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20.求婚

 黒い森の庵に漂う幸せな甘い匂い。


 5月のリーリエの誕生日。


 お母さんが焼いてくれた、黒い森のさくらんぼケーキ。

 ココアスポンジにチェリーと生クリームをサンドして、さくらんぼの蒸留酒を効かせた大人の味わいのケーキ。


「美味しい!」


 リンゴとシナモンをたっぷり使ったケーキも好きだけど、こっちは格別。

 可愛い見た目にも大人の味にも、にまにまする。


「おめでとう、リーリエ。約束通り大人のケーキだ」

「リーリエがこんなに料理上手だったとはな」

「ふふーん! 私だってこれくらいできるんだから!」


 ケーキの甘い匂いに混じる、焼けた肉のお腹が空く匂いとお酒の匂い。


 フォアムントさんが食べているのは、私が作った肉料理。

 豚のすね肉を香味野菜とエールでじっくり煮込んでから、オーブンで皮がカリッカリになるまで香ばしく焼き上げた自信作。


(それはもう、良い食材を使ったもの!)

 

 最近の依頼報酬やら、まさかの高値で売れた人食いムカデのボイルやら。

 今の私の懐は過去最高に潤っている。


 テーブルの上に並ぶケーキに肉料理、ブルスケッタやポテトサラダ。ちょっぴり良いお酒。


 家族で囲む祝の食卓。


(幸せ!)

 

 向かいに座るスボルのちょっとだけ赤い顔。

 普段は陰気臭いけど、お酒が入ってよく食べる。

 私は満たされた気持ちで、ケーキをぱくりと頬張った。



「ゴンちゃん、レムちゃん!」


 誕生日の翌日。


 まだ上機嫌なまま来た薬草畑。

 そこを守る2体のゴーレムに呼びかける。

 どっちがどっちかは、まだ保留中。


 すくすくと葉を伸ばすマンドラゴラとアンブロシア。

 マンドラゴラの花の時期は終わって、もうすぐ実が収穫できる。


(早くお母さんの夢が叶って、万能薬(パナケア)霊薬(エリクサー)が完成するといいな)


 この2つの薬草には《生命の水(アクア・ウィータ)》を使わない。

 とても繊細だから、余計なことはせずに見守るだけ。


 ふと、空気が変わった。

 私につけられている子爵家の護衛が、牽制する気配を強めている。

 今日はスボルはいない。

 私は周囲に目を走らせる。


「参った、優秀な護衛付きとは」


「エルンストさん!? 久しぶりね!」


 木々の間から姿を現した声の主は、銀髪碧眼の騎士。

 冒険者の格好ではなく、きちんと一角獣(アインホルン)の紋章が入った騎士服を着ている。


 姿を見たのは軟禁中の夜が最後。

 声を聞いたのは目覚めなかった時の訪れが最後。


「気配を消して近づいたら危ないわよ?」

「認識阻害魔法は癖なんだ」


 エルンストもわかっている。

 子爵家の護衛が、求婚状を繰り返し送ってきた自分を警戒していることを。


「リーリエ、16歳おめでとう」

「ありがとう。庵に来ればいいのに」

「まずは、2人で話そうかと」


 何か嫌な予感がする。

 少し身構える私の目の前で、エルンストが片膝をついて跪く。

 視線を下げた灰眼と見上げる青い目。


「リーリエ嬢。私と結婚して欲しい」

「なんで!?」

「……なんでときたか……」

 

 求婚にまさかの「なんで」返し。

 私とエルンストの間に落ちる沈黙。

 一陣の風が白髪(はくはつ)と銀髪を遊んでいく。


「……私を助けるために求婚してくれていたんでしょう? 私は黒い森に帰ってこれたの。もう、大丈夫よ?」

「誤解があるようだが、求婚は本気のものだ」

「……なんで?」


 私たち、そんなに親しかった?

 意味がわからない。


「君が好きだからだ。一番近くで、君を守りたい」

「ちょ、ちょっと待って! 私、一応――」

「知っている。君は、グート・カナーリエンと婚約した」

「じゃあ、なんで」


 私の何度目かの問いかけ。

 相変わらず、エルンストは跪いたまま。


「君が軟禁されていた時。硝子戸越しに見た君は、まさに籠の鳥だった。その次に会いに行ったら、君は眠り姫だ」


 跪いて私を見上げているエルンストの表情が翳る。


「私の後悔がわかるだろうか。君はカナーリエン子爵家にいるべきではない。君を守るためなら何でもする。北部でもメルゼブルクでも、何処へでも連れて行く」


「私は、そんなこと望んでいないわ」


「君が優しいのは知っている。だが、君がこれまでに受けた仕打ちは怒っていいものだ。赦さなくていいものだ。私は君を永遠に失うところだった。君が赦しても、私が赦さない」


 どうしよう。

 エルンストが何だか怖い。

 そういえば、前に「攫ってしまえばよかった」とか言ってなかった?


 私が、じり、と下げた一歩。

 足元で小枝がぱきん、と折れる。


「そこまで。リッター殿、お嬢様からお下がりを」


 聞いたことのない声。

 凛とした話し方は、少しお母さんに似ている。


 視線だけ向けた先に立つ、女性剣士。

 冒険者としては軽装な姿。

 構えない姿勢が逆に手練に見える存在感。

 

 エルンストは、素直に私から離れる。


「……少し、話しすぎたようだ」


 あの女性剣士は、子爵家の護衛。

 きっと、この事は全て報告される。


「君は優しい。そのうちに、私に絆されてくれると信じている」 


 エルンストはそう言い残し、くるりと背を向け去って行った。



 エルンストの後ろ姿が見えなくなるまで私の視線は森の中。

 私は女性剣士に向き直る。


 緩やかに波打つ漆黒の髪は無造作に襟足で結ばれ、凛々しい目は紫色。泣きぼくろと紅が引かれた唇が色っぽい、大人の女性。


「ありがとう。少し、怖かったの」


「主からは、お嬢様の笑顔を守れと言われております。申し遅れました。私はブリュンヒルト。カナーリエン子爵家より、お嬢様を陰ながらお守りするよう申しつかっております」


 感謝と求婚への戸惑いを素直に伝える私に、彼女の表情が柔らかくなる。


(やっぱり)

 

 陰ながら、ってところが、護衛か監視か微妙。


「魔物と戦っている時に加勢してきたことは、あまりないわよね」

「とても楽しそうですので、手を出さないほうが宜しいかと」


 私、戦闘狂ではないんだけど。

 魔法が楽しいだけよ?


「庵に帰るわ。送ってもらえる?」 

「承知しました」


 身の安全はブリュンヒルトに任せて歩き出す。


 成人は18歳。婚姻は女性なら16歳から可能。

 グートは、私が成人するまで待つ、と言ってくれている。

 だけど、エルンストの出方次第では、早まってしまうかもしれない。


「……何でこんなことに」


 私は、誰かさんのように陰気臭く呟いた。

お読みいただき、ありがとうございました!

次回は明日、【夜20時20分】に更新します。

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