39.変わりゆくもの
開けられた馬車の扉。
グートが差し出す手に重なる私の手。
エスコートを受けて馬車から降りると、お母さんとフロイは既に別の馬車から降りていた。
「ただいま!」
「おかえり。リーリエ、グリゼルダ」
私たちを出迎えてくれるフォアムントさん、スボル。
きちんとグートと挨拶を交わすフォアムントさんと違って、スボルは少し離れた所に立っている。
グートを警戒しているのか、いつにも増して陰気臭い。
(10代の平民男性にとって、貴族とのご対面は地獄よね)
「ここがお嬢様とグリゼルダ様との愛の巣なのですね! 風情があって素敵です!」
「……愛の巣?」
フロイはたまに言葉のチョイスがおかしい。
きらきらしている焦げ茶の目、そばかすの散る紅潮した頬。一瞬見えた、ぶんぶん振られる尻尾の幻覚。
(喜んでくれているなら、まぁいいか)
「……こいつ、何?」
やっと喋ったスボル。
長い前髪の隙間から覗く緑の目が、フロイを訝しげに映している。
「私の友だち! フロインディンよ。フロイ、こっちはスボル。ほら、私のもう1人の友だち! 本当はもっと長い名前だったわ」
「……よくわかったよ、お前がオレの名前を覚えきれてないことが。オレはスボルディナートゥス。スボルでいい」
スボルディナートゥス。
(そうだったかも)
グートは仕事を理由に黒い森の庵には立ち寄らず、子爵邸へと、とんぼ返りしていった。
フロイは一時的な休暇扱いで来ているから、一緒に過ごせるのは、ほんの数日。
「フロイは何をしたい? どこに行きたい?」
「はい! お嬢様が大切にしている薬草畑を、ぜひ!」
黒い森の奥にある、マンドラゴラとアンブロシアの薬草畑。
(フロイは魔力が弱いけど、身体強化魔法で行けるかな?)
ぴこん! と閃く。
(そうだ、この手があるじゃん!)
◇
「スボル、遅いってば」
「……おまっ、ふざけんなよ」
「あの、何というか……申し訳ありません……」
「ここはスボルの出番でしょ!」
文句を言ってくるゼェハァゼェハァとした息遣い。
猫背に背負われて恐縮するフロイ。
魔力的には私が強いけど、体格的にはスボルが適当。
細いけど身長はあるし、身体強化魔法も使えるし。
「スボル、お疲れさま! フロイ。この子たちが、ゴンちゃん、レムちゃん!」
私の声に少しずれたタイミングで反応する、2体のゴーレム。
(――え? そんなまさか)
私は、そっとゴーレムに呼びかける。
「……ゴンちゃん」
マンティコラの魔石を使ったゴーレムだけが反応する。
「……レムちゃん」
アラネアモドキの魔石を使ったゴーレムだけが反応する。
「……嘘」
なんと、それぞれが勝手に、自分の名前はこちらだと決めてしまったらしい。
お母さんが作ると、従魔まで優秀になる。
お母さんは本当にすごい。
「……お前、本当に結婚したんだな」
左手の薬指。
フロイを降ろしたスボルの視線が注がれる、結婚指輪。
「……それで、良かったのかよ」
「うん」
「……そっか」
1年前。
ここでスボルに、『リーリエとして有名な魔法使いになる』と言ったんだった。
「お嬢様とグート様は、とっても! お似合いです!」
「……お前」
「フロイでいいですお前はやめてください」
食い気味に早口で呼び方を訂正してくる。
さっきまで恐縮していたフロイの豹変に、スボルはたじたじ。
「……こいつ、何?」
「私の友だちだってば」
◇
フロイがいてくれるのは数日間。
一緒に黒い森を散歩したり、リンゴの皮むき競争をしたり。
私はポーションの作り方を教えて、フロイは得意料理を作ってくれて。
お嬢様とメイドではなく、友だちとして楽しく過ごしている。
「……なんでフロイが来てんだよ」
「採取依頼を受けてみたいんですって」
冒険者ギルド。
いつものごとく受付カウンターに座っているのは、くすんだ緑がかった茶髪。
「……冒険者登録証は」
「フロイは持っていないから、作ってあげて」
「……そっからか……」
フロイとスボルが手続きをしている間、私は手持ち無沙汰。
そこへ話しかけてくる、顔見知りになった冒険者。
「今日もデートの、って浮気されてるぞぉ?」
「友だちだから! もうっ、いい加減にしてっ」
「こんなの、挨拶だろぉ?」
「絶対、違う」
「……娘に嫌われる父親の気分だぜ……」
頭を掻いて呟いた後に消えた、いつもの飄々とした表情。
「そういやぁ、黒い森の魔女について、探っている奴らがいるぜ」
声を潜めて告げられた内容に、私の心臓が跳ねる。
「……どういうこと?」
「南部地方との往来封鎖が、解かれただろぉ? それから、嗅ぎ回っているみたいだぜ」
なんだろう、胸騒ぎがする。
南部地方は、お母さんの故郷。
「お嬢様! 手続きが終わりました!」
「あ」
フロイに呼ばれて中断させてしまった思考。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい!」
フロイが受けたのは、ごくごく初歩の採取依頼。
なんだかんだで、スボルは面倒見がいい。
◇
「……これが、今回の報酬。冒険者登録証は失くすなよ」
「はい!」
日暮れも待たずに余裕で依頼を終えた私たち。
自分の力で依頼を達成したフロイの、輝くような笑顔。
胸に大切に抱えているのは、お小遣い程度の報酬と冒険者登録証が入った袋。
自分の名前が記された登録証を、フロイは何度も見返していた。
黒い森の庵への帰途。
近づくにつれて感じる不穏な気配。
聞いたことのない男の声。
フロイの焦げ茶の目に、不安の色が浮かぶ。
いつもの私なら、速攻で乗り込む。
だけど、今はフロイが一緒。
物音を立てぬように、フロイの手を引いてそっと近づく。
2人で身を隠すには充分な茂み。
黒い森の庵の前でお母さんと対峙していたのは、手勢を引き連れた男。
――お母さんと同じ鮮やかな赤髪の男だった。
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次回は明日、【夜20時20分】に更新します。




