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第2話 剣聖、冒険者になります(第二幕 神託 受け継がれる剣)

 教会の大扉の前には、朝の陽光が降り注いでいた。

白い石を幾重にも積み上げた壮麗な建物は、王都の古い歴史をそのまま形にしたような威厳を漂わせている。

正面の大きな尖塔は青空へ向かって高く伸び、その頂には、神々への祈りを象徴する黄金の紋章が掲げられていた。

長い年月を経た石壁には、雨風が刻んだ細かな陰影が残り、柱の上部には、翼を広げた天使や祈りを捧げる人々の姿が精緻に彫り込まれている。

朝日を受けた彫刻の輪郭は柔らかな光をまとい、まるで石の中に眠る者たちが、静かに目覚めようとしているかのようだった。

リゼは、その建物を見上げていた。

「……やっぱり大きいなぁ」

何度も訪れたことのある教会だった。

幼い頃には母に連れられ、祭礼の日には街の人々とともに祈りを捧げたこともある。

それでも今日、この場所に立つと、いつもとは違って見えた。

十五歳。神託を受ける年齢。

今日を境に、自分の人生が何か大きく変わるのかもしれない。

そう考えると、胸の奥がくすぐったくなった。

もっとも、リゼの心を占めていたのは、不安よりも期待のほうだった。

「剣士かなぁ〜 それとも、もっとすごいのかな?」

思わず口元が緩む。幼い頃から剣を握ってきた。

スルスに何度も打ち倒され、悔しさに唇を噛みながら、それでも毎日のように剣を振り続けた。

母にも教わった。

足の運び方。

呼吸の整え方。

相手の重心を見極めること。

剣を速く振ることよりも、無駄なく動くことの大切さ。

その一つ一つが、今の自分を形作っている。

だから、できることなら剣に関わる神託がいい。

そう思っていた。「リゼ!」背後から声がした。

振り返ると、同じ年頃の少女が手を振っていた。

「おはよう!」

「おはよう! リゼも今日だったんだね!」

「うん!」

少女は少し緊張した顔をしていた。

「私、昨日から眠れなくて・・・」

「どうして?」

「だって、どんな神託を授かるか分からないんだよ?」

「だから楽しみなんじゃない?」

あまりにも当然のように答えるリゼを見て、少女は目を丸くした。

そして、小さく笑った。

「リゼらしいね」

「そう?」

「うん。なんだか少し安心した」

二人が話している間にも、教会の前には次々と人々が集まってきた。

少年少女たちは、それぞれに緊張や期待を抱えながら、家族と最後の言葉を交わしている。

母親に襟元を直してもらう少年。

父親から肩を叩かれ、力強く頷く少女。

友人同士で笑い合いながらも、何度も教会の扉を見上げる者たち。

誰もが、これから自分に与えられるものを知りたがっていた。

やがて、鐘楼から澄んだ音が響いた。

その響きが広場を包むと、人々の話し声が少しずつ静まっていった。

重厚な大扉が、ゆっくりと開き始める。

古い蝶番が低く軋み、建物の内側に満ちていた薄暗がりが、朝の光の中へ姿を現した。

扉の向こうには、奥へと長く続く石造りの回廊があった。

「それでは、神託を受ける皆様。中へお進みください」

神官の穏やかな声が響いた。

リゼは一度だけ空を見上げた。

澄み切った青空。

ゆっくりと流れる白い雲。

朝日を受けて輝く教会の尖塔。

いつもと変わらない王都の朝だった。

けれど、その朝が自分にとって忘れられない日になることを、リゼはまだ知らなかった。

「よし!」

小さく拳を握り、教会の中へ足を踏み入れた。


 外の明るさに慣れた目には、教会の内部は少し暗く感じられた。

だが、数歩進むうちに、その印象は変わっていった。

高い天井を支える白い石柱が、左右に規則正しく並んでいる。

柱の表面には、蔓草や花々を模した繊細な彫刻が施され、頭上では幾本もの曲線を描く石の梁が、遥か高みで交わっていた。

その天井は、まるで石で編まれた森の枝々のようだった。

建物の側面には、背の高い色硝子の窓が並んでいる。

そこから差し込む陽光は、赤や青、淡い金色へと姿を変え、磨き上げられた石床の上へ、幾何学的な光の模様を落としていた。

人々が歩くたび、その影が光の上を横切る。

靴音は高い天井へ吸い込まれるように響き、少し遅れて柔らかな余韻となって戻ってきた。

外の市場では、商人たちの声や馬車の音が絶え間なく重なっていた。けれど、ここには別の静けさがあった。

人々が息を潜めているわけではない。

衣擦れの音も、囁き声も聞こえている。

それなのに、教会全体が何か大きなものを待っているように感じられた。

リゼは歩きながら、頭上を見上げた。

「すご!」

高窓を通った青い光が、石柱の白い表面を淡く染めている。

その隣では、赤い光が床へ細長く伸び、さらに奥では金色の光が祭壇へ向かって降り注いでいた。

まるで、空の色をそのまま建物の内側へ閉じ込めたようだった。

神託を受ける少年少女たちは、中央の長い通路を進み、祭壇の前に設けられた席へ案内されていった。

リゼもその一人だった。

椅子へ腰を下ろし、正面を見つめる。

教会の最奥。

数段高くなった祭壇の中央には、大きな白い石台が据えられていた。

その上に置かれているのは、透明な玉だった。

人の頭ほどもある玉は、細長い柱状に整えられ、表面には複雑な文様が刻まれている。

まだ誰も触れていないというのに、その奥には、ごく淡い光が宿っているように見えた。

リゼは思わず身を乗り出した。

「あれが神託の玉かぁ〜」

幼い頃から話には聞いていた。

神託の儀式では、神官の導きに従い、玉へ手を触れる。

すると、神々から授けられた資質が示されるという。

どのような仕組みなのか、詳しいことは分かっていない。

ただ、十五歳を迎えた人々にとって、それは人生の道標となるものだった。

「どんな感じなんだろう」

リゼは自分の手を見つめた。

細い指。

剣を握り続けた掌には、年頃の少女らしからぬ硬い部分がある。

木剣の柄に擦られ、何度も皮が剥けた。

治ったと思えば、また新しい傷ができた。

母には何度も手当てをしてもらった。

スルスには、手の痛みを理由に構えを崩すなと叱られた。

それでも、剣を手放したいと思ったことは一度もない。

リゼはゆっくりと指を握った。

自分の手だ。

これまで積み重ねてきた時間が、そこに残っている。

神託が何を与えてくれるのかは分からない。

けれど、これまでの努力まで消えてしまうわけではない。

そう考えると、不思議と落ち着いた。


 やがて、祭壇の奥から一人の老神官が姿を現した。

白い祭服をまとい、胸元には金色の紋章が輝いている。

年齢を重ねた顔には深い皺が刻まれていたが、その眼差しは穏やかで、集まった少年少女たちを見渡す姿には、長年人々を導いてきた者の落ち着きがあった。

老神官が祭壇の前に立つと、教会の中は静まり返った。

「本日、十五歳を迎え、神託を受ける皆様へ」

低く、よく通る声が響いた。

「今日という日は、皆様にとって新たな人生の始まりとなるでしょう」

その言葉が、石造りの天井へゆっくりと昇っていく。

「神託は、皆様の未来を縛るものではありません。授けられた力をどのように生かし、いかなる道を歩むか。それを決めるのは、皆様自身です」

リゼは静かに耳を傾けていた。

「力の大小に惑わされず、与えられた資質を大切に育ててください。そして、その力を己のためだけでなく、誰かを守るためにも役立てていただきたい」

老神官は一度言葉を切った。

そして、穏やかに微笑んだ。

「皆様の歩む道に、神々の祝福を」

祈りの言葉が唱えられた。

神官たちが静かに頭を垂れ、少年少女たちもそれに倣う。

高窓から差し込む光が、祭壇の玉を淡く照らしていた。

やがて、最初の名前が呼ばれた。

呼ばれた少女には、水に関わる魔法の資質が示された。

別の少年には、鍛冶職人としての優れた適性が授けられた。

透明なその玉は、そのたびに異なる光を放った。

光は玉の奥から静かに生まれ、ゆっくりと満ち、神託が告げられると、また穏やかな透明さへ戻っていった。リゼは、その一つ一つを目で追っていた。

「へぇ〜」思わず声が漏れる。

隣に座っていた少女が、小さく笑った。

「リゼ、楽しそうだね」

「だって、すごいじゃん」

「緊張しないの?」

「ちょっとはしてるよ?」

「全然そう見えないけど」

「そうかなぁ」

リゼは首を傾げた。

実際、胸は高鳴っていた。

ただ、その鼓動は怖さから来るものではなかった。

新しい剣を初めて握るとき。

知らない技を教わるとき。

スルスとの修練で、昨日までできなかった動きができるようになったとき。

そんな瞬間に感じる、胸の奥が熱くなるような期待。

今のリゼを満たしていたのは、それとよく似た感情だった。

そして。

「リゼ・バーソロミュー」

名前が呼ばれた。

「はい!」

リゼは勢いよく立ち上がった。

周囲から、小さな笑い声が漏れる。

老神官も、わずかに目を細めた。

「どうぞ、こちらへ」

「はい!」リゼは祭壇へ向かった。


 石床を踏む靴音が、静かな教会に響いていた。

一歩。

また一歩。

祭壇へ近づくにつれ、結晶の透明な輪郭がはっきりと見えてくる。

その内部には、細かな光の筋が幾重にも走っていた。

まるで、澄んだ氷の奥に星の欠片を閉じ込めたようだった。

リゼは祭壇の前で足を止めた。老神官が彼女を見つめる。

「バーソロミュー家のお嬢様ですね」

「はい」

「ご立派になられましたな」

「え?」

思いがけない言葉に、リゼは目を瞬かせた。

老神官は穏やかに笑った。

「幼い頃、お母様とご一緒に参拝されていた姿を覚えております」

「あっ」

リゼは少し照れくさそうに笑った。

「そんな小さい頃のことまで?」

「ええ。元気いっぱいで、なかなかお母様の手を離そうとなさらなかった」

「・・・それ、私ですか?」

「ふふ。間違いありません」

リゼは頬を掻いた。

「・・・覚えてないなぁ」

「それでよいのです」

老神官は結晶へ視線を移した。

「人は皆、知らぬ間に成長していくものですから」

そして、静かに告げた。

「さあ、この玉に手を触れてください」

リゼは頷いた。

右手を伸ばす。

透明な玉の表面へ、そっと指先を触れた。

ひんやりとしている。

最初は、何も起こらなかった。

リゼは結晶を見つめた。

「・・・?」

少しだけ首を傾げる。

そのとき。

指先の奥で、何かが動いた。冷たかった玉の表面に、かすかな温もりが生まれる。

それは指先から掌へ、掌から腕へと、ゆっくり伝わってきた。

「あっ」

リゼは小さく息を呑んだ。

玉の中心に、一筋の光が灯った。

淡い銀色だった。

その光は、静かな水面に落ちた月明かりのように、玉の奥で揺れている。

神官がわずかに身を乗り出した。

銀色の光。

それ自体は、珍しいものではあっても、前例のない現象ではない。

だが。

次の瞬間。

光が変わった。

銀色の筋が、玉の内部を真っ直ぐに貫いた。

まるで、一振りの剣が生まれたようだった。

「・・・これは」

老神官の表情が変わった。

玉の奥に生まれた光は、一本から二本へ、二本から幾筋もの輝きへと分かれ、やがて再び一つへ重なっていく。

細く、鋭く、澄み切った光。

それは激しく燃え上がる炎ではなかった。

荒れ狂う雷でもなかった。

むしろ、あまりにも静かだった。

無数の光が生まれては消えるというのに、その動きには一切の乱れがない。

すべてが、最初から定められた軌道を描いているかのようだった。

リゼは息をするのも忘れて、その光を見つめていた。

不思議な感覚だった。

身体の奥深く。

今まで意識したこともなかった場所に、何かが触れている。

熱いわけではない。

痛みもない。

けれど、自分の中に眠っていた何かが、ゆっくりと目を覚ましていくような感覚があった。

その瞬間。

リゼの意識の奥に、一つの感覚が浮かんだ。

剣。

握り慣れた木剣の重さ。

掌へ伝わる柄の感触。

踏み込む足の位置。

刃を振り抜く軌道。

スルスの大剣が迫る瞬間。

母の剣先が、わずかに角度を変える瞬間。

これまで何度も見てきた動きが、鮮明に思い起こされる。

だが、それだけではなかった。

今まで気づかなかったものが、見えるような気がした。

剣が動き始める、

その直前。

重心が移る、ほんのわずかな間。

相手の呼吸と、自分の足運びが重なる瞬間。

ばらばらだった無数の感覚が、一つの流れとして繋がっていく。

「これは ・・・ すごい ・・・」

リゼの唇から、言葉がこぼれた。

その声と同時に。

結晶が、眩い光を放った。

白銀の輝きが祭壇を満たし、石床へ長く伸びていた色硝子の光を飲み込んでいく。

神官たちが思わず顔を覆った。

少年少女たちの間から、驚きの声が上がる。

高い天井へ届くほどの光が生まれたかと思うと、それは瞬く間に収束した。

そして玉の中心に、一振りの剣を思わせる紋様が浮かび上がった。

老神官が、その紋様を見つめていた。

彼の顔から、血の気が引いていく。

恐怖ではなかった。驚きであった。

「・・・まさか」

震える声が漏れた。

結晶の中に現れた紋様。

それは、この王国の古い記録に残されているものと同じだった。

百年前。

一人の英雄に授けられた、伝説の神託。

老神官は、ゆっくりとリゼへ目を向けた。

「リゼ・バーソロミュー殿」

「はい!」

リゼは玉から手を離した。

老神官の様子が、明らかに変わっていた。

先ほどまでの穏やかな表情は消え、その眼差しには、深い畏敬の念が宿っている。

「あなたに授けられた神託は・・・」

教会の中が静まり返った。

誰もが、次の言葉を待っていた。

高窓から差し込む朝日が、祭壇の白い石を照らしている。

その光の中で、老神官は厳かに告げた。

「《剣聖》」

一瞬、誰も動かなかった。

「・・・・・・・えっ?」

最初に声を上げたのは、リゼだった。

老神官は、はっきりと繰り返した。

「あなたに授けられた神託は、《剣聖》です」

静寂が落ちた。

そして、次の瞬間。

教会の中に、どよめきが広がった。

「剣聖?」

「今、剣聖って!」

「本当に?」

「百年前の、あの・・・?」

驚きの声が、次々と重なっていく。

少年少女たちは互いに顔を見合わせ、神官たちも祭壇の結晶から目を離せずにいた。

《剣聖》その名を知らない者は、トウキ王国にはほとんどいなかった。

百年前、王国に現れた伝説の剣士。

その剣技は、今なお騎士たちの間で語り継がれ、王国の歴史書にも名を残している。

そして、その剣聖を輩出したのが、バーソロミュー家だった。

リゼにとっても、決して遠い存在ではない。

母から幾度となく聞かされてきた、偉大な曾祖母の物語。

自分と同じ家名を持ち、同じように剣を握っていたという、遥か昔の英雄。

その名が今、自分に与えられた。

「・・・私が?」

リゼは自分の右手を見つめた。

先ほどまで結晶へ触れていた掌。

いつもと変わらない、小さな手だった。

「・・・剣聖?」

もう一度、呟く。

その言葉が胸の奥へ届くまで、少し時間がかかった。

「ええっ!!」

リゼの目が大きく開いた。

「ええええっ!?」

教会中に響く声だった。

老神官が驚いて肩を揺らす。

「わ、私が!?」

「ええ」

「本当に!?」

「間違いありません」

「剣聖!?」

「はい」

「・・・すごい!」

リゼの顔が、ぱっと明るくなった。

先ほどまでの驚きが、まるで朝日を受けた花が開くように、喜びへ変わっていく。

「やったぁ〜!!」

思わず両手を握り締めた。

「剣聖だって!!」

老神官は、一瞬呆気に取られた。

そして、思わず笑みを浮かべた。

百年ぶりに現れた伝説の神託。

その重みを誰よりも理解しているはずの少女は、今、ただ純粋に喜んでいた。

自分が望んでいた、剣に関わる力を授かったことを。

「スルスに教えなきゃ!」

リゼは嬉しそうに呟いた。

「それから、お母さんにも!」

頭の中には、すでに二人の顔が浮かんでいた。

母は、きっと驚くだろう。

それから、いつものように笑ってくれるはずだ。

スルスはどうだろう。

あの骸骨の顔では、驚いているのかどうか分かりにくい。

けれど、眼窩の奥に灯る青い光が、ほんの少し揺れるかもしれない。

そして、きっとこう言うのだ。

『神託を授かった程度で浮かれるな。剣の腕は一朝一夕では身につかん』

リゼは思わず笑った。

「絶対、そう言うだろうなぁ」

老神官が首を傾げる。

「何か?」

「あっ、いえ! 何でもありません!」

慌てて姿勢を正す。

しかし、口元の笑みは消えなかった。


 儀式を終えたリゼが教会の外へ出る頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。

白い石段には明るい陽光が降り注ぎ、広場を囲む樹々の葉が、穏やかな風に揺れている。

教会の前では、神託を終えた少年少女たちが家族と再会していた。

嬉しそうに結果を報告する者。

少し考え込んだ表情で、父親と話している者。

友人たちと顔を見合わせ、これからの夢を語り合う者。

それぞれが、新しい未来への一歩を踏み出そうとしていた。

リゼは石段の上で足を止めた。

広場の向こうには、王都の街並みが広がっている。

幾重にも重なる赤褐色の屋根。

白い石壁。

遠くにそびえる王城の尖塔。

そのさらに向こうには、青く霞む山々が静かに連なっていた。

朝と変わらない景色だった。

市場では、今も商人たちが声を張り上げているだろう。

パン屋の窯では、次のパンが焼き上がっているかもしれない。

屋敷の庭では、母が花々の手入れをしている頃だろうか。

騎士舎では、きっとスルスが騎士たちを鍛えている。

王都は、いつも通りの一日を過ごしていた。

けれど、リゼにとってその景色は少しだけ違って見えた。

胸の奥に、まだ温かなものが残っている。

結晶に触れた瞬間の、不思議な感覚。

幾つもの剣の動きが、一つの流れとして繋がったあの瞬間。

そして、老神官が告げた言葉。

《剣聖》

リゼはゆっくりと右手を握った。

自分の掌は、何も変わっていない。

剣を握り続けてできた硬い部分も、そのままだ。けれど、確かに何かが変わった。

それが何なのか、まだ上手く説明できない。

ただ一つ、はっきりしていることがあった。

「剣、振りたいなぁ」

小さく呟いた。

すると、胸の奥から、どうしようもない期待が湧き上がってきた。

今、剣を握ったら。

いつもと同じように構えたら。

昨日まで見えなかったものが、見えるのだろうか。

昨日まで届かなかった剣が、届くのだろうか。

「よし!」

リゼは顔を上げた。

行き先は決まっている。

王都騎士団の騎士舎。

そこには、幼い頃から何度も剣を交えてきた師がいる。

白銀の鎧をまとい、深い眼窩の奥に青い光を宿した、恐ろしく厳しい騎士団長。

騎士たちから《骸骨の鬼隊長》と呼ばれる男。

スルス・フォン・アイン。

リゼにとって、誰よりもよく知る剣の師だった。

「スルス、驚くかなぁ」想像すると、笑みがこぼれた。

「うん。絶対、驚かせてやる!」

リゼは石段を駆け下りた。

その足取りは、教会へ来たときよりもずっと軽かった。

風が頬を撫で、短いアッシュブロンドの髪を揺らす。

目の前には、陽光に満ちた王都が広がっている。

石畳の道は市場へ続き、その先には騎士舎のある一角へ向かう通りが伸びていた。

遠くから、鍛冶屋の槌の音が聞こえてくる。

馬車の車輪が石畳を踏み、商人たちの声が街の賑わいに重なっていく。

いつもと変わらない、人々の暮らす王都の音。

その中を、一人の少女が駆けていった。

今日、トウキ王国に新たな剣聖が誕生した。

だが、その少女はまだ、自分に授けられた力が何を意味するのかを知らない。

これから出会う人々のことも。

剣を交える敵のことも。

遥か遠い異国の森で、やがて出会うことになる一人の聖女のことも。

そして、世界の運命を揺るがす戦いへ、自分が身を投じることになる未来さえも。

何一つ知らなかった。

ただ、リゼは笑っていた。

十五歳の少女らしい、無邪気な笑顔で。

新しく授かった力を、誰よりも尊敬する剣の師に見せたくて。

昨日までの自分より、ほんの少しでも強くなれたのか確かめたくて。

王都の青空の下を、夢中で駆けていった。

その先で待っているのが、祝福の言葉ではなく、いつもと変わらぬ厳しい修練であることなど。

今のリゼは、少しも気にしていなかった。


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