第9章 あてがわれた婚約者
そしてついにその日が来た。
ロウランド子爵夫妻の行動予定はとうに把握済みだった。
彼らは珍しく息子の部屋を訪れた。一人の令嬢と共に。
「アシュフォード、私の姪のマルグリットのことはもちろん知っているわよね?
前から言っていたけれど、貴方にはしっかりとした年上の女性がいいと思うの。
彼女は貴女より一つ年上の十五歳。
二か月後に王都の学園に入学するから、貴方の代わりに領地経営学を学んでもらうつもりなのよ。感謝してちょうだいね」
義母であるロウランド子爵夫人の言葉に、アシュフォード様は小首を傾げた。
「カーラー嬢が経営学を学ぶのはご自由ですが、なぜそれが僕の代わりとしてなのでしょうか?」
「まあ、そんなことも分からないの? 貴方は学園へ行けないでしょう? だから貴方の婚約者となるマルグリットが代わりに学んでくれると言っているのですよ」
「僕はカーラー嬢と婚約するつもりはありません」
「貴方の意見はどうでもいいの。貴族の婚約は保護責任者である親に決定権があるのですから。ねぇ、旦那様」
「ああそうだ。お前のような寝たきりで学園に通えないような男の元へ、嫁いでくれる優秀な女性など他にいないぞ。
話を持ってきてくれた母親に感謝しろ」
「領地経営は僕がやります。人に任せるつもりはありません」
「何を言っているの? あなたでは無理に決まっているでしょう。自宅で学習するだけでは難しいわ。
そもそも領地の見回りも、社交もできないのでは当主の仕事は無理だわ」
「あなたたちだって領地の見回りを全てレックスにやらせているじゃないですか。僕も彼に任せるから彼女は必要ありませんよ。
まあ社交はやってみないとわかりませんが、これからは僕なりに頑張りますから、どうぞご心配なく」
「何を生意気な。そんな体でどうやって社交するつもりだ。寝たきりで外へも出られない。ダンスも踊れやしないのに」
父親にそう言われると、アシュフォード様はにっこりと笑った。
「確かにまだ僕のダンスは下手です。しかし、成人するまでにはあと四年もあるので、それまでにはそこそこ上手く踊れるようになると思います。
先生からも筋がいいと太鼓判を押されましたので」
「まだ下手とはどういう意味だ」
「踊って見せましょうか?」
アシュフォード様はそう言うと、ベッドから体を起こした。そして足を床に付けると、事もなげにベットからスクッと立ち上がった。
ロウランド子爵夫妻とカーラー男爵令嬢が仰天した。
「先生、ダンスを一緒に踊っていただけませんか?」
アシュフォード様が聞こえたので、私は部屋のドアを静かに開けて中へ足を踏み入れた。
「マクレミアン嬢?」
ロウランド子爵夫妻が驚いた顔で私を見た。彼らに軽く頭を下げた後で、私はアシュフォード様の前に立った。身長はほぼ同じだったので、真正面から見つめ合った。
彼は自信満々の顔で微笑んだ。ずいぶんとしっかりしてきたな。出会ったころはおどおどした気弱そうな少年だったのに。
感無量になって思わず涙が溢れそうになり、私の方が必死になって笑顔を作る羽目になった。
執事のレックスさんの手拍子に合わせて私はアシュフォード様と共に踊り始めた。
そのダンスは基本中の基本の簡単なものだった。とはいえ、一度もミスすることなく、踊りきった。
子爵夫妻は瞠目した。
「いつの間にダンスなんて踊れるようになったのだ? というより、どうして歩けるのだ!」
父親の疑問にアシュフォード様はこう答えた。
「毎日歩けるようになるために訓練をしてきたのです」
「なぜそれを隠していたのだ?」
「驚かせようと思ったのです」
「旦那様、奥様、本当に良かったですね。これでロウランド子爵家は安泰でございますね」
すかさずレックスさんにそう問われて、怒鳴りつけようとしていた子爵夫妻は、慌てて口を閉じて、無理やりに笑顔を作った。
そんな二人にアシュフォード様はさらにこんな驚くような事実を告げた。
「カーラー男爵令嬢、叔母からの頼みだからといって、無理に経営学を学ぶことはありませんよ。もちろん、貴方が学びたいというのなら自由ですが。
でも、仮に僕と婚約したら無駄な勉強になるかもしれませんよ?」
「どうしてですか? 貴方だけでなく私も学んだ方がお手伝いできると思うのですが」
カーラー男爵令嬢は至極真っ当なことを言ったわ。でもね……
「それは領地がある前提ですよね? しかし、おそらく僕はこの子爵領は継げません」
「そんなことはない。お前がそのような健康体になったのならば何も問題はないではないか。私達にはお前しか子供はいないのだから、お前が後継者だ」
子爵がそう言うと、夫人も不満そうではあったが、「そうよ」とそれに追従した。
彼を殺そうとしたくせによく言うわ。しかも殺害に失敗したら、今度は死なせはしないけれど全快させないように考えていたくせに。
信じられないくらいに残酷非道な女だわ。
平静を装いながらも、私は心の中でひどく腹を立てていた。
たしかにロウランド子爵は密輸組織のメンバーだったが、ほぼ名前だけだった。メインメンバーは夫人の方だったということが調査を進めて行くうちに判明したのだ。
というか、夫人の父親が幹部の一人だったのだ。
つまり、アシュフォード様に毒を盛ったのは夫人の独断だろうというのが騎士団の見解だった。
もっとも、普段から息子に対して父親はあまりにも無関心過ぎた。生死に関することでさえ無視して放置していたのだから、彼だって父親というより人間失格だと思うけれど。
次の投稿は明日の7時ころになる予定です。




