第7章 天使と堕天使
私は自分の見た目を利用して、父の前ではおとなしい従順な娘を演じてきた。
物心ついた幼いころから無駄な争いはしない主義だったからだ。きっと冷めていたのだと思う。
それは虚弱だったせいだ。逆らって長い時間言い争ったり自己主張するなんてことは不可能だったのだから。
それでも、どうしても我慢できないことがあったときは、父の弱点を狙って一点集中型の口攻撃を仕掛けた。
悲しいことに、私には何度も失敗している余裕がなかったせいだ。
弱い私は自分の身を守るために、いつも周りの様子を注意深く観察していた。
その結果、言っても無駄な人物を本能的に嗅ぎ分ける力を自然に身に付けていったのだと思う。
父親がカリナとミリアンを家に引き入れてからは、彼らには一切逆らわなかった。何を言っても無駄だと分かっていたからだ。
それ故に、彼らは私のことを見くびり、言いなりになると考えていたのだろう。
そしてそれを友人であるロウランド子爵夫妻に伝えたに違いない。
それにしたって、子爵夫人が王家との繋がりのある伯爵家の令嬢である私に命令するだなんて、一体何様なのと心の中で笑ってしまったわ。
もしかしてそれは聞いていなかったのかしらね。というか、カリナも知らされていないのかも。
あの四人は学園時代からの不良仲間。まさに同レベルだわ。
けれどそれはこちらにとっては好都合。子爵夫妻の命令は渡りに船だったから、一応嫌そうな顔をわざとしつつも受け入れた。
ずっと彼らに知られずにアシュフォード様を健康にするなんて、至難の業だと考えていたから。
食事や薬の指導するだけにとどまらず、私はアシュフォード様のリハビリに全力を尽くした。
全身をマッサージし、関節を解し、ストレッチをして、ゆっくりと少しずつ歩く練習をさせた。
リハビリは毎日続けなければ回復が遅くなる。とはいえ、私の体調には波があるためにできない日もある可能性があった。
そのために、最初から手の空いているメイドにも代わる代わる手伝ってもらい
「あまり力を入れないで。無理をせずに優しくね」
と言いつつ、マッサージなどのやり方を覚えてもらった。
そう言えば、初めてアシュフォード様の足の指の間に私の手の指を差し込んでストレッチを始めた時、彼とメイドのレナは目を点にした。そして
「止めて下さい!」
と二人同時に悲鳴を上げたわ。「痛い?」と尋ねれば、彼はそれを否定するように首を振ったけれど、必死に私から離れようとして身をねじりがら言った。
「貴女にそんなことはさせられません」
と。レナまで自分がやりますと言い出した。
だから私は二人に向かってコンコンと説明した。
「ほら見てちょうだい。足の爪が丸くなってきているでしょう? このまま歩かないでいると巻き爪になってしまうわ。爪が足の指の皮膚に食い込んで、その痛みで余計に歩き辛くなってしまうのよ。
だからこうやって指に刺激を与えることが大事なの。リハビリ作業は恥ずかしいことでも汚いことでもないのよ」
私も巻き爪で散々泣かされれたのだ。
「ごめんなさい。天使のような汚れの無い淑女の貴女にこんなことまでさせてしまって」
ベッドの上で愛らしい顔をした少年が、麗しい眉毛を下げ、泣きそうな顔をしてそう呟いた。
天使は貴方だわ。私が天使って……堕天使の間違いでしょ。そう心の中でツッコミながら、無理やり真剣な顔をし作って彼に言ったわ。
「私は貴方とこちらの使用人の皆さんにお約束しました。貴方を絶対に健康な体にすると。今、私がしていることは、そのために必要なことなのです。
私はこれまで少しでも健康になりたくて、長い間専門書を読み漁り、自分で繰り返し試すという努力を重ねてきました。
そのノウハウを活かして私と同じく健康になりたいと願う人にもお役に立てるなら、こんなに嬉しいことはありません。
こんな弱い私でも人のためにできることがあるのだと思えるのですから。
ですから迷惑かけてしまう、なんて思わないでください。
というか……」
ここで一旦言葉を止めてから、にっこりと微笑んで
「私が好きでやっているのだから、申し訳なく思うことなんてないのですよ。そんなに気にされてしまうと却って腹が立ってしまうわ。
たしかに最初は同情心だったけれど、今では貴方を実の弟のように思っているの。だから損得無しでしていることなの。
貴方が元気になっていく姿を見られるだけで本当に嬉しいのよ」
と告げながら、続いてアシュフォード様の足全体のマッサージを始めた。
半年以上ベッドの住人だったので、筋力が落ちているだけでなく、体が硬くなって血の巡りが悪くなっているのだ。
一箇所だけでなく全身をマッサージしないといけない。
「慌てずに少しずつリハビリしていきましょう。頑張り過ぎて体調を崩したら本末転倒だもの。
健康は簡単には手に入れられない。毎日少しずつの努力と頑張りが必要なのよ」
彼はまた泣きそうな顔をして頷いたわ。
それでも暫くの間アシュフォード様は、毎回抵抗したわね。ご令嬢にそんな真似はさせられないと。
しかしそのうち、最初はどちらかというとされるまま受け身だったアシュフォード様が、自ら進んで体を動かすようになってきた。
そんな彼に私は言った。
「体が思うように動かなくてイライラするとは思うけれど、焦ってはだめですよ。
ベッドの中だって運動以外にもやれることはいっぱいあるのですから」
「分かっています。勉強でしょ。
シャーリー様は本当にすごいな。何でもできて、何でも知っていて」
「それは私が貴方よりずっとベッドの中にいる時間が多かったから、たくさん本を読めたせいよ。
運の良し悪しなんて、結局だれも分からないものなのよ」
「貴女は本当に前向きなんですね。でも、たしかにそうかもしれません。僕、母が亡くなって、死にかけて、ずっと自分は不幸なのだと思っていたのです。
でもシャーリー様に会えてからは幸せだなと思えるようになったので」
「うふふっ。そう言ってもらえると嬉しいわ」
自分の不出来な笑みとは丸っきり違う、本当の天使の微笑みを浮かべたアシュフォード様にそう言われて、キュンとしながらそう返した私だった。
次の投稿は明日の7時ころになる予定です。




