第2話 剣聖、冒険者になります(第三幕 剣聖と骸骨の鬼隊長)
王都の中心から少し離れた一角に、トウキ王国騎士団の本部があった。
王城を守る城壁とは別に、騎士団の敷地もまた堅牢な石壁に囲まれている。
正門の上には王国の紋章が掲げられ、その両脇には、白銀の鎧を身につけた衛兵たちが立っていた。
門の向こうには、石造りの騎士舎と武具庫が並び、そのさらに奥には広大な訓練場が設けられている。
王都の市場が人々の暮らしを支える場所だとすれば、ここは王国の平穏を守る者たちが、日々己の技を磨く場所だった。朝から響いていた剣戟は、昼を過ぎても衰えることがない。
訓練場では、騎士たちが二人一組となって剣を交えていた。
鋼の刃が打ち合わされるたび、乾いた金属音が石壁に反響する。
その響きに混じって、教官の厳しい声が飛び、踏み込む足が土を蹴り上げる。
風が吹くと、汗の匂いに革鎧の油、武具庫から漂う鉄の匂いが重なった。
使い込まれた訓練場の土には、無数の足跡が刻まれている。
何度も踏み固められ、剣を振るう者たちの汗を吸い込んできた大地だった。
その正門へ、一人の少女が駆け込んできた。
「こんにちはー!」
明るい声に、門番の騎士が振り向いた。
「おや、リゼお嬢様」
「スルスいる?」
「隊長でしたら、奥の訓練場におられますが・・・」
騎士はリゼの顔を見て、少し不思議そうに眉を上げた。
「今日は神託の日では?」
「終わったよ!」
「もうですか」
「うん! だから来たの!」
リゼは嬉しそうに笑った。
騎士は一瞬、何かを察したような顔になった。
「まさか、また隊長に勝負を?」
「もちろん!」
「・・・でしょうな」
騎士は苦笑した。
幼い頃から何度も繰り返されてきた光景だった。
バーソロミュー家の令嬢が訓練場へやって来る。
そして、騎士団長へ勝負を挑む。結果は、いつも同じ。
それでも翌日には、また元気な顔で現れる。
騎士団の者たちにとって、リゼはもはや珍しい来客ではなかった。
むしろ、訓練場に彼女の姿がない日のほうが、少し静かすぎると感じる者さえいた。
「今日は何か違うんですか?」
騎士が尋ねた。
リゼは、待ってましたとばかりに胸を張った。
「ふふん」
「・・・?」
「私ね」
少しだけ間を置く。
「剣聖になったの!」
「・・・・・・・」
騎士の表情が止まった。
「はい?」
「剣聖!」
「・・・剣聖?」
「うん!」
騎士は、しばらくリゼを見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「あの、伝説の?」
「そうみたい!」
「・・・」騎士は一度、門の向こうを見た。
それからリゼへ視線を戻す。
「隊長には?」
「まだ!」
「そうですか」
騎士は、なぜか深いため息をついた。
「本日も、訓練場が賑やかになりそうですな」
「えへへ」
リゼは嬉しそうに笑った。
そして、門を抜けて駆け出した。
訓練場へ近づくにつれ、剣を交える音が鮮明になっていった。
建物の角を曲がると、広々とした土の広場が目の前に開ける。
数十人の騎士たちが、組ごとに分かれて修練を行っていた。
木剣を使って基本動作を繰り返す若い騎士。
重い盾を構え、槍の突きを受け止める者。
魔力をまとわせた剣で、標的を斬りつける者。
それぞれが己の役割に応じた訓練を続けている。
その中央。
ひときわ大きな人影が立っていた。
いや。
正確には、人影と呼ぶべきかどうか。
白銀の鎧。濃紺のマント。
背丈は周囲の騎士たちより頭一つ高く、細身ながら、揺るぎない存在感を放っている。
そして、その鎧の上にあるのは、人間の顔ではなかった。
白い頭蓋骨。
深く落ち込んだ眼窩。
その奥には、小さな青い光が静かに灯っている。
スルス・フォン・アイン。
髑髏の騎士。
王都騎士団を率いる、歴戦の剣士である。
彼の前では、数人の若い騎士が息を切らしていた。
「もう一度」
低く、落ち着いた声が響く。
騎士たちの肩がわずかに跳ねた。
「た、たいちょおぉ〜!」
「まだ終わっていない」
「ですが、すでに三十本以上」
「数を数える余裕があるなら、剣を振れ」
「は、はい!」
騎士たちは慌てて構え直した。
スルスは大剣を片手で持ち、静かに立っている。
その姿には、無駄な力が一切感じられなかった。
大剣の重さを支えているというより、剣そのものが彼の身体の一部になっているかのようだった。
若い騎士が踏み込む。
鋭い斬撃。
スルスはわずかに身体を傾けた。
刃が空を切る。
次の瞬間、騎士の剣は大剣の腹に受け止められ、力の流れを変えられていた。
「足が先だ」
スルスが告げる。
「剣を振る前に、身体が倒れている」
「はい!」
「次」
別の騎士が踏み込む。
今度は横薙ぎ。
しかし、スルスは半歩だけ位置を変え、その攻撃を容易くかわした。
「刃先ばかり追うな」
スルスは迫る木剣を、大剣の側面で静かにいなした。
「斬撃が始まる前に、相手の身体はすでに動いている。
足の踏み込み、腰の回転、肩のわずかな沈み込み。
それを見落とすから、剣が届いてから反応することになる」
「は、はい!」
「もう一度だ。今度は私の剣ではなく、私が剣を動かす瞬間を捉えてみろ」
「はい!」
「もう一度」
騎士たちは必死だった。
だが、スルスの動きには焦りがない。
長い年月の中で磨き抜かれた剣技は、荒々しい力に頼るものではなかった。
必要な場所へ、必要なだけ身体を動かす。
それだけで、相手の攻撃は届かなくなる。
そして、ほんの僅かな隙を見逃さず、確実に反撃する。
それは、剣術というより、長い経験によって完成された一つの理だった。
「スルスゥ〜!」
突然、明るい声が響いた。
騎士たちの動きが止まる。
スルスの眼窩に灯る青い光が、ゆっくりと声の方へ向いた。
リゼが手を振っていた。
「来たよぉ〜!」
騎士たちの間から、小さな笑い声が漏れた。
スルスは大剣を下ろした。
「リゼ」
「うん!」
「今日は神託の日ではなかったか」
「終わった!」
「そうか」
「ねえ、聞いて!」
「まず、落ち着け」
「聞いてってば!」
「聞いている」
リゼは嬉しそうに胸を張った。
「私ね!」
スルスが静かに見つめる。
「剣聖になった!」
一瞬。
訓練場の空気が止まった。
若い騎士たちが顔を見合わせる。
「剣聖?」
「今、剣聖って言った?」
「バーソロミュー家の?」ざわめきが広がる。
だが、スルスだけは動かなかった。
白い頭蓋骨。
深い眼窩。
その奥に灯る青い光が、ほんの僅かに揺れた。
「・・・・・・」長い沈黙。
リゼは首を傾げた。
「スルス?」
「・・・そうか」
ようやく、低い声が返ってきた。
「剣聖か」
「うん!」
「・・・」
「それだけ?」
リゼは少し不満そうに頬を膨らませた。
「もっと驚いてよ!」
「驚いている」
「全然そう見えないんだけど!」
「私には表情がない」
「そういう問題じゃない!」
周囲の騎士たちが、堪えきれずに笑った。
スルスは、ゆっくりと彼らへ視線を向ける。
それだけで笑い声が止まった。
「訓練に戻れ」
「はっ、はい!」
騎士たちは一斉に散っていった。
リゼはその様子を見て、楽しそうに笑った。
「相変わらず怖がられ heてるねぇ」
「誰のせいだと思っている」
「えぇ〜? 私?」
「他に誰がいる」
「えへへ」
「褒めていない」
スルスは大剣を肩へ担いだ。
「それで、何をしに来た」
リゼは待ってましたとばかりに笑った。
「決まってるじゃん!」
腰に手を当てる。
「勝負!」
スルスは、しばらく黙っていた。
そして、低く告げた。
「・・・帰れ」
「えええっ!?」
「なんでよ!」
リゼが抗議する。
「今日は神託を受けた日だろう」
「だから来たんじゃん!」
「だから帰れと言っている」
「意味分かんない!」
スルスは大剣を下ろした。
「神託を授かったからといって、突然剣の腕が上がるわけではない」
「でも、何か変わった気がするんだよ!」
「気のせいかもしれん」
「気のせいじゃないって!」
リゼは一歩踏み出した。
その蒼い瞳には、いつもの好奇心と、それ以上の強い意志が宿っていた。
「ねえぇ、スルス」
「なんだ」
「私・・・試してみたい」
スルスは黙っていた。
「神託を受けたときね、今まで分からなかったことが、少しだけ分かった気がしたの」
リゼは自分の右手を見つめた。
「剣の動きとか、足の運び方とか。スルスがいつも言ってたことが、急に繋がった感じ」
「・・・・・・」
「だから、確かめたい」
リゼは顔を上げた。
「今の私が、どこまでできるのか」
その言葉を聞いて、スルスの眼窩の奥で青い光が静かに揺れた。
しばらくの沈黙。
やがて。
「・・・分かった」
「ほんと!?」
「ただし、条件がある」
「なに?」
「全力で来い」
リゼの表情が変わった。
嬉しそうな笑み。
「もちろん!」
スルスは大剣を構えた。
周囲の騎士たちが、自然と訓練の手を止め始める。
「おい」
「始まるぞ」
「剣聖の神託を受けたって本当なのか?」
「さっき本人が言ってただろ」
「隊長とやるのか」
騎士たちの間に、期待と緊張が広がっていった。
リゼは訓練場の端に置かれた木剣を手に取った。
使い慣れた長さ。
掌へ馴染む柄。
幼い頃から、何度も握ってきたものだった。
軽く振る。
空気が刃の代わりに流れ、手首へ馴染んだ重さが戻ってくる。
「うん」
リゼは小さく頷いた。
そして、スルスへ向き直る。
「行くよ!」
「来い」
最初の一歩は、いつもと同じだった。
リゼは地面を蹴り、間合いを詰める。
木剣を振り上げる。
スルスは静かに受けた。
だが。
その瞬間、リゼは違和感を覚えた。
違う。
見える。
スルスの剣が、どこへ動こうとしているのか。
大剣の角度。
肩の向き。
足の位置。
重心の移動。
これまで何度も見てきたはずの動きが、まるで細かな糸で繋がれているように理解できた。
リゼは反射的に剣の軌道を変えた。
スルスの大剣を正面から受けず、その側面へ刃を滑らせる。
衝撃が腕を抜けていく。
以前なら、ここで力負けしていた。
だが、今は違った。
相手の力を受け流し、その流れを利用して次の一撃へ繋げる。
「ほう」
スルスの声が漏れた。
リゼの目が輝く。
「今の、できた!」
「戦闘中に喋るな」
「分かってる!」
言いながら、さらに踏み込む。
剣が交わる。
一度 二度 三度。
スルスは大剣を巧みに操り、リゼの攻撃を受け流していく。
だが、その動きは先ほどまでとは少し違っていた。
以前なら、軽く剣を合わせるだけでリゼの体勢を崩せた。
しかし今は、そうはいかない。
リゼの足運びが変わっている。
踏み込む位置が正確になり、剣を振る軌道に無駄がなくなっていた。
何より、相手の動きを読む速度が上がっている。
スルスは静かに分析していた。
神託によって、彼女の身体能力そのものが劇的に変化したわけではない。
筋力も、持久力も、昨日と大きく違うわけではない。
だが、剣を扱うための感覚が研ぎ澄まされている。
長年積み重ねてきた修練が、今、別の形で実を結び始めていた。
「おお なるほど」スルスが呟いた。
リゼはその声を聞き逃さなかった。
「なに!?」
「少しは変わったようだな」
「でしょ!?」
「だが・・・」
スルスの大剣が、わずかに角度を変えた。
その瞬間。
リゼの視界から、剣先の行方が消えた。
「・・・えっ?」
次に感じたのは、足元の不安定さだった。
重心を崩された。
踏み込んだはずの足が、地面を捉えきれない。
「わっ!」
身体が傾く。
木剣が弾かれた。
リゼは咄嗟に体勢を立て直そうとしたが、間に合わなかった。
尻もちをつく。
目の前には、スルスの大剣の切っ先が静かに止まっていた。
「 」リゼは、その剣先を見つめた。
そして。
「負けたぁ」
大きく息を吐いた。
スルスは大剣を下ろした。
「当然だ」
「剣聖なのに!」
「剣聖なら私に勝てると、誰が言った」
「誰も言ってないけど」
「ならば、驚くことではない」
リゼは頬を膨らませた。
「むぅ」
スルスは静かに続けた。
「神託は、お前の可能性を広げたに過ぎん」
リゼが顔を上げる。
「可能性?」
「そうだ」
スルスは大剣を肩へ担いだ。
「剣を極める道が開かれた。だが、その道を歩くのはお前自身だ」
リゼは黙って聞いていた。
「昨日までの修練が無駄になったわけではない。むしろ、これから先、その積み重ねが力になる」
スルスは、彼女の手元へ視線を向けた。
「剣聖の名に頼るな。己の剣を磨け」
リゼはしばらく黙っていた。
そして。
「うん」
小さく頷いた。
その表情は、先ほどまでの無邪気な笑顔とは違っていた。
真剣だった。
剣を握る者としての、強い意志が宿っていた。
スルスは、その姿を静かに見つめた。
やがて。
「立て」
「え?」
「まだ終わっていない」
リゼの目が輝いた。
「もう一回!?」
「そうだ」
「やった!」
勢いよく立ち上がる。
土を払う。
木剣を握り直す。
そして、満面の笑みで構えた。
「今度こそ!」
スルスは大剣を構えた。
「来い」
午後の陽光が、訓練場の土を明るく照らしていた。
騎士舎の屋根から伸びる影が少しずつ長くなり、広場の端では、修練を終えた騎士たちが水を飲みながら汗を拭っている。
それでも、中央の一角では剣を交える音が続いていた。
リゼは何度も挑んだ。
何度も打ち倒された。
そのたびに立ち上がり、構え直した。
神託によって得た感覚を確かめるように。
自分の身体へ、新しい剣の理を刻み込むように。
スルスは一度も手を抜かなかった。
剣の軌道が甘ければ弾く。
足運びが乱れれば崩す。
隙があれば、迷わず打ち込む。
それは、幼い頃から変わらない修練だった。
けれど、今日だけは少し違っていた。
リゼの剣が、確かに変わり始めていた。
以前なら届かなかった間合いへ、刃が伸びる。
受け止めるしかなかった攻撃を、受け流せる。
そして、何より。
次の一手を考える余裕が生まれていた。
「くっ!」
リゼが踏み込む。
スルスが受ける。
剣が交わる。
一瞬の静寂。
そして、スルスの大剣がリゼの木剣を弾いた。
また、負けた。
「はぁっ、はぁっ」
リゼは膝に手をつき、荒く息を整えた。
額には汗が滲み、短い髪が頬へ張りついている。
だが、その顔には笑みが浮かんでいた。
「ふふ 楽しい」
思わず呟く。
スルスが見下ろす。
「何がだ」
「剣!」
リゼは顔を上げた。
「今までできなかったことが、少しずつできるようになってる!」
その瞳は、子どものように輝いていた。
「もっと強くなれる気がする!」
スルスは黙っていた。
白い頭蓋骨には、人間のような表情はない。
けれど、眼窩の奥の青い光が、静かに揺れていた。
長い年月の中で、彼は数え切れない剣士を見てきた。
才能に恵まれた者。
努力を重ねた者。
力に溺れた者。
そして、己の限界を越えようとし続けた者。
リゼは、まだ十五歳だった。
未熟で、無鉄砲で、危なっかしい。
だが、その瞳には、剣を愛する者だけが持つ純粋な輝きがあった。
スルスは静かに告げた。
「今日はここまでだ」
「ええっ!?」
リゼが顔を上げる。
「まだできるよ!」
「できん」
「できるって!」
「足が震えている」
「あっ?」
リゼは自分の足元を見た。
確かに、膝がわずかに震えている。
「ほんとだ」
「身体は正直だ」
スルスは大剣を収めた。
「神託を授かったからといって、疲労まで消えるわけではない」
「はぁ〜い」
リゼは渋々、木剣を下ろした。
その様子を見ていた騎士たちが、思わず笑みを浮かべる。
「相変わらずだな、リゼお嬢様」
「隊長相手にあそこまでやるとは・・・」
「剣聖ってのは、やっぱりすごいんだな」
リゼはその声を聞き、少し照れくさそうに笑った。
「えへへ」
スルスが振り向く。
「お前たち!」
騎士たちの背筋が伸びた。
「見物している暇があるなら、自分の修練に戻れ」
「はっ、はい!」
騎士たちは慌てて散っていった。
リゼは笑いながら、その背中を見送った。
「やっぱり鬼隊長だねぇ〜」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言ったもん」
「まったく」
スルスは小さく首を振った。
修練を終えたリゼは、訓練場の端にある石段へ腰を下ろしていた。
手には、水の入った木杯。
冷たい水が喉を通るたび、熱を帯びた身体の奥へ、少しずつ涼しさが戻っていく。
「ぷはぁ〜〜」
大きく息を吐く。
額から流れた汗を腕で拭い、空を見上げた。
午後の青空には、白い雲がゆっくりと流れていた。
騎士舎の屋根の向こうには、王城の尖塔が見える。
そのさらに先には、王都を囲む城壁が連なり、遠くの山々が淡い青に霞んでいた。
リゼは、しばらくその景色を眺めていた。
神託。
剣聖。
今日という日は、あまりにも多くのことが起こった。
朝、家を出たときには、ただ剣の神託が欲しいと思っていただけだった。
それが今、自分は《剣聖》と呼ばれている。
まだ実感は薄い。
けれど、確かに何かが変わった。
そして、その変化を誰よりもよく理解しているのは、きっとスルスなのだろう。
「ねえ、スルス」
隣に立つ髑髏騎士へ声を掛けた。
「なんだ」
「私、強くなれるかな」
スルスは、すぐには答えなかった。
訓練場を見渡す。
騎士たちは、再び修練を始めている。
剣を交える音。
教官の声。
土を踏む足音。
そのすべてが、王国を守るために積み重ねられている時間だった。
やがて、スルスは静かに言った。
「なれるかどうかではない」
リゼが顔を上げる。
「強くなるのだろう?」
「・・・」リゼは一瞬、目を丸くした。
そして「うん!」
満面の笑みで頷いた。
スルスは、それ以上何も言わなかった。
ただ、静かに訓練場を見つめていた。
その横顔を、リゼは少しだけ眺めた。
白い頭蓋骨。
深い眼窩。
小さく灯る青い光。
幼い頃から見慣れた姿だった。
怖いと思ったことは、ほとんどない。
むしろ、リゼにとっては、いつも変わらずそこにいる存在だった。
厳しくて、頑固で、口うるさい。
けれど、剣を教えるときには誰よりも真剣で、どんなに失敗しても、決して見捨てることはなかった。
リゼは、そんなスルスを尊敬していた。
そして、いつか必ず勝ちたいと思っていた。
「ねえ」
「今度はなんだ」
「明日も勝負してくれる?」
スルスは、ゆっくりと彼女へ顔を向けた。
「まずは今日の反省をしろ」
「えぇ〜」
「剣聖になっても、やることは変わらん」
「分かってるって」
リゼは笑った。
「でも、明日はもっと強くなってるかもしれないじゃん!」
「一晩でか」
「可能性はあるでしょ?」
スルスは、しばらく黙っていた。
そして。
「お前は本当に、昔から変わらんな」
低く呟いた。
リゼは首を傾げる。
「そう?」
「ああ」
「でも、強くなってるよ?」
「そこではない」
「じゃあ、どこ?」
「もういい」
スルスは歩き出した。
リゼは慌てて立ち上がる。
「ちょっと、スルス!」
「なんだ」
「明日の勝負!」
「まずは帰れ」
「えぇ〜〜!」
「母親が待っている」
「・・・ あっ!」
リゼの動きが止まった。
母。
そうだった。
神託を受けたら、ちゃんと帰って報告する約束をしていた。
「し・ま・た」
スルスが振り向く。
「忘れていたな」
「忘れてない!」
「では、なぜ黙る」
「ちょっとだけ」
「何を」
「思い出してた」
スルスは、しばらく彼女を見つめた。
そして、低くため息をついたような声を漏らした。
「まったく」
リゼは気まずそうに笑った。
「えへへ」
「笑って誤魔化すな」
「は〜い」
スルスは、訓練場の出口へ向かって歩き出した。
リゼも、その後ろを追いかける。
午後の陽光が、二人の影を石畳の上へ長く伸ばしていた。
大きな影と、小さな影。
その二つが並び、王都の街並みへと続く道を進んでいく。
リゼは、まだ知らなかった。
自分が授かった《剣聖》という名が、これからどれほど大きな意味を持つのか。
そして、隣を歩く髑髏騎士が、その名にどれほど深い思いを抱いているのかも。
ただ、今は。
明日も剣を振りたい。
もっと強くなりたい。
そして、いつかスルスに勝ちたい。
それだけで、胸がいっぱいだった。
「ねぇ〜、スルス」
「なんだ」
「明日も来るからね!」
「好きにしろ」
「やったぁ〜!」
リゼの明るい声が、午後の王都へ響いた。
スルスは何も言わず、歩き続けた。
だが、その眼窩の奥に灯る青い光は、どこか穏やかだった。
二人の背後では、騎士たちの修練が続いている。
剣を交える音が石壁を越え、王都の風に運ばれていった。




