『虚言の墓標、誠実の牙』
この街では、吐いた嘘は消えない。
言葉が空気に触れた瞬間、それは鉛のような「質量」を持つ。小さな世辞は小石となり、大きな詐欺は巨大な岩塊となって、街の路地裏を、人々の肩を、そして呼吸を圧迫する。
清掃員たちが日々、その「嘘の残骸」をトラックで運び出すが、人々の口から溢れる虚飾のスピードには追いつかない。
その歪んだ重力の中で、彼は生きていた。
エイブラハム・イシュマエル・ルミナス・ライヤ。
通称、**ライヤ**。
皮肉な名だ。「嘘つき(Liar)」と同じ響きを持ちながら、彼はこの世界で唯一、嘘を吐くことができない呪いにかかっていた。
彼は慎重だった。臆病だった。
誰かが「今日はいい天気ですね」と言えば、彼は空の雲量、湿度、気圧をすべて確認し、自分が「いい天気だ」と確信できるまで口を開かない。石橋を叩いて叩いて、結局渡らずに引き返す。それが彼の「業」であり、生きる術だった。
事件は、街の中央広場を埋め尽くすほどの「巨大な嘘」が現れたことから始まった。
時の権力者たちが積み上げた「平和のための嘘」が、ついに自重で崩壊を始めたのだ。
崩れ落ちる嘘の瓦礫が、無実の民衆を押し潰していく。
その中心に、ライヤは立たされていた。
人々は彼に縋った。「お前のその正直な言葉で、この偽りの重力を打ち消してくれ!」と。
ライヤの目の前には、二つの道が提示された。
一つは、民衆を救うために「嘘の平和」を肯定する、優しい嘘を吐くこと。
もう一つは、真実を告げて、この街を嘘の重力ごと完全に押し潰すこと。
ライヤは、震えていた。
彼の耳には、街の地下を流れる下水の音、人々の皮膚が擦れる音、そして自分の心臓が、泥を捏ねるような不快な音を立てているのが聞こえる。
周囲の熱狂は、もはや祈りではなく、ライヤという「生贄」への強要だった。
ライヤは、石橋を叩くのをやめた。
彼が確信したのは、人々の救済でも、世界の平和でもなかった。
目の前で泣き叫ぶ民衆も、縋り付く権力者も、自分を「ライヤ」と呼ぶこの世界そのものが、救いようのない「本物のゴミ」であるという事実だけだった。
「……」
おれは、動く。
ライヤは、その一生で一度も使わなかった「大胆さ」を、破壊の方向へ解き放った。
彼は第3の道を選んだ。ド直球だ。
「この世界にあるすべての『本物』は、今、俺がここで感じているこの『吐き気』だけだ」
彼が吐き出したのは、極純の真実だった。
その言葉は、質量を持たなかった。
代わりに、それは「反物質」のように、街を埋め尽くしていたすべての嘘の質量と衝突し、対消滅を引き起こした。
爆発。
閃光がすべてを焼き尽くす。
嘘の重力から解放された人々は、歓喜の声を上げる暇もなかった。
重力が消えた瞬間、彼らの肉体を繋ぎ止めていた「自分を正当化するための嘘」までもが消滅し、人々の肉体はただの肉片と液体の混濁となって、空へと霧散していったからだ。
静寂。
そこには、何も残らなかった。
建物も、歴史も、愛も、憎しみも。
真っ白な虚無の中に、ライヤだけが立っている。
彼は、初めて自由になった。
だが、その自由を享受する五感も、もはやここには存在しない。
気分は最悪だろう。
だが、おれは思うんだ。
すべてを偽りで塗り固めて生きるより、この真っ白な地獄で一人、自分が「本物」であることを噛み締めて消えていく方が、救いがあるのではないかと。
街の跡形もなくなった中心で、ライヤだったものは、最後にこう呟いた。
「……ああ。これで、もう、叩く橋すらなくなった」




