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10.リーリエ

 私とグート、それからカナーリエン子爵。

 当たり前の光景になった、3人で囲む食卓。


「レルヒェの淑女教育は順調だそうだな」

「何事も飲み込みが早いと、教師も舌を巻いていましたよ」

「来年には、デビュタント出来そうだな」


「……デビュタント?」


 親子の会話に怪訝な表情をする私に、グートが顔を向ける。


「貴族の若い女性の、社交界へのお披露目だよ」


 それは知っている。

 そうじゃなくて。


「私は、忌み子なのに?」


 食卓が凍りつく。

 給仕のメイドも壁際に控える使用人もその場で固まる。


「……レルヒェは、私の可愛い娘だ。(ブルーメ)の、大切な忘れ形見だ」

白髪(はくはつ)が忌み子というのは、限られた地方の話だよ。君の容姿は美しいよ」

「……」


 どんどん貴族社会に呑み込まれていく。

 エルンストは本当に私を帰らせてくれるの?

 エルンストは、あんぽんたんだ。


「……黒い森に帰りたい」

「まだ、あの魔女を慕っているのか。レルヒェを私から奪った、黒い森の魔女を」

「何度も言うけど、グリゼルダは私を助けてくれたの。悪く言わないで」


 私が漏らした一言で立ち込め始める、険悪な空気。


「私のレルヒェに勝手に名を与えていたんだ。身の程知らずにも連れ去って、カナーリエンから遠ざけた」

「お母さんを悪く言わないで!!」


 テーブルの上で跳ねたナイフとフォークが音を立てて落ちる。

 最近は板に付いてきていた私のマナーは台無し。


 白い魔力が揺らぐ。


 続いている軟禁生活、自由のないスケジュール、メイドたちの私を見る視線。

 全てにがんじがらめにされて、足枷を嵌められている。

 夜だって満足に眠れていない。


 ふぅふぅと荒い息で激昂する私に、グートと子爵が息を呑む。


「レルヒェ、落ち着くんだ。体に障る。君は余り丈夫ではないだろう?」


 グートが私に手を伸ばす。

 だけど魔力暴走の兆候を見せる私には近づけない。


 白い魔力が乱れる。

 ここで私の魔力を暴走させたら大惨事。

 部屋の破壊にとどまらず、きっと死傷者が出てしまう。


(そんなのはだめ)

 

 ここには、私を優しく抱き締めてくれる人はいない。

 私は自分を抱き締めて必死に魔力を抑え込む。

 指先の色が変わり爪が食い込む。


「レルヒェ……!!」


 声が遠い。

 これはグートの声? それとも子爵?


(……だめ、だめ、外に出したらだめっ……!)


 外に放出されずに内に向かった激しい魔力の奔流。

 無理矢理抑え込まれて反発し私の体内で暴れ回る。


(痛い。苦しい。息ができない――)


 私の中で規則正しく聴こえていたはずの音。

 速くなり音が飛び乱れていく。

 あたたかいはずのものがもたらす激しい痛み。

 

 私の目から涙がこぼれる。


(おかあさん!!)


 ――全ての音が消える。


 私の意識は、そこで途切れた。




 ――まだ意識がぼんやりする中、目を開ける。


 息を吸ってすぐに、けほっ、と咳き込む。

 幼子が咳をしているというのに、誰一人様子を見に来ない。


 北の角部屋の埃っぽい空気。

 朝だというのに、弱く薄暗い陽の光。


 朝晩の寒さは初夏でも堪える。

 それなのに、部屋の暖炉が使われた形跡はない。

 私が着ている服もベッドの掛布も、季節に合わせたものではなかった。


(そうだ、にげなくちゃ)


 食事は毎日、不規則な時間に運ばれてくる。

 今日はまだ来ていない。

 食事がきたら、スープは飲んで、パンは収納魔法陣にとっておく。


 寝具は持ち出せない。


(ベッドに囮をつくらなくちゃ)

 

 防寒具に使えそうなのは、メイドが忘れていった大きめの拭き布だけ。

 外出着なんて与えられてすらいない。



 夕闇が迫り、夜の帷が下りきる前に――


 目立たぬ場所の窓の鍵を開け、小さな体を滑り込ませる。

 3階の高さは、幼子の私には死地。


(でも、だいじょうぶ)

 

 身体強化魔法は、いっぱい練習してきた。


(だいじょうぶ。きっとうまくいく)

 


 目論見通りに邸を抜け出して、敷地を走る。

 邸どころか、部屋の外に出る事すら初めてで、右も左もわからない。

 柵に辿り着き必死に登る。

 飛び降りればそこは敷地の外。

 あとは、ここから逃げるだけ。


(どこに? そんなのしらない、わからない。ここじゃない、どこかとおく)

 

 人目を避けて走り続ける。

 ずっと閉じ込められていた小さな体。

 荒い息で喉は切れて、初めて走った細い足は早々に悲鳴をあげている。


 魔力も気力も限界を迎える頃に辿り着いたのは、一面の鈴蘭の群生地。

 その花畑の中にとさりと倒れ込む。


 鈴蘭の甘くて爽やかな匂い。

 天国って、きっとこんな匂い。水を飲みたい。

 だけどもう指先ひとつ動かせない。

 意識が薄れて周りの宵闇すらぼやけていく。

 私はそのまま目を閉じた。



「……か? 生きているか?」


 女の人の声。

 でも、目を開けられない。


《サナーレ》


 ふわっと優しい魔力を感じて、ひりつくような体の痛みが引いていく。

 この魔法は、初めて知った。

 私の前でメイドたちが使ったことはなかった。


 睫毛を震わせながら、目を開ける。


 いつの間にか夜は明けていた。

 緑の葉と白く小さな釣鐘のような花。

 鈴蘭の緑の葉と白い花が連なるその隙間から、空の青が見える。

 そして、鮮やかな赤が目に飛び込んでくる。


(……だれ?)


「あぁ、気がついたか。名前は?」


 問いかけてくる鮮やかな赤髪の妙齢の美女。

 私はやっとのことで小さな声を絞り出す。


「……なまえ、ない。よばれたことが、ない」


 前世の名前も、私の中には残っていなかった。


 美女は大して驚いた様子もなく問いを重ねる。


「家は?」

「……ない。にげて、きた」


 私の答えに、美女は優しい顔をする。


「そんなところだろうな。私と一緒に来るか?」

「……いいの?」

「ちょうど、治験の協力者を探していたところだ」


 そっと視線を動かすと、背負籠いっぱいの鈴蘭が見えた。



 私を背負籠に隠して馬車を乗り継ぎ、美女が帰り着いたのは黒い森の庵。

 道中で熱を出した私にベッドを明け渡して、付き添ってくれている。


「私はグリゼルダ。この黒い森で、創薬の研究をしている」


 いろいろと飲まされた薬は、きっとグリゼルダが創った物。

 あの黒い液体は、悶絶するほどの凶悪な匂いと苦味があった。もし商品化するなら「呪妖狂葬」薬がぴったりの味。


「……ずっと考えていたが」


 私が無意識に握り続けているグリゼルダの手。

 グリゼルダも私の小さな手を優しく握ってくれる。


「お前の名前は、リーリエだ」


 唐突に与えられた、私の名前。


「お前を拾った場所に因んで鈴蘭(マイブルーメン)でもよかったが、此処に因む名前の方がいい。もうすぐ、庵の近くの百合の群生地も見頃を迎える」


「……百合(リーリエ)?」


 グリゼルダの手が私の頭を優しく撫でる。

 その触れ方はどこまでも優しくて、与えられる温もりに孤独が癒されていく。


「そうだ。私の事は、お母さんと呼べ」


 一拍置いて、言葉を付け足す。


「お母さんが呼びづらいなら、先生と呼べ。文字も魔法も、私が教える」


 突如として目の前に開いた新しい世界。

 熱に浮かされ潤む灰眼から涙がこぼれる。

 震える心のままに口をついた幼い声。


「……おかあ、さん……」


「もう、お休み」


 ずっと望んでは諦めていた誰かの温もり。


 生まれて初めての安息の中、私はゆっくりと眠りに落ちた。

お読みいただき、ありがとうございました!

次回は明日、【夜20時20分】に更新します。

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