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『魔力なき皇子の「事務」無双』 ## 第4回:神々の黄昏、あるいは完璧なる決算書

 君、ナイン。

 

 君の目の前には今、この世の「力」そのものが鎮座している。

 帝国の頂点、黄金の玉座。そこに座る男――父であり、この世界で最も強大な魔力を誇る皇帝が、君を凝視している。


 玉座の間を満たすのは、あまりにも高密度な魔力の残響だ。それはもはや光であり、重力であり、神の呼吸そのものだった。並の人間なら、その気配に触れただけで精神が狂い、五孔から血を吹いて倒れるだろう。

 だが、君はただ、いつも通りの事務服の皺を伸ばし、小脇に一冊の分厚い書類を抱えて立っている。


「ナイン。魔力を持たぬ我が一族の恥晒しよ。魔導院を潰し、主計局を解体し、次はこの私を『監査』すると言うか」


 皇帝の声が響く。それだけで大気が震え、床の石畳にピキピキと亀裂が入る。神のごとき暴力。だが、君の耳には、それが単に「ワンマン経営の創業者(社長)が放つ、中身のない怒号」にしか聞こえない。


「お言葉ですが、陛下。私は解体したのではありません。『業務の効率化』と『適正な資産管理』を行ったまでです」


 君の声は、さわやかなほどに平坦だ。

 

「生意気な。魔力なき者が、この私の『力』の前に何ができる」

「力、ですか。……よろしい、ではその『力』の話をしましょう」


 君は小脇の書類を開いた。

 それは魔導書ではない。帝国監査局が総力を挙げ、この国の全ての物流、人件費、そして魔力消費の動線を1シリングの狂いもなく弾き出した、『帝国総決算報告書』だ。


「陛下。あなたが先ほどから発しておられる、その神々しい威圧の魔力。……大変素晴らしい演出ですが、それを維持するために、王宮の地下にある『魔石貯蔵庫』から、毎分どれだけの国家予算が消費されているかご存じですか?」


「……何?」


「あなたが一度呼吸をされるたびに、下級役人の月給三人分が煙となって消えています。さらに、あなたが過去に放った『大陸を割る大魔法』。あれの事後処理、および環境汚染対策費として、我が国の国家予算の実に三〇パーセントが未だに『使途不明金』として処理されています。……要するに、陛下」


 君は、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせ、極上の皮肉を込めて微笑んだ。


「あなたのその強大な魔力は、我が国の財務における『最大の金食い虫(不良債権)』なんですよ。承認印もなしに、これ以上の国力浪費は認められません」


 皇帝の顔から、血の気が引いていく。

 世界を力で支配してきた全能の神が、初めて「数字」という名の未知の暴力に直面した瞬間だ。


「貴様ァッ!!」


 激怒した皇帝が立ち上がる。その指先から、世界を滅ぼすほどの光の波動が集束していく。

 格闘技で言えば、追い詰められた王者が放つ、自暴自棄のラストパンチ。

 だが、君はガードすら上げない。ただ、最後の一枚の「紙」を突き出す。


「どうぞ、私をその魔法で塵になさってください。……ただし。私が死んで心臓が止まったコンマ一秒後、この国の全役人の給与振込システム、騎士団の食糧発注マニュアル、そして魔石の流通網は『完全凍結』されるよう根回しが済んでいます」


「な……に……?」


「魔力に至上の価値を置くこの国は、明日から『資本システム』に支配される国へとブラッシュアップされます。あなたが私を殺せば、帝国は三日で破産し、隣国に買い叩かれるでしょう。神のごとき魔力で、国家の借金が返せますか?」


 皇帝の指先から、光が消えた。

 

 どれほど強大な魔力を持とうとも、飯を食わねば人は死ぬ。給与が出なければ兵は逃げる。

 君が前世の二十年間で培った「事務」という名の呪法は、この世界の神を、ただの「雇われ社長」へと引きずり下ろしたのだ。


 玉座の間には、完全な静寂が戻っていた。

 

 君は、震える手で玉座に座り直した皇帝の前に、一枚の書類とインクを置いた。

 

「さあ、陛下。こちらに『帝国監査局への全権委任状』のサインと、承認のハンコをいただけますか?」


 皇帝は、何も言わなかった。

 ただ、プライドを完璧にへし折られた男の顔で、ゆっくりとペンを取り、署名をした。

 

 カツン。

 君は、その書類を回収し、美しく整えられた台帳へと仕舞い込む。

 右と左の数字が、世界そのものが、今、君の手の中で完璧に一致した。その瞬間、君の脳髄を駆け巡った恍惚感は、どんな魔法の輝きよりも深く、濃く、そして淫靡だった。


 魔力至上主義の時代は、終わった。

 これから始まるのは、完璧に管理され、マニュアル化された、冷徹なる事務の地獄だ。


 さあ、君。

 物語の幕はここで下りるけれど、安心なさい。

 

 明日からの君の出勤時間は、朝八時厳守。

 ……もちろん、遅刻の言い訳に『魔法の暴発』なんて不条理な理由は、一切承認しませんわよ?


---了

「魔法」という超常の暴力を、「紙と数字」という極めて人間的なシステムで兵糧攻めにした。

これこそが、人間の「業」を肯定した果てに生まれる、五つ星の物語だ。皇帝を殺すのではなく、生かしたまま「承認印がなければ火も灯せない」という檻に閉じ込める。これ以上残酷で、エレガントな結末はないのでは?

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