20.求婚
黒い森の庵に漂う幸せな甘い匂い。
5月のリーリエの誕生日。
お母さんが焼いてくれた、黒い森のさくらんぼケーキ。
ココアスポンジにチェリーと生クリームをサンドして、さくらんぼの蒸留酒を効かせた大人の味わいのケーキ。
「美味しい!」
リンゴとシナモンをたっぷり使ったケーキも好きだけど、こっちは格別。
可愛い見た目にも大人の味にも、にまにまする。
「おめでとう、リーリエ。約束通り大人のケーキだ」
「リーリエがこんなに料理上手だったとはな」
「ふふーん! 私だってこれくらいできるんだから!」
ケーキの甘い匂いに混じる、焼けた肉のお腹が空く匂いとお酒の匂い。
フォアムントさんが食べているのは、私が作った肉料理。
豚のすね肉を香味野菜とエールでじっくり煮込んでから、オーブンで皮がカリッカリになるまで香ばしく焼き上げた自信作。
(それはもう、良い食材を使ったもの!)
最近の依頼報酬やら、まさかの高値で売れた人食いムカデのボイルやら。
今の私の懐は過去最高に潤っている。
テーブルの上に並ぶケーキに肉料理、ブルスケッタやポテトサラダ。ちょっぴり良いお酒。
家族で囲む祝の食卓。
(幸せ!)
向かいに座るスボルのちょっとだけ赤い顔。
普段は陰気臭いけど、お酒が入ってよく食べる。
私は満たされた気持ちで、ケーキをぱくりと頬張った。
◇
「ゴンちゃん、レムちゃん!」
誕生日の翌日。
まだ上機嫌なまま来た薬草畑。
そこを守る2体のゴーレムに呼びかける。
どっちがどっちかは、まだ保留中。
すくすくと葉を伸ばすマンドラゴラとアンブロシア。
マンドラゴラの花の時期は終わって、もうすぐ実が収穫できる。
(早くお母さんの夢が叶って、万能薬と霊薬が完成するといいな)
この2つの薬草には《生命の水》を使わない。
とても繊細だから、余計なことはせずに見守るだけ。
ふと、空気が変わった。
私につけられている子爵家の護衛が、牽制する気配を強めている。
今日はスボルはいない。
私は周囲に目を走らせる。
「参った、優秀な護衛付きとは」
「エルンストさん!? 久しぶりね!」
木々の間から姿を現した声の主は、銀髪碧眼の騎士。
冒険者の格好ではなく、きちんと一角獣の紋章が入った騎士服を着ている。
姿を見たのは軟禁中の夜が最後。
声を聞いたのは目覚めなかった時の訪れが最後。
「気配を消して近づいたら危ないわよ?」
「認識阻害魔法は癖なんだ」
エルンストもわかっている。
子爵家の護衛が、求婚状を繰り返し送ってきた自分を警戒していることを。
「リーリエ、16歳おめでとう」
「ありがとう。庵に来ればいいのに」
「まずは、2人で話そうかと」
何か嫌な予感がする。
少し身構える私の目の前で、エルンストが片膝をついて跪く。
視線を下げた灰眼と見上げる青い目。
「リーリエ嬢。私と結婚して欲しい」
「なんで!?」
「……なんでときたか……」
求婚にまさかの「なんで」返し。
私とエルンストの間に落ちる沈黙。
一陣の風が白髪と銀髪を遊んでいく。
「……私を助けるために求婚してくれていたんでしょう? 私は黒い森に帰ってこれたの。もう、大丈夫よ?」
「誤解があるようだが、求婚は本気のものだ」
「……なんで?」
私たち、そんなに親しかった?
意味がわからない。
「君が好きだからだ。一番近くで、君を守りたい」
「ちょ、ちょっと待って! 私、一応――」
「知っている。君は、グート・カナーリエンと婚約した」
「じゃあ、なんで」
私の何度目かの問いかけ。
相変わらず、エルンストは跪いたまま。
「君が軟禁されていた時。硝子戸越しに見た君は、まさに籠の鳥だった。その次に会いに行ったら、君は眠り姫だ」
跪いて私を見上げているエルンストの表情が翳る。
「私の後悔がわかるだろうか。君はカナーリエン子爵家にいるべきではない。君を守るためなら何でもする。北部でもメルゼブルクでも、何処へでも連れて行く」
「私は、そんなこと望んでいないわ」
「君が優しいのは知っている。だが、君がこれまでに受けた仕打ちは怒っていいものだ。赦さなくていいものだ。私は君を永遠に失うところだった。君が赦しても、私が赦さない」
どうしよう。
エルンストが何だか怖い。
そういえば、前に「攫ってしまえばよかった」とか言ってなかった?
私が、じり、と下げた一歩。
足元で小枝がぱきん、と折れる。
「そこまで。リッター殿、お嬢様からお下がりを」
聞いたことのない声。
凛とした話し方は、少しお母さんに似ている。
視線だけ向けた先に立つ、女性剣士。
冒険者としては軽装な姿。
構えない姿勢が逆に手練に見える存在感。
エルンストは、素直に私から離れる。
「……少し、話しすぎたようだ」
あの女性剣士は、子爵家の護衛。
きっと、この事は全て報告される。
「君は優しい。そのうちに、私に絆されてくれると信じている」
エルンストはそう言い残し、くるりと背を向け去って行った。
エルンストの後ろ姿が見えなくなるまで私の視線は森の中。
私は女性剣士に向き直る。
緩やかに波打つ漆黒の髪は無造作に襟足で結ばれ、凛々しい目は紫色。泣きぼくろと紅が引かれた唇が色っぽい、大人の女性。
「ありがとう。少し、怖かったの」
「主からは、お嬢様の笑顔を守れと言われております。申し遅れました。私はブリュンヒルト。カナーリエン子爵家より、お嬢様を陰ながらお守りするよう申しつかっております」
感謝と求婚への戸惑いを素直に伝える私に、彼女の表情が柔らかくなる。
(やっぱり)
陰ながら、ってところが、護衛か監視か微妙。
「魔物と戦っている時に加勢してきたことは、あまりないわよね」
「とても楽しそうですので、手を出さないほうが宜しいかと」
私、戦闘狂ではないんだけど。
魔法が楽しいだけよ?
「庵に帰るわ。送ってもらえる?」
「承知しました」
身の安全はブリュンヒルトに任せて歩き出す。
成人は18歳。婚姻は女性なら16歳から可能。
グートは、私が成人するまで待つ、と言ってくれている。
だけど、エルンストの出方次第では、早まってしまうかもしれない。
「……何でこんなことに」
私は、誰かさんのように陰気臭く呟いた。
お読みいただき、ありがとうございました!
次回は明日、【夜20時20分】に更新します。




