44.一歩前進
迎えた夏の盛り。
カナーリエン領のブルーロータスが咲く沼地。
水面を渡り肌を撫でる朝の風は、少しの涼と花の香りを運んでくる。
「カナーリエン卿。忙しい中の視察に感謝申し上げる。この青い花は見事だ」
「研究の役に立てば、幸いだ。万能薬と霊薬は献上しても、まだ研究しているものはあるのだろう」
「無論。私は黒い森の魔女だ」
水面からすっと伸びる茎の先。
空の青とも海の青とも違う、神秘的な青い花。
その景色を歩く白髪と鮮やかな赤髪、2つの琥珀色の髪。
「……甘くて、いい匂い」
「リンドヴルムのブルーポピーは、どんな匂いがしたんだい?」
「……そういえば、一面に咲き誇っても花の香りはしなかったわ」
沼の中央に架かる木組みの浮き桟橋。
グートにエスコートされて進む散策路。
「この桟橋は木の板が水面ぎりぎりにあるから、余り端に寄らないように」
「だ、大丈夫よ」
(私は身体強化魔法が得意だから、体を支える必要はないのに……)
グートの手は、ずっと私の腰に回されたまま。
一緒にいたはずのお母さんとパパは、いつの間にか離れていた。
私たち2人の周りは、360度青い花の世界。
(……こんなの、デートみたいじゃん!)
歩くたびに、ぱちゃぱちゃと足元から聞こえてくる水の音。
ゆっくりと優しい桟橋の揺れ。
どちらの心地よさも、堪能する余裕がない。
(へ、平常心、平常心……っ!)
「ブルーロータスは耐寒性がないからね。屋外での越冬は不可能なんだよ」
「へ!? ……寒くなったら、このまま枯れちゃうの?」
「そうならないように、霜が降りる前に球根は全て回収する」
「え!? これ全部!?」
私の驚きに頷くグートの、いい笑顔。
――貴族の権力を見た。
「そうだ、レルヒェ。そろそろ、ドレスの採寸をしておきたいんだが」
「ドレスの採寸?」
服はもう、結構、仕立ててもらっているけど。
「そうだよ。君はまだ、デビュタントしていないだろう?」
「デビュタント……」
きゅっとなる、私の眉間。
子爵邸で私が昏睡する前に、そんな話はあった。そのために家庭教師をつけられていたのだから。
あれから、もう2年近く経つから、すっかり忘れていた。
「私、一応、既婚者だけど」
「そうだね。だから、正しくはデビュタントではなくて、違う名のお披露目になる。それでも、白いドレスは必要だよ」
「……わかったわ」
この上なく面倒くさい。貴族の社交なんて、所詮タヌキの化かし合い。
ドレスを着て笑顔を貼り付けて――
「好きなデザインはあるかい? 君の名前にちなんで、雲雀とか」
「それができたら、嬉しいけど……。それなら、百合もいれられる?」
「勿論。百合は定番のデザインだからね」
「ふーん。そうなのね」
年頃の娘だけど、私はさしてドレスに興味はない。
グートの笑顔が少し困った甘いものに変わる。
「君は、ドレスの話よりも魔物討伐の話のほうが楽しそうだね。君が社交よりも、魔力での殴り合いの方が得意なのは充分わかっているよ。お披露目は、最短で終わらせる」
「それなら、頑張るわ」
コルセットはつらい。
だけど、貴族令嬢として避けて通れない道ならば。
最短ルート攻略。
(グートの腕を見せてもらうわ)
◇
沼地の視察から子爵邸に戻った私たち。
お母さんは、邸でのドレス採寸に付き添ってくれた後、一足先に黒い森の庵へと帰っている。
私はしばらく留まって、孤児院を回ってから帰る。
「お嬢様、眉間のしわがすごいです」
「だって! 見てよ、この量!!」
雲雀の部屋で、フロイとのティータイム。
2人きりの時、私たちは友だちの距離で過ごす。
私の向かいに座っているフロイは、自分で淹れたお茶を飲みながら、焦げ茶の目は私の眉間に釘付け。
私の視線の先には、家庭教師から渡された教本たち。
紋章学、貴族階級論、高級社交マナー、基礎教養として芸術・歴史・神学、手紙の書き方……
社交界デビューに向けて、改めて覚えることがこんなにも。
「お披露目は最短で終わらせる、って言ったのに」
私の恨みがましい呟きに、フロイがしょもしょもと眉を下げる。
「私がお手伝いできればいいんですが。それ、お持ち帰り用でしたね」
「うう」
「そうだ。お嬢様、これ、お使いになってください」
フロイから差し出されたのは、手作りと一目でわかる押し花の栞。
「わぁ、可愛い。フロイが作ったの?」
「あ、いいえ、頂き物で……スボルさんから」
「……今、何て?」
「スボルさんから貰ったんです」
確かに、栞の押し花は、黒い森に咲いている花。
(え? あのスボルがわざわざ花摘んで作ったの? フロイのために?)
ギルド職員の仕事の傍ら、可愛い花を選んで摘む猫背。
「そんな大切な物は貰えないわ。……ふふふふふふ」
「違います違います私とスボルさんはそんな関係じゃないですお嬢様のご実家からの帰りにお邸まで護衛をしてもらったお礼状を出した返事から文通が続いているだけです栞はお返事に毎回同封されているのでたくさんありますどうぞお使いになってください!!」
食い気味に一息で長台詞を言い切るフロイ。
そばかすの散った頬は、ほんのり赤い。
それを見て、私は、にまにまが止まらない。
あの星降るような夜に、フロイの護衛をスボルに頼んだのは、私。
(私ってば、恋のキューピッドじゃん!)
お読みいただき、ありがとうございました!
次回は明日、【夜20時20分】に更新します。




