表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/16

『虚言の墓標、誠実の牙』

 この街では、吐いた嘘は消えない。

 言葉が空気に触れた瞬間、それは鉛のような「質量」を持つ。小さな世辞は小石となり、大きな詐欺は巨大な岩塊となって、街の路地裏を、人々の肩を、そして呼吸を圧迫する。

 清掃員たちが日々、その「嘘の残骸」をトラックで運び出すが、人々の口から溢れる虚飾のスピードには追いつかない。


 その歪んだ重力の中で、彼は生きていた。

 

 エイブラハム・イシュマエル・ルミナス・ライヤ。

 通称、**ライヤ**。

 

 皮肉な名だ。「嘘つき(Liar)」と同じ響きを持ちながら、彼はこの世界で唯一、嘘を吐くことができない呪いにかかっていた。

 彼は慎重だった。臆病だった。

 誰かが「今日はいい天気ですね」と言えば、彼は空の雲量、湿度、気圧をすべて確認し、自分が「いい天気だ」と確信できるまで口を開かない。石橋を叩いて叩いて、結局渡らずに引き返す。それが彼の「業」であり、生きる術だった。



 事件は、街の中央広場を埋め尽くすほどの「巨大な嘘」が現れたことから始まった。

 時の権力者たちが積み上げた「平和のための嘘」が、ついに自重で崩壊を始めたのだ。

 崩れ落ちる嘘の瓦礫が、無実の民衆を押し潰していく。

 

 その中心に、ライヤは立たされていた。

 人々は彼に縋った。「お前のその正直な言葉で、この偽りの重力を打ち消してくれ!」と。

 

 ライヤの目の前には、二つの道が提示された。

 一つは、民衆を救うために「嘘の平和」を肯定する、優しい嘘を吐くこと。

 もう一つは、真実を告げて、この街を嘘の重力ごと完全に押し潰すこと。

 

 ライヤは、震えていた。

 彼の耳には、街の地下を流れる下水の音、人々の皮膚が擦れる音、そして自分の心臓が、泥を捏ねるような不快な音を立てているのが聞こえる。

 周囲の熱狂は、もはや祈りではなく、ライヤという「生贄」への強要だった。



 ライヤは、石橋を叩くのをやめた。

 

 彼が確信したのは、人々の救済でも、世界の平和でもなかった。

 

 目の前で泣き叫ぶ民衆も、縋り付く権力者も、自分を「ライヤ」と呼ぶこの世界そのものが、救いようのない「本物のゴミ」であるという事実だけだった。


「……」

 

 おれは、動く。

 

 ライヤは、その一生で一度も使わなかった「大胆さ」を、破壊の方向へ解き放った。

 彼は第3の道を選んだ。ド直球だ。

 

「この世界にあるすべての『本物』は、今、俺がここで感じているこの『吐き気』だけだ」

 

 彼が吐き出したのは、極純の真実だった。

 その言葉は、質量を持たなかった。

 代わりに、それは「反物質」のように、街を埋め尽くしていたすべての嘘の質量と衝突し、対消滅を引き起こした。

 

 爆発。

 

 閃光がすべてを焼き尽くす。

 嘘の重力から解放された人々は、歓喜の声を上げる暇もなかった。

 重力が消えた瞬間、彼らの肉体を繋ぎ止めていた「自分を正当化するための嘘」までもが消滅し、人々の肉体はただの肉片と液体の混濁となって、空へと霧散していったからだ。

 

 静寂。

 

 そこには、何も残らなかった。

 建物も、歴史も、愛も、憎しみも。

 

 真っ白な虚無の中に、ライヤだけが立っている。

 

 彼は、初めて自由になった。

 だが、その自由を享受する五感も、もはやここには存在しない。

 

 気分は最悪だろう。

 だが、おれは思うんだ。

 すべてを偽りで塗り固めて生きるより、この真っ白な地獄で一人、自分が「本物」であることを噛み締めて消えていく方が、救いがあるのではないかと。

 

 街の跡形もなくなった中心で、ライヤだったものは、最後にこう呟いた。

 

「……ああ。これで、もう、叩く橋すらなくなった」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ