35.天上の妖精
高山の道すぐ近くに張られた軍事用のテント。
リンドヴルム公爵の腕からするりと抜け下りる、白髪の幼女。
ててっと駆けて、ぎゅうっと抱きついてくる小さな体。
その温もりを抱きとめたまま、勧められた席へと腰を下ろす。
この状況が、もうわからない。
(リンドヴルム公爵家に、こんな幼い子はいた?)
淑女教育の時に、王族や主だった高位貴族の家系図は見ている。
「……えっと、こちらは姫君でいらっしゃる?」
「否。その子は白蛇の御使い。我が公爵家が後見となり保護している」
――以前、エルンストが言っていた。
「北部地方は白蛇が守護神獣で、ここと違って白髪は尊重される」と。
つまり、北部地方では出自に関わらず、生まれた白髪の子は公爵家で引き取り、守護神獣の御使いとして養育する。
「……リンドヴルム公爵閣下。一刻も早く、ブルーポピーの所へ行きたいのですがっ」
私はそのために此処に来た。
だけど、この子が離れない。
むりやり剥がせなくもないけど、こんな小さな子には、ちょっと。
「暫し待て。まだ、討伐完了の知らせが届かぬ。それに、その子はそうなると手強い」
「討伐? 魔物がいるのですか?」
「左様。此度の崖崩れの元凶だ」
ブルーポピーの群生地を襲った崖崩れ。
自然災害ではなかったの?
「それならば、私も――」
「我が騎士団を侮って貰っては困る」
北部地方を統べる覇者の眼光。
一瞥で体が強張る。
出過ぎたことを悟るには充分なもの。
ぎゅううっ
抱きつく温もりに視線を下ろせば目が合う。
私と同じ、潤んだような灰色の目。
「……あなた、お名前は何というの?」
「……」
じぃっと私を見つめたまま、結ばれた可愛い唇。
代わりに答えたのは、リンドヴルム公爵の重厚な声。
「その子の名はココン。今年で4歳になるが、生まれてから一度も喋らぬ」
「!!」
生まれてから5歳で逃げ出すまで幽閉されていた私と違って、この子は尊重されている。
耳も聞こえているし、こちらが話すことも理解しているように見える。
それなのに――
喋れないのか、喋らないのか。
「我がリンドヴルムでは、白髪の赤子は神聖視され保護の対象。その昔、人が生きるのに苛酷な此の地を拓くため、巨大な白蛇がその身を捧げたという伝承故に」
討伐完了の知らせを待つ間の暇つぶし。
公爵が姿勢を崩し、ゆったりと語り始める。
「だが、それも元を辿れば有事の際、神への供物とする為の方便に過ぎぬ話。今では生贄は禁じられている。今日日、白髪の赤子は守護神獣の御使いの地位を与えられ、生涯祈りを捧げる存在だ」
「それでは、この子は――」
そこで届いた、討伐完了の知らせ。
立ち上がり、私を見下ろす天の青。
「では、群生地へと向かう。我らの天上の妖精が助けを待っているぞ」
◇
本来なら、人間を拒絶する標高に自生するブルーポピー。
巨大なワームが引き起こした崖崩れで、その葉も茎も大量の土砂と岩とともに、だいぶ下まで落ちてきている。
討伐完了直後の慌ただしさ。
自ら先導するリンドヴルム公爵の大きな背中を追い、私を護るエルンストと騎士隊も共に登っていく。
吐く息の白さが語る、冬山の寒さ。
結局、私に抱きつくココンを引き剥がせなかった。
私の腕は、軽い体を抱えたまま。
「さて、此処が元群生地だ」
眼前に広がる岩と礫の山。
葉も茎も押し潰され、目に見える範囲の物は既に乾き変色している。
冷たく乾いた風が捲き上げる土から、腕の中のココンを庇う。
(根が、無事ならば――)
「ココン、公爵閣下のところへ」
私が下ろそうとしても、ココンの抱きつく力はぎゅうっと強くなる一方。
悠然と立つ公爵に困惑した視線を送ると、頷かれる。
私を見上げるココンの灰色の目。
これから起こす奇跡を焼き付ける、無垢な瞳。
「一緒に、祈ってくれる?」
こくりと頷いたココンを抱え直し、岩と礫に埋もれる根を見据える。
大きく息を吸って、解放する白い魔力。
《生命の水!》
岩と礫の山の中心から白い魔法陣が一気に広がり、私の魔力が完全に覆い尽くす。
ありったけの祈りを込めた白い光が、輝きを放ちながら消えていく。
その後には、静寂。
誰もが、発する言葉を忘れていた。
「あ、お」
舌足らずな、可愛らしい声が風に乗る。
岩と礫の隙間からしっかりと伸びた茎。
その先に咲く、青。
天上の妖精の名に相応しい、天の高さを感じさせる青い花。
そよりと触れる凪いだ風が、きらきらと輝く一面の青を揺らしていた。
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次回は明日、【夜20時20分】に更新します。




