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魔王の遺産相続、司法書士の俺が仕切ります 〜勇者も聖女も魔王の娘も、遺言書の前では平等です〜  作者: yamaarashi


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第9話(1)相続人リーゼへの確認

 故人を殺した者は、相続人になれない。

 日本の民法では、これを相続欠格という。どれほど近い血縁でも、どれほど大きな取り分があっても、被相続人の命を奪った者は、すべてを失う。

 十年間、俺はこの条文を、実務で一度も使ったことがなかった。

 使わずに済むなら、そのほうがいい条文だからだ。


   ◇


 大広間は、水を打ったように静まり返っていた。

 聖女マリエルの胸から、赤い光の糸がまっすぐ伸びて、祭壇の上の血統の書へとつながっている。金色の髪のあいだから、小さな黒い角が二本。左の手首には、黒い茨の形をした違約の烙印。

 右手の甲の数字は『三十三』のままだった。

「聖女様!」

 騎士団長ハロルドが、剣を抜いて彼女の前に立った。聖騎士たちが、いっせいに槍を構える。

 魔族の傍聴席でも、兵たちが武器を取って立ち上がった。ゼファルの黒狼が、低くうなる。ノクティアの角のまわりで、炎がゆらめいた。

「静まれ」

 誓文官長オルドが、杖で床を打った。

「ここは誓文法廷の場である。この場で血を流した者は、いかなる訴えの資格も失う。王国も、魔王領も、だ」

 ハロルドの剣先が、わずかに下がった。

 俺は、一歩前に出た。

「ハロルドさん。剣を収めてください。これは戦いではありません。相続の手続きです」

「黙れ、異界の者」

「黙りません。俺は、遺言執行者です」

 俺は、マリエルに向き直った。

 彼女は、胸に刺さった赤い糸を見下ろしたまま、身じろぎもせずに立っていた。いつもの微笑みは、口元に貼りついたままだった。

「聖女マリエルさん。いえ、相続人リーゼさん」

「……どちらでも、お好きなように」

「では、リーゼさん。遺言の執行にかかわることなので、確認させてください。少し長くなります」

「どうぞ」

 俺は、深く息を吸った。

 ここから先は、ひとつも間違えられない。

 推理小説の探偵なら、ここで得意げに指を突きつけるのだろう。だが、俺は探偵ではない。相続人の資格を確かめるのは、誰かを裁くためではなく、遺産を正しく分けるためだ。目の前にいるのは犯人である前に、故人の子どもの一人なのだ。

 だから、事実だけを、順番に並べる。登記の申請書を書くときと同じように。一つ目、二つ目、三つ目。感情は、書類の外に置いておく。

 それが、俺にできる唯一の誠実さだった。


「まず、あなたは魔王ヴァルゼクスの娘です。血統の書の四本目の糸。聖教会の聖印による封印。そして、真名で呼んだ瞬間、その封印は解けた」

 マリエルは、何も言わなかった。

「次に、あの夜の毒です。魔王が最後に飲んだお茶には、聖都の大聖堂の奥の泉でしか汲めない、濃い聖水が染みこませてありました。人間には害がない。でも魔族には、体の中から焼くような毒になる。その茶葉は、王国の使節団からの和平の贈り物でした。贈ったのは、使節団の全権代理です」

 聖騎士たちのあいだに、動揺が走った。

「三つ目。あなたは、交渉期間中の停戦の誓文に、王国全権代理として署名していた。『互いに一切の害をなさない』と。その手首の烙印は、停戦を破った者に刻まれるものです。法廷のあいだ、あなたは何度もその手首を押さえていました」

 マリエルの右手が、左の手首を覆った。もう、手袋はなかった。

「四つ目。法廷が終わったあと、あなたは俺に言いました。『あの黒薔薇の甘い香りの中で、静かに逝かれたのでしょうね』と。玉座の間に黒薔薇が飾られていたのは、あの夜だけです。謁見を断られたはずのあなたが、なぜそれを知っていたのか」

 広間の視線が、セレスに向いた。セレスは、強くうなずいた。

「五つ目。二通目の遺言書は、魔王の真名を知る者が、崩御の十日前に聖都の大聖堂で書いたものでした。魔王の真名を知っているのは、血を分けた子どもだけ。十日前に聖都にいた子どもは、あなたしかいません」

 俺は、結界石を掲げた。

「そして最後に、玉座の間の血の結界には、記録が残っていました。黎明の鐘より三刻と少しの後、封じられし血、一名。魔王の二つ目の心臓が止まる、ほんの少し前です」

 大広間に、誰かが息をのむ音が響いた。

「あなたは、毒の茶葉を贈った。そして魔王が死ぬ直前、玉座の間にいた」

 俺は、少しだけ言葉を切った。

「目的は、国庫帰属だったんですね」

 マリエルの微笑みが、ほんのかすかに揺れた。

「相続人と受遺者が全員欠格になれば、魔王の遺産は主のない財として、王国の国庫に帰属する。だからあなたは、全員を欠格にしようとした。毒の茶葉で、毎晩お茶を運んでいたノクティアさんに疑いがかかるように。玉座の間に最後に入った勇者が、魔王殺しに見えるように。偽の遺言書で、ゼファルさんが偽造の遺言を使った者として扱われるように。そして一通目の遺言書そのものを、無効にするために」

「……」

「でも、ルゥさんだけは巻きこまなかった。八歳の、辺境の村の子だけは」

 マリエルの肩が、ほんのわずかに震えた。

 俺は、最後の問いを口にした。右手の紋章が、光を帯びる。

「これは、遺言の執行にかかわる確認です。相続人リーゼ。あなたは、被相続人ヴァルゼクスを、死に至らしめましたか」


   ◇


 長い沈黙だった。

 大広間の全員が、聖女の唇を見つめていた。

 やがて、マリエルは、ふっと笑った。いつもの、絵に描いたような聖女の微笑みではなかった。もっと疲れた、年相応の、二十歳を少し過ぎたばかりの女性の笑い方だった。

「ええ。私が、殺しました」

 烙印は、浮かばなかった。

 それが、真実だという証だった。

「私の母は、先代の勇者でした」

 マリエルは、遠くを見るように言った。

「エレナという名の、強い人だったそうです。二十数年前、魔王を討つためにこの城へ来て、そして……魔王と恋に落ちた。私が生まれて、すぐに母は死にました。聖教会は、生まれたばかりの私を引き取って、こう教えたのです。『お前の母は、魔王に誑かされ、捨てられ、絶望の中で死んだ』と」

 ノクティアが、口元を押さえた。

「角には封印をかけられました。聖印で血を隠し、聖女として育てられた。いつか、魔王を滅ぼすための道具として」

 マリエルは、自分の左手首の烙印を見下ろした。

「和平の使節団に選ばれたとき、枢機卿様に言われました。『魔王の遺産を、王国のものにせよ』と。私は、喜んで引き受けました。母を捨てた男に、母の痛みを返せるのだと思った」

「だから、毒を」

「ええ。聖水を染みこませた茶葉を贈りました。毎晩、魔王に茶を運ぶ娘がいると、調べはついていましたから」

 ノクティアの顔が、真っ白になった。

「でも」

 マリエルの声が、ふいに揺れた。

「夜明けのあと、私は玉座の間へ行きました。血の結界は、私を拒みませんでした。拒むはずがなかったのです。死んだかどうか、確かめるために。そうしたら、あの人は……まだ、生きていたんです」

 広間の誰もが、息を止めていた。

「玉座に座って、ちょうど何かを書き終えたところでした。私を見ると、あの人は笑いました。そして、私を『リーゼ』と呼んだんです」

 マリエルは、両手で顔を覆った。


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