが教えている魔法陣を、究極まで削ぎ落とし、事務手続きのフローチャートのように再構築した、全く新しい「概念」が描かれていた。
それは、魔力の流れを「手続き」として管理し、ロスをゼロに抑えた、冷徹なまでに機能的なシステム。
「な……な、何だ、この陣は……!? 美しくない、伝統への冒涜だ! こんなものが発動するはずが――」
バルタザールが叫び終える前に、リィが指先を触れた。
瞬間、講義室の空気が「鳴った」。
爆発的な光でも、轟音でもない。
ただ、機械の歯車が完璧に噛み合った時のような、澄み切った静寂の脈動。
バルタザールが数分かけて構築する魔法を、新人のリィは、瞬き一つの間に、たった一パーセントの魔力で発動させてみせた。
完璧な効率。
圧倒的な数字の証明。
バルタザールは、その場に崩れ落ちた。
彼が一生を捧げて守ってきた「伝統」という名の呪いが、魔力を持たぬ少年が作り上げた「事務的なシステム」によって、一瞬で、塵に等しい過去の遺物へと書き換えられたのだ。
「教授。アップデートされない知識は、毒でしかありません」
ナインは、呆然とする老教授を見下ろし、事務的に告げた。
「今この瞬間をもって、魔導院の教職全権を停止します。以降は、我が監査局の『事務マニュアル作成係』として、隠居の身で数字を整理していただきます。……あ、もちろん、徹夜での魔力練成は禁止です。コンプライアンスに関わりますから」
ナインは翻り、出口へと向かう。
その後ろ姿は、もはや少年のそれではない。
帝国の停滞を、冷徹な「管理」という刃で切り裂く、美しき魔物の影だった。




