15.好意
暮れなずむ空の下。
長く伸びる邸の影と木々の影。
影を踏んで子爵邸の敷地に入ってくる馬の蹄と車輪の音。
邸の前で停まった馬車から、鮮やかな赤髪の美女が降りる。
「お母さん! おかえりなさい!」
玄関ホールまで出ていた私は、お母さんの胸に飛び込む。
豊満な胸の感触に安心する。あぁ、良い匂い。
「ただいま、リーリエ。随分可愛く仕上げてもらったものだ。よく似合っている」
おめかしを褒められて、えへへ、とはにかむ。
お母さんは昨日から、カナーリエン領内のエディブルフラワーの栽培所や、貴重なブルーロータスの沼地を視察に出かけていた。
この日程を提案したのが、子爵側なのかお母さんなのかはわからない。
レルヒェの誕生日に私を独占できて、子爵がご機嫌なのは確か。
ギルド長は、私が目覚めて落ち着いた頃、1人で先に帰っている。
私とお母さんを子爵邸に置いていくのは心配そうだったけど、立場的にも身分的にも、あまり長くは滞在できない。
(……別に、寂しくないもん)
「カナーリエン卿。貴重な経験を感謝申し上げる」
「役に立ったのならば、幸いだ。此方も有意義な時を過ごせた。――それで、あの話は考えてくれたか?」
「子爵邸に留まる、という話ならば、答えは否やだ」
部屋で待っていた子爵と、お母さんの会話。
お母さんの口調は、実家が準男爵位を持つとはいえ、平民が貴族に対するものとしては不遜。
だけど、子爵は咎めない。
だから、周囲も咎められない。
「何故だ? 研究に必要な物は全て揃えるし、我が領内にも薬効の高い植物はたくさんある。それに、レルヒェは私たちの娘だ、2人で傍にいるべきだろう」
そんな話をしていたの。
全く、本当に諦めの悪い父親だわ。
アインホルン公爵の沙汰を反故にしようとするなんて。
「マンドラゴラとアンブロシアは、黒い森の限られた場所でしか育たない。何時迄もゴーレム任せにはできない」
「その、マンドラゴラとアンブロシアの栽培を成功させた手腕も、評価しているのだ。カナーリエン領内でも、良い場所はある筈だ」
なおも食い下がる子爵の声に、グートの溜め息が被る。
「父上。公爵の沙汰もありますが、グリゼルダ殿は婚約者の有る身。囲うことはできませんよ」
「そんな邪な考えではない。子どもには、父母が揃っている方が良いだろう?」
「……パパ。また、会いに来るから」
「ブルーロータスが咲く季節にでも、また視察をさせて貰えるならば有り難い」
「そうですよ、父上。離れるのは一時のことです。レルヒェに会う方法は、1つではありませんから」
私とお母さん、グートに重ねられ、子爵は渋々、それ以上に言い募ることを引っ込めた。
ただ、グートの言い方に、何か引っ掛かりを感じるんだけど。
グートが持つのは、善人の顔だけではない。
「……ならば、出立の日まで、レルヒェを存分に甘やかさせてくれ」
子爵の手打ち。
私の脳裏に全ての食事が「あーん」になる光景がフラッシュする。
私は1人、身震いをした。
◇
子爵邸を出立する日までの時間。
私はリハビリを兼ねて、マナーやダンスといった実技を中心に家庭教師の授業を受け、毎日リリーの世話をする。
フロイも常に一緒。
お母さんは子爵から邸の書庫を許されていて、研究に役立ちそうな資料の読み込みや、植物試料の手配。
たまに子爵の執務室で難しい話をしている。
その合間に私たちはなるべく共に過ごす。
今は、グートに誘われて遊戯室。
「あ、駄目! 待って!」
「レルヒェ、またかい?」
呆れつつも楽しそうなグートの声。
次の手で確実に黒い駒に獲られる運命の、盤上の白い駒。
チェスで白は有利なのに、何故、私は追い詰められているの?
「ところで、レルヒェ。エルンスト・リッターとは、どういう付き合いがあったんだい?」
「エルンストさん? 騎士の?」
私は触った駒をしれっと戻し、別の駒を動かす。
グートはもう私のルール無視に何も突っ込まない。
隠せていない小刻みな肩の震えを見せるだけ。
黒い駒を進めるグートの声に、探るような色が混ざる。
「そうだよ。彼は随分、君に肩入れしていたね」
「そう? ただの知り合いよ。何かあったの?」
「求婚状が届いた」
ぴしり。
固まった衝撃で吹き飛ぶ考えていた次の一手。
言葉を理解するのに、時間がかかる。
キュウコンジョウ? キュウコン?
――球根?
「……え? は? なんで?」
「リッターは、騎士の家系の男爵家。あの騎士は嫡男ではないから婿入り狙い……というのは穿ちすぎかな。単純に君に好意を持っているんだろうね。君は魅力的だ」
グートの手が、私に駒を動かすように促す。
そういえば、好意を感じる発言はあった気がする。
でも――
「彼と深い仲では――」
「ないないない! 幾つ年上だと思っているの!?」
「それならば良かった。求婚状は、父上が既に燃やしてしまったからね」
さすが子爵。仕事が早い。
私に何も告げることなく、リッター家に断りの返事も既に出している、と。
「……もしかして、他にも縁談はきているの?」
「本格的にくるのは、デビュタントしてからだね」
「……」
「心配は要らないよ。僕と父上がいる」
公爵の沙汰で、黒い森に帰ることが認められたのに。
もう、貴族の枠組みからは逃げられないらしい。
「チェックメイト」
ゲーム終了を告げる、グートの声。
いつの間にか、私は負けていた。
お読みいただき、ありがとうございました!
次回は明日、【夜20時20分】に更新します。




