45.敵前逃亡
遊戯室で興じる、グートとのチェス。
「あ、駄目! 待って!」
「レルヒェ、またかい?」
私は弱い。
どんどん消えていく、私の白い駒。
グートは強い。
私が白い駒を置き直すと、すぐに自分の黒い駒を進めてくる。
(これがオセロなら、もっといい勝負ができたはず……!)
次の一手を考えていた頭に浮かぶ、チェスとは全く関係ないこと。
打開策が見えない戦況での、現実逃避。
「フェアケールスの魔法使いの名前がね、貴方によく似ていたの」
刺青と目つきの悪いオッドアイ。
見た目よりも優しい魔法使いの男。
「ヴートって名前。貴方とよく似てるでしょ?」
「そうだね」
促されて動かす、白い駒。
青い目はその白い駒を見つめて、手に取った黒い駒は持ったまま。
「……グート?」
「僕は、自分の名前が嫌いだったんだよ。兄3人と比べて、平民のような名前だ」
グートが漏らすコンプレックス。
いつも年上らしく余裕があるのに、珍しい。
「長兄は、富める者であれ。次兄は、勇敢な者であれ。末兄は、知恵が回る者であれ。――僕は良い子であれ。つまり、迷惑をかけるな、ってことだよ」
グートは出会った頃、「不要な者扱いは、僕も経験済み」だと言っていた。
「養子の話がこなければ、下手をしたら路頭に迷ったかもしれない」とも。
「それなのに、君に初めて名前を呼んでもらえたときは、とても嬉しかったんだよ。それからかな、自分の名前を悪くないと思えたのは」
進められる黒い駒。
次の一手も、グートにかける言葉も八方塞がり。
盤上の白い駒はまるで、私。
「だが、僕は、自分の子どもには貴族らしい名前を贈りたい。子どもが何人生まれても。全ての子どもに、平等に」
グートの表情がふっと柔らかくなり、浮かぶ悪戯っぽい色。
私を真っ直ぐに捉える青い目。
「レルヒェは、子どもは何人欲しいかな?」
「え!? 私!? 子ども!?」
「そうだよ。僕と君の子ども。何人――」
「知らないっ! ばかっ!!」
私が立ち上がった拍子に倒れる椅子。
盤面の横に綺麗に整列していた白い駒が乱れ、数個の黒い駒が転がり落ちる。
それらの音を背中に飛び出す遊戯室。
傍に控えるフロイが鼻血を流していたのは、見なかったことにした。
◇
雲雀の部屋に飛び込んで、その勢いのままフリル溢れるベッドへとダイブする。
ぼふんっ、と私を受け止めたシーツの上に広がる白髪。
そのまま手探りで大きなぬいぐるみを抱え込み、いつもいい匂いのするもふもふに顔を埋める。
(ああああああ……っ!!)
グートは、勝ちを確信している。
リンドヴルムからの帰り道。
私がグートへの初恋を自覚した、あの時の馬車の中はよく覚えていない。
子爵邸に帰ってからは、恋心を直視しないよう誤魔化していた。
「君が僕に恋をしていないことくらいわかっている」、「君の気持ちが僕に向くまで待つ」と、言っていたのに。
ここ最近のグートの態度や触れ方は――
絶対に、勝ちを確信している。
入室を求める扉を叩く音。
こたえると、フロイが静かに入ってくる。
「お嬢様、お茶をご用意しますか?」
「……お願い」
グートに処置してもらったのか、フロイに鼻血の跡は全くない。よかった。
「……ねぇ、フロイ。私、グートのことが、その、す、好き、みたいで」
「わかっています知っています邸の者全員知っています」
「ぶっふぉお!」
「お嬢様!?」
フロイの早口突っ込みに、私は盛大に紅茶を吹き出す。鼻が痛い。
両手を振り回してあわあわと慌てるフロイを止めて、自分で清浄魔法をかけて綺麗にする。
「……私、どうしたらいいの?」
道に迷った幼子のように小さな呟き。
お母さんは、ここにはいない。
今、頼りになるのは目の前にいるフロイだけ。
「そうですね……やっぱり、告白するのはどうでしょうか」
「告白?」
「お嬢様は、既にグート様の妻でいらっしゃいます」
「ぶっふぉお!」
わかりきったことを大真面目に言われて、逆に羞恥を煽られる。
やめて、恥ずか死ぬ。鼻が痛い。
「でも、恋人をすっ飛ばしてご婚約期間も無いに等しいご婚姻ですから! ここは、初心に戻りましょう!!」
きらきらしているフロイの目。
私の目は死んでいる。
「無理」
「え!? なんでですか!?」
「キマエラ倒すほうが簡単だもん」
「お嬢様!? 言っていることがおかしいです!」
やっと向き合った初恋。
だけど、まだまだ前途は多難。
苦難の末に辿り着いた魔王城の前で、踵を返したくなる勇者一行の気分だった。
お読みいただき、ありがとうございました!
次回は明日、【夜20時20分】に更新します。




