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29.優しさの行く先

 なるほど。


 この時間は、エルンストのためにアインホルン公爵が用意したもの。

 子爵が何も言わずに従っていたのは、事前に了承していたから。

 外で勝手に会われるよりは、余程、安心安全ということ?



「今日は、怒っていない?」


 私の問いに、エルンストの表情に少し影がさす。


「――黒い森では、すまなかった。君を怯えさせるつもりは無かった」

「誤解しないでほしいのだけど、脅されている訳では無いの」


 以前の軟禁の時は、フロイを人質にされていた。


「君は、彼が好きだとでも?」

「私はまだ初恋もしていないわ」


 結婚指輪をはめた時の、嬉しそうなグートの顔。

 お互いの薬指にある揃いの証。

 そっと触れる指先に、エルンストの目が留まる。


「何度も手紙を出していたのだが」

「……それは、初耳ね……」

「どうやら、そのようだ」

「――重ね重ね、ごめんなさい」


 これは確実に子爵がやらかしている。

 グートならば、一応、渡してはくれたはず。


「君は優しいから、そのうちに私に絆されてくれると信じていたのだが。……優しすぎるのも考えもの、ということか」


(私の何が、エルンストに刺さったの?)


 エルンストなら、どんな美女でも選り取り見取りだろうに。

 一角獣(アインホルン)の紋章が入った騎士服を纏う姿は、誰もが見惚れるほど。壁際に控えるメイドだって、顔を赤らめている。


「エルンストさんは、なんで」


 そこで、アンベーテンから聞いたことを思い出す。

 そういえば――


「――その様子だと、私の噂を聞いたようだが。わかってくれているとは思うが、婚約者に逃げられたのは事実だが、もうひとつの噂は、事実無根だ」


「わかっているわ。どこの世界にも、事実を捻じ曲げて噂する人たちはいるものよ」


「……君はやはり、どこまでも優しいな」


 私に向けられる、悲しそうな諦めたような、複雑な表情。

 好意を隠さない視線。

 低くよく通る声には前のような仄暗さはなく、大人の落ち着きがある。


「家が決めた婚約者だったが、私は、相思相愛だと信じていた。ところが、私の元婚約者は私に愛を囁きながら、他の男の赤子を身籠って逃げた。それ以来、女性を信じられなくなったんだが」


 なかなかの醜聞。

 愛を信じて疑わなかった女性の裏切り。


(それだけでも充分耐え難いのに――)

 

 貴族特有の噂話や周囲からの同情を装った嘲笑だって、エルンストの心を傷つけたはず。

 ちくりと痛む胸を隠すように、右手で左手を包み込む。


「君は、感情が表情に表れてわかりやすい」


(え? そんな理由?) 

 

「儚い容姿も、自分を犠牲にする優しさも。その危うさから、目が離せない」


 また――

 私の灰眼が、エルンストの青い目に捉えられる。


「私を選んでくれないか?」

「ごめんなさい」


「……もう少し、考えてから返事をしてもらいたかったが」

「あ」


 食い気味の即答。

 私はエルンストの手を取るつもりはない。


 目を閉じたエルンストがつく深い溜め息。

 しばらくの沈黙後、目を開ける。


「……ここまで粘っても、君の心が私に向くことはないのだな」


 見計らったかのように、応接室の扉が叩かれる。

 動き出す使用人たち。


 私とエルンストの時間は、ここまで。


「君が私の手を取らなくても――。君の幸福を、願っている」



 ブルーポピーは、私とエルンストの面会と引き換え。


 その間も進められていた非臨床試験と治験。


 特効薬となるほど有効な薬は認められなかった。

 だけど、お母さんの薬をはじめとして、いくつかは良い効果をみせたという。

 他の者もこぞって貴重な鉱石や幻といわれるハーブなどを求めているらしい。


 やっと見えた希望。

 謎の奇病の件もあって沈んでいた東部地方は、再び日々の活気を取り戻している。


 子爵邸で過ごすか、冒険者ギルドで依頼を受ける日々に戻った私の日常。



「ようこそ、白百合の天使」


 冒険者ギルドを訪れると、必ず、アンベーテンが自ら出迎えに出てくる。


「よぅ、嬢ちゃん。討伐依頼か? それなら良いのがある」


 ムーティヒは、このギルドの副長だった。

 顔に大きな傷痕があって強面だけど、話せるようになれば気安い男。面倒見の良さが滲み出ている。


「もう、ギルド長も副長も! それは私の仕事です! リーリエさん、こちらへどうぞ」


 初対面時、私に怯えていた受付嬢は、今ではごく普通に話せる間柄。

 ギルド長であるアンベーテンと、副長であるムーティヒ。

 この2人が私への接し方を変えたこと、特に――


「俺の時間は、俺の天使のためにあるのでね。何でも言ってくれ、白百合の天使」


 アンベーテンは、もう、杖をつかずに歩いている。

 この変化に私が関わっていることを、察しているのかもしれない。

 この受付嬢の目は、よく見ている。


「リーリエさんは、なるべく近場で、できるだけ手応えのある魔物の討伐をご希望ですよね」


 討伐依頼書をめくる受付嬢の手が、避けた1枚。


「それは……?」


「あ、これは。場所が領地境ですし、討伐じゃなくて調査なんですよね」

「依頼日から、時間が経っているようだけど」

「依頼主が孤児院なので。報酬が安いでしょう? 労力に見合わないから、受ける冒険者がいないんです」


 冒険者も生活が懸かっているし、依頼を選ぶ権利もある。

 だけど、困っている人がいるのに、放ったらかしだなんて。


「それにするわ」

「え? でも――」

「いいの。その依頼、私が受けるわ」

お読みいただき、ありがとうございました!

次回は明日、【夜20時20分】に更新します。

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