第8章 子爵令息の覚悟
そして五か月が過ぎた。
アシュフォード様の状態は順調に回復していた。筋肉も少しずつついてきて、広い庭を自分で散歩できるまでになった。もちろん子爵夫妻が留守のとき限定だったけれど。
食欲も戻って普通に食べられるようになった。
今は運動を続けながら、執事のレックスさんと共に執務にも励んでいる。国への直接税や関税を支払う期限が迫ってきているために、それに関する提出書類を作成するためだ。
私もこの時期は家令のマーナスや執事のハリスンと共に大忙しだったわ。
手持ち無沙汰だったし、彼らを手伝ってあげたいと思ったけれど、ただの客人が手出しするわけにもいかないかった。
そこで私は精の出る薬草茶を淹れたり、肩や腕を揉んであげたりしたわ。
二人とも最初は遠慮していたけれど、そのうち気持ちが良かったらしく、素直に力を抜くようになったわ。
「シャーリー様の手はまるで魔法の手のようですね。身体が温かくなって、疲れが溶けて流れて行くような気がします。
これまでずっとこの魔法をかけてもらえていたアシュフォード様が羨ましいです」
レックスさんが気持ち良さそに目を閉じながらそう言ってくれたとき、なぜかアシュフォード様が得意げな顔をしたので、私は思わず笑ってしまった。
そういえば母もレックスさんと同じようなことを言っていたわ。
でもあのころの私の手はまだ小さくて、力も弱かった。今ならもっと気持ち良くさせてあげられたのに。仕事だって代わってあげられたのに。
昔のことを思い出して、少しだけしんみりとしてしまった私だった。
傍で見ていて、アシュフォード様がかなり優秀だということがよく分かった。学園で学ぶ必要なんてもうないのではないかと思えるほどだった。
よほど名のしれた家庭教師を雇っていたのかと思いきや、これまで教師が付いたことは一度もないという。
文字や算術の基本を教えたのは彼の実母である前子爵夫人で、夫人が病気で亡くなった後は、執事のレックスさんが教えていたのだという。
執事の業務を行いながら勉強を見るのは大変だったでしょうね、というと
「それほど苦ではありませんでしたよ。アシュフォード様は一を知れば十を知るお子様でしたから」
と平然と答えていたので、おそらく生徒だけでなく教えている側もある種天才なのだろう。
ベッドにいる間は勉強をするといいなんて、知らなかったとはいえ恥ずかしいことを言ってしまったわ。
彼は勉強どころか、これまで家の帳簿付けまで父親の代わりにやっていたというのだから。
ロウランド子爵夫妻は当主としての執務をほとんどしていなかったようだ。
家令を雇う余裕などなかったのだから、本来当主がするべきだったのに、それらのほとんどを執事と入学前の息子に押し付けていたのだ。
おそらく前夫人が存命のころは彼女が担っていたのだろう。私の母親と同じように。
そして子供のことを心配しながら早世してしまった。
アシュフォード様のベッドサイドに飾れている、彼に瓜二つの美しい女性の肖像画を見ながらひどく胸が痛んだ。
そして二か月ほど前のことだった。アシュフォード様は父親である子爵が唯一担当している商会関係の帳簿の中に矛盾があると気付いたのだ。
母親が亡くなった直後からかなりの額の損失が出ていた。それなのに、再婚して間もなくそれが補填されていたのだが、そのお金の出どころが怪い。
そう感じてそれをレックスさんに見せると、彼は眉間にしわを寄せたのだ。
ロウランド子爵家は物流関係の商会を運営しているらしいのだが、ここ数年収益が上がっていないのだそうだ。それなのに、一体どこで穴埋めするだけの利益を得たのか。
同じく疑問に感じたレックスさんは、執務室をこまなく探して裏帳簿を見つけ出した。
すると子爵は怪しい商会からの仕事を請け負っているらしいことが判明したのだ。
その取り扱っていた荷物がなんだったのか、私だけじゃなく、アシュフォード様やレックスも思い当たるものがあった。
だから私は二人に尋ねたわ。この件をどうするつもりなのかを。
不正を暴いて訴え出たら、おそらくロウランド子爵と夫人は捕まって裁判にかけられるだろう。
その罰はかなり重くなるはずだ。
そうなったらこの子爵家は廃爵となり、アシュフォード様まで平民に落とされ、使用人達も仕事をなくしてしまうに違いない。
しかし、アシュフォード様は私の目をじっと見つめると、迷うことなくこう言い切った。
「お世話になったみんなには申し訳ないと思います。けれど、このまま父の犯罪を見逃したら、自分と同じ思いをする人が増え続けることになるでしょう。それは決して許されないことです」
レックスさんも頷いた。だから私は言ったわ。二人にその覚悟があるのなら、しかるべき所にお願いして、秘密裏に調査してもらいましょうと。
でも本当はすでにおおよその捜査は終わっていたの。
五か月前、私は例の『ドラノミン草』という薬草の根から精製される『エトバス』という毒について調べて欲しいと、母の実家のマンシーニ子爵家へ手紙を出しておいたからだ。
そして伯父が調べた結果、第二王子のフランドル殿下は関わっていないことが分かった。そこで私は殿下宛に手紙を認め、それを伯父に託したのだ。
薬剤省の役人の誰かが、『ドラノミン草』の根の部分を盗み出して『エトバス』を作り、それを密売している恐れがある。
そしてそのことにロウランド子爵夫妻とマクレミアン伯爵家が関与している疑惑があると。
殿下は身内に裏切り者がいると知らされて激怒し、必ず犯人を見つけ出すと心に決めたそうだ。
その後秘密裏に捜査を進めた結果、二か月後にはその犯人を見つけ出していた。賭博で借金を作っていた研究所の若い研究員だったようだ。
しかも、第一王子派の人間に唆されて賭博を始めたことがそもそもの原因だったということがわかった。
そしてその賭博関係者について根気よく調べていった末に、とうとうその密売組織にたどり着いたのだ。
私が推測したとおり、ロウランド子爵夫妻と父マクレミアン伯爵、そしてその愛人カリナはその組織に関与していた。
ただし、黒幕はロウランド子爵夫人とその実家の男爵家であり、子爵と父達は内情を知らされずにただ利用されていただけのようだ。
父を追い出す算段はとうにできていたとはいえ、いっそ仲間だったならばもっと重い罪が問えたのにと、正直がっかりしてしまった。
まあそれはともかく、ロウランド子爵家の裏帳簿を始めとして色々と証拠も揃ったことだし、そろそろ決着をつけてもいいのではないかしら。
私はフランドル殿下へ再び手紙を認めた。そこへはアシュフォード様と使用人達の貢献がいかに大きかったかを記し、彼らに対する配慮をお願いした。
もし殿下がだめだったなら、私が彼らの仕事先を紹介しよう。彼らは皆優秀だから、どこへでも自信を持って推薦できるもの。
次章は今夜21時の予定です。




