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第2話 剣聖、冒険者になります(第四幕 母から娘へ受け継がれる白銀の剣) 

午後の陽光が、王都の街並みを柔らかな金色に染め始めていた。

朝には人々の足音と商人たちの声で満ちていた大通りも、今は少し違った表情を見せている。

市場の天幕には傾き始めた陽が斜めに差し込み、赤や黄色の布を透かして、その下に並ぶ果物や陶器へ温かな色を落としていた。

店先では、昼の賑わいがひと段落した商人たちが品物を並べ直し、買い物を終えた人々が籠を抱えて家路についている。

パン屋の窯からは、午後の焼き上がりを知らせる香ばしい匂いが流れ出し、通りの向こうでは、職人が店先の木戸を修理する槌の音が響いていた。

その音は、石造りの建物に挟まれた街路を伝い、行き交う人々の声に混じりながら、やがて王都の穏やかな喧騒へ溶けていく。

リゼは、その大通りを歩いていた。

いや、歩いているつもりだった。

本人としては。

「いたたぁ〜」

右肩を軽く回す。

続いて左腕。

そして、少しだけ腰を伸ばした。

「うぅ・・・」

神託を受けたばかりの剣聖とは思えない声が漏れた。

スルスとの修練は、いつも通り容赦がなかった。

いや、今日に限っては、いつも以上だったかもしれない。

新しく授かった《剣聖》の感覚を確かめようと、何度も挑み続けた。

確かに、剣の動きは変わった。

今まで見えなかったものが見え、届かなかった間合いへ剣を伸ばせるようになった。

だが、そのたびにスルスは、さらに一歩先の剣を見せてきた。

結果、何度も転ばされ何度も剣を弾かれた。

そして最後には、足が震えて立っているのもやっとになった。

「剣聖なのに・・・」

リゼは小さく呟いた。

けれど、その口元には笑みが浮かんでいた。

もちろん悔しかった。

だが、それ以上に嬉しかった。

自分の中に、まだ知らない剣の世界が広がっている。

スルスの剣は、その世界がどこまでも続いていることを教えてくれた。

リゼは右手を握った。

掌には、木剣の柄を握り続けた感触が残っている。

「明日こそ! 絶対、一本取ってやるんだから」

そう呟いて、顔を上げた。

すると、目の前には見慣れた屋敷街が広がっていた。

王都の中心部から少し離れた、緑の多い一角。

石塀の向こうから庭木の枝が伸び、古い館の窓辺には季節の花が飾られている。

夕方の気配を帯び始めた風が、通りの樹々を静かに揺らしていた。

その先に、バーソロミュー家の屋敷が見えてくる。

リゼは少しだけ歩く速度を上げた。

今日の出来事を、母に話したかった。

神託のこと。

教会で起きたこと。

スルスとの修練。

そして、剣が今までとは違って感じられたこと。

話したいことが、山ほどあった。

「お母さん、驚くかなぁ」

想像すると、自然と笑みがこぼれた。

もっとも。母がどんな反応をするかについては、少しだけ不安もあった。

神託を受けたら、寄り道せずに帰るよう言われていたからだ。

「・・・」リゼは立ち止まった。

空を見上げる。

太陽は、すでに西へ傾き始めている。

「まぁ〜、 そっ大丈夫でしょ」

何を根拠にそう思ったのか。

本人にも分からなかった。


 屋敷の門をくぐると、庭には午後の静けさが満ちていた。

朝露に濡れていた芝生はすっかり乾き、花壇の草花が柔らかな風に揺れている。

庭の中央には、古い樹が枝を広げていた。

その根元には、幼い頃から何度も剣を振ってきた土の一角がある。

踏み固められた地面。

木剣で削れた古い標的。

樹の幹に残る、小さな傷。

リゼはその場所へ目を向けた。

まだ背丈が今よりずっと低かった頃。

木剣を両手で握り、何度も同じ動きを繰り返した。

母は、時折その様子を見に来てくれた。

スルスは、構えが崩れるたびに容赦なくやり直しを命じた。

泣きそうになったこともある。

実際、泣いたこともある。

それでも、翌日にはまた剣を握っていた。

あの頃の自分が、今日という日を知ったら、どんな顔をするだろう。

「・・・剣聖、かぁ」

リゼは小さく笑った。

まだ、少し不思議だった。

そのとき「おかえりなさい、リゼ」

屋敷の方から声がした。

振り返ると、庭へ続くテラスにアルテミシアが立っていた。

淡い色合いの普段着に身を包み、片手には小さな水差しを持っている。

庭の花々に水をやっていたのだろう。

傾き始めた陽光が髪を柔らかく照らし、その姿は、王都のどこにでもいる穏やかな母親のように見えた。

「ただいま〜!」

リゼは元気よく手を振った。

アルテミシアも笑顔で応える。

そして。娘の姿を上から下まで眺めた。

「お母さん?」

「リゼ」

「はい」

「今日は、どこへ行っていたのかしら?」

声は優しかった。

とても優しかった。

それが、かえって怖い。

リゼは一瞬、視線を逸らした。

「・・・教会」

「そうね」

「神託を受けて・・・」

「ええ」

「そのあと・・・」

「そのあと?」

アルテミシアは微笑んでいる。

リゼは覚悟を決めた。

「騎士舎 ・・・です」

「でしょうね」

即答だった。

「えっ!?」

「その服を見れば分かるわよ」

リゼは自分の服を見下ろした。

朝、きれいに整えたブラウスには土埃がつき、スカートの裾にも小さな汚れが残っている。

髪も少し乱れていた。

「・・・あっ!」

アルテミシアは楽しそうに笑った。

「神託を受けたその日に、スルスのところへ行ったのね?」

「うん」

「それで?」

「・・・勝負した」

「勝った?」

リゼは唇を尖らせた。

「負けた」

アルテミシアは、とうとう声を立てて笑った。

「ふふっ。でしょうね」

「ちょっと! そこは慰めてよ!」

「だって、あの人に勝てると思ったの?」

「思った!」

「本当に?」

「ちょっとだけ」

アルテミシアは笑いながら、水差しを脇の台へ置いた。

「もう。あなたって、本当に変わらないわね」

「お母さんまでスルスと同じこと言う!」

「だって、同じことを思うんだもの」

「もぅ〜」

リゼは頬を膨らませた。

その姿を見て、アルテミシアはさらに笑った。

けれど、やがて娘の顔をじっと見つめた。

「それで?」

「え?」

「肝心の神託は?」

リゼの表情が変わった。

「あっ!」

それまでの不満が、一瞬で消えた。

「そうだったぁ!」

アルテミシアは目を細める。

「忘れていたの?」

「忘れてないよ! 話そうと思ってたんだって!」

「はいはい」

「ねえ、お母さん!」

リゼは一歩近づいた。

その蒼い瞳が、期待に輝いている。

「私ねぇ〜」

アルテミシアは静かに待った。

「《剣聖》だった!」

風が、庭の樹々を揺らした。

葉の隙間から差し込む光が、石畳の上でゆっくりと形を変える。

アルテミシアは、しばらく娘を見つめていた。

「・・・」

リゼが首を傾げる。

「お母さん?」

「・・・そう」

アルテミシアは小さく呟いた。

「剣聖、だったのね」

「うん!」

リゼは嬉しそうに頷いた。

「すごいでしょ!」

「ええ」

アルテミシアは微笑んだ。

「すごいわ」

その声は、いつもと変わらず優しかった。

けれど、胸の奥には、言葉にできないものが静かに広がっていた。

《剣聖》その名を、彼女は誰よりもよく知っていた。

栄光も責任もそして、その名の下で失われたものも。

けれど、目の前の娘は、そんなことを何一つ知らない。

ただ、自分の望んでいた力を授かったことを、心から喜んでいる。

アルテミシアは、その笑顔を見つめた。

そして、ゆっくりと息を吐いた。

「おめでとう、リゼ」

その言葉に、リゼの顔がぱっと明るくなった。

「ありがとう!」

アルテミシアは娘の頭へ手を伸ばした。

短いアッシュブロンドの髪を、優しく撫でる。

リゼは少し照れくさそうに笑った。

「もう子どもじゃないんだけど」

「15歳は、まだ子どもよ」

「えぇ〜」

「私にとっては、いつまでもね」

アルテミシアはそう言って、娘を見つめた。

その眼差しには、深い愛情が宿っていた。


 夕食までには、まだ少し時間があった。

リゼは湯で汗を流し、着替えを済ませてから、母のいる居間へ向かった。

バーソロミュー家の居間は、広すぎず、落ち着いた雰囲気を持つ部屋だった。

大きな窓からは庭の緑が見え、壁には古い風景画や、家族にゆかりのある品々が飾られている。

暖炉の上には、小さな花瓶が置かれ、淡い色の花が静かに咲いていた。

窓辺のテーブルには、二人分の紅茶が用意されていた。

焼き菓子も並んでいる。リゼはそれを見つけると、嬉しそうに声を上げた。

「あっ、お菓子!」

「手を洗った?」

「洗ったよ!」

「本当に?」

「もう! 子どもじゃないってば!」

アルテミシアは笑った。

「はいはい」

リゼは椅子へ腰を下ろした。

窓から差し込む午後の光が、紅茶の表面を琥珀色に輝かせている。

湯気とともに、花のような柔らかな香りが立ち上っていた。

リゼはカップを両手で持ち、ひと口飲んだ。温かな紅茶が喉を通る。

修練で疲れた身体に、その優しい温もりが染み渡るようだった。

「おいしいね」

「よかった」

アルテミシアも向かいへ腰を下ろした。

「それで、神託はどうだったの?」

「すごかったよ!」

リゼは身を乗り出した。

「玉に触ったらね、最初は何も起こらなかったんだけど」

そこから、話は止まらなかった。

玉の中に銀色の光が現れたこと。

その光が剣のような形になったこと。

神官が驚いていたこと。教会中が大騒ぎになったこと。

そして、自分の中で何かが変わったように感じたこと。

アルテミシアは、時折相槌を打ちながら、静かに聞いていた。

「それでね、スルスと勝負したら、今まで分からなかったことが分かるようになってたの!」

「そう」

「剣の動きとか、足の位置とか。なんて言えばいいのかな」

リゼは少し考えた。

「今まで、別々だったものが、全部繋がった感じ!」

アルテミシアの目が、わずかに細くなった。

「なるほどね」

「分かる?」

「ええ。何となくね」

「ほんと!?」

「もちろん」

アルテミシアは微笑んだ。

「剣を振るうとき、身体の動きが一つになる感覚でしょう?」

リゼの目が輝いた。

「そう! それ!」

「ふふっ」

「お母さん、やっぱりすごいね!」

アルテミシアは笑った。

「あなたの母親ですもの」

リゼは嬉しそうに頷いた。

「でも、スルスには勝てなかったんだよねぇ」

「でしょうね」

「またそれ〜」

「だって、あの人は強いもの」

アルテミシアは、どこか懐かしそうに言った。

「とてもね」

リゼは少し不思議そうに母を見た。

「お母さん、スルスのことよく知ってるよね」

「ええ」

「昔から?」

アルテミシアは、紅茶のカップを静かに置いた。

「そうね」

少しだけ間を置く。

「ずいぶん昔からの知り合いよ」

「ふ〜ん」

リゼは焼き菓子を口へ運んだ。

それ以上、深く考えることはなかった。

スルスが母の古い知人であることは、以前から知っていたからだ。

それよりも、今は気になることがあった。

「ねえ、お母さん」

「なあに?」

「私、もっと強くなれるかな」

アルテミシアは娘を見つめた。

「なれるわよ」

迷いのない答えだった。

リゼは目を丸くした。

「ほんと?」

「ええ」

アルテミシアは微笑んだ。

「だって、あなたは今までずっと頑張ってきたでしょう?」

リゼは少し照れくさそうに笑った。

「うん」

「神託は、その努力を無駄にするものじゃないわ」

母は静かに続けた。

「むしろ、今まで積み重ねてきたものを、もっと大きく育ててくれるものよ」

リゼは黙って聞いていた。

「でもね」

アルテミシアの声が、少しだけ真剣になった。

「強くなることと、強さに頼ることは違うの」

「・・・?」

「どれほど優れた力を持っていても、それだけで何でもできるわけじゃない。大切なのは、その力をどう使うかよ」

リゼは、ゆっくりと頷いた。

「うん」

アルテミシアは、そんな娘を見つめて微笑んだ。

「まあ、あなたなら大丈夫でしょうけど」

「なんで?」

「だって、あなたは剣が好きなんでしょう?」

「うん!」

「だったら、きっと自分で答えを見つけられるわ」

リゼは嬉しそうに笑った。

その笑顔を見て、アルテミシアは静かに立ち上がった。

「そうだわ」

「ん?」

「リゼに、渡したいものがあるの」


 アルテミシアは居間を出ると、廊下の奥へ向かった。

リゼは椅子に座ったまま、首を傾げていた。

「なんだろぉ?」

しばらくして、母が戻ってきた。

その手には、細長い包みが抱えられていた。

深い紺色の布に包まれたそれは、リゼの腕ほどもある長さだった。

アルテミシアは、包みをテーブルの上へ静かに置いた。

「お母さん?」

「開けてみて」

リゼは母を見た。

アルテミシアは微笑んでいる。

けれど、その眼差しには、先ほどまでとは少し違う静けさがあった。

リゼは包みへ手を伸ばした。

布を留めている紐を解く。

一重。

また一重。

深い紺色の布が、ゆっくりと開かれていく。

そして白銀の輝きが現れた。

リゼの手が止まった。

そこには、一振りの剣があった。

細身で、長い刀身。

無駄のない美しい形状。

鍔から柄へと続く装飾は繊細でありながら、決して華美ではない。

剣としての機能を極限まで磨き上げたような、洗練された造形だった。

刀身は、普通の鋼とは違う輝きを放っていた。

白銀色の金属の奥に、淡い青みを帯びた光が宿っている。

窓から差し込む午後の陽光を受けると、その表面には、澄んだ水面を渡る光のような柔らかな反射が走った。

ミスリル。

この世界でも、極めて貴重な金属。

軽く、強靭で、魔力との親和性に優れた素材。

優れた武具の材料として知られ、熟練した職人でさえ、その加工には高度な技術を必要とする。

そして、目の前の剣は。

ただのミスリル製の武器ではなかった。

リゼは、息を呑んだ。

「・・・これ」

知っている。

幼い頃から、何度も話を聞いていた。

バーソロミュー家に伝わる家宝。

かつて、百年前の剣聖が使用していたという伝説の片手剣。

「まさか」

リゼは母を見た。

「これって」

アルテミシアは静かに頷いた。

「ええ」

その声は、穏やかだった。

「バーソロミュー家に伝わる、ミスリルの剣よ」

リゼは、もう一度剣を見つめた。

「本物?」

「本物よ」

「・・・触っていい?」

アルテミシアは少し笑った。

「もちろん」

リゼは、そっと剣へ手を伸ばした。

柄に指を添える。

冷たい金属の感触。

だが、不思議なことに、その冷たさはすぐに消えた。

掌へ馴染む。

まるで、長い間使い続けてきた剣のように。

「すごい!!」

リゼは小さく呟いた。

剣を持ち上げる。

思っていたよりも軽い。

それでいて、頼りなさは少しもなかった。

刀身の重心が、自然と手の中へ収まる。

剣を振るう者にとって、これほど心地よい感覚はなかった。

「きれい・・・」

リゼは、白銀の刀身を見つめた。

そこには、窓から差し込む光が映っていた。

淡い青白い輝きが、剣の表面を静かに流れている。

アルテミシアは、その姿を見ていた。

娘の手に握られた剣。

その形、その輝き、その重さをすべてを知っている。

かつて、幾度となく握った剣だった。

数え切れない戦場を駆け抜けた。

仲間と肩を並べた。

守るべきもののために振るった。

そして、失ったものもあった。

その記憶が、剣の白銀の輝きとともに、胸の奥へ静かに浮かび上がってくる。

けれど、今その剣を握っているのは、自分ではない。

目の前には、15歳の娘がいる。

明るく、好奇心旺盛で、剣を振るうことが何より好きな少女。

アルテミシアは、ゆっくりと息を吐いた。

そして、静かに告げた。

「リゼ」

「ん?」

「その剣を、あなたにあげるわ」

「・・・・・・」

リゼの動きが止まった。

「え?」

アルテミシアは微笑んだ。

「あなたに、受け継いでほしいの」

「私に?」

「ええ」

リゼは剣を見つめた。

それから母を見る。

そして、もう一度剣を見る。

「ほんとに?」

「もちろん」

「いいの?」

「あなたに渡すために、ずっと大切にしてきたのよ」

リゼは、しばらく言葉を失っていた。

いつもなら、思ったことをすぐ口にする少女だった。

けれど、このときばかりは、胸の奥に広がる感情を、うまく言葉にできなかった。

「・・・ありがとう」

ようやく、それだけを言った。

アルテミシアは優しく微笑んだ。

「どういたしまして」

リゼは、もう一度剣を見つめた。

白銀の刀身、美しい装飾、手に馴染む柄、そのすべてが、今、自分のものになった。

けれど、ただ嬉しいだけではなかった。

この剣には、長い歴史がある。

かつて、伝説の剣聖が握っていた剣。

その剣を、今、自分が受け継ぐ。

リゼは、少しだけ背筋を伸ばした。

「大切にするね」

その言葉に、アルテミシアの瞳が柔らかく細められた。

「ええ」

そして「でもね、リゼ」

「なに?」

アルテミシアは、娘の手にある剣を見つめた。

「一つだけ、覚えておいてほしいことがあるの」

リゼは真剣な顔で頷いた。

「うん」

アルテミシアは、ゆっくりと言葉を選んだ。

「その剣は、確かにバーソロミュー家の大切なものよ」

「うん」

「そして、あなたが今日授かった《剣聖》という力も、とても特別なもの」

リゼは黙って聞いていた。

「でもね」

母は娘の目を見つめた。

「それだけで、あなたの人生が決まるわけじゃないの」

「?」

リゼは少し首を傾げた。

アルテミシアは微笑んだ。

「剣は受け継げる」

そして、静かに続けた。

「でも人生まで受け継ぐ必要はないわ」

部屋に、穏やかな沈黙が落ちた。

窓の外では、庭の樹々が風に揺れている。

遠くの街から、夕方の鐘の音が聞こえてきた。

その響きは、石造りの屋根を越え、庭の緑を渡り、静かな居間へと届いていた。

リゼは、母の言葉を胸の中で繰り返した。

剣は受け継げる。

でも、人生まで受け継ぐ必要はない。

15歳のリゼには、その言葉のすべてを理解することはできなかった。

けれど、母が大切なことを伝えようとしているのは分かった。

「うん」

リゼは、ゆっくりと頷いた。

「分かった」

アルテミシアは、娘を見つめた。

そして、静かに微笑んだ。

「それなら、いいの」

リゼは剣を握り直した。

白銀の刀身が、午後の光を受けて輝く。

その輝きを見つめながら、ふと、何かを思いついたように顔を上げた。

「ねぇ、お母さん」

「なあに?」

「これって、すごく強い剣なんだよね?」

「ええ。とてもね」

「じゃあぁ」

リゼの目が、きらりと輝いた。

「これでスルスに勝てるかも!」

「・・・」

アルテミシアは、一瞬言葉を失った。

そして「リゼ」

「なに?」

「今の話、ちゃんと聞いてた?」

「聞いてたよ!」

「本当に?」

「もちろん!」

リゼは嬉しそうに剣を抱えた。

「だって、剣聖になって、こんなすごい剣まで貰ったんだよ?」

「ええ」

「絶対、もっと強くなれるじゃん!」

アルテミシアは、しばらく娘を見つめていた。

そしてふっと、笑った。

「そうね」

その笑みは、どこか懐かしそうだった。

「あなたなら、きっとそう言うと思ったわ」

リゼは首を傾げた。

「そぉ?」

「ええ」

アルテミシアは、楽しそうに笑った。

「本当に、誰に似たのかしら」

「お母さんじゃない?」

リゼが即答した。

アルテミシアは目を瞬かせた。

そして「そうかもしれないわね」

二人は顔を見合わせた。

次の瞬間。同時に笑い出した。


 夕暮れが近づいていた。窓の外では、庭の樹々が夕陽を受けて柔らかな影を落としている。

空の青は少しずつ深まり、遠くの王城の尖塔が、淡い茜色の空を背景に静かに浮かび上がっていた。

リゼは、自分の部屋へ戻っていた。

手には、母から受け継いだミスリルの片手剣。

白銀の刀身を、窓から差し込む夕陽が優しく照らしている。

リゼは剣を鞘へ収めた。

そして、机の上へ大切に置いた。

「剣聖、かぁ〜」

小さく呟く。

今日一日を振り返る。

朝、母に見送られて教会へ向かった。

神託を受けた。

《剣聖》という名を授かった。

スルスと勝負した。

何度も負けた。

そして、母からこの剣を貰った。

たった一日の出来事とは思えなかった。

リゼは椅子へ腰を下ろし、窓の外を見つめた。

庭の向こうには、王都の街並みが広がっている。

幾重にも重なる屋根。

夕陽に染まる石壁。

そのさらに向こうには、王都を囲む城壁が見えた。

そして、城壁の向こうには。

まだ知らない世界が広がっている。

深い森。

高い山々。

広大な平原。

見たことのない街。

出会ったことのない人々。

そして、まだ剣を交えたことのない強者たち。

リゼは、ゆっくりと目を細めた。

胸の奥に、言葉にならない期待が膨らんでいく。

「行ってみたいなぁ〜」

小さく呟いた。

王都の外へ。

まだ知らない世界へ。

自分の足で歩いてみたい。

その思いは、幼い頃から胸の中にあった。

けれど、今日、神託を受け、母から剣を託されたことで、その願いは少しだけ現実味を帯び始めていた。

リゼは机の上の剣へ目を向けた。

白銀の鞘。

美しい装飾。

そして、手に馴染む柄。

「うん」

小さく頷く。

「決めた!」

その声は、誰に聞かせるでもない、静かな決意だった。

リゼは窓の外へ目を向けた。

夕陽に染まる王都の向こう。

まだ見ぬ世界が、彼女を待っているように思えた。

「・・・冒険者になろう!」

そう呟いた瞬間。

胸の奥にあった何かが、すっと形を持った。

神託が与えてくれた力。

母から受け継いだ剣。

スルスから学んだ剣術。

そのすべてを持って、自分の知らない世界へ行く。

それは、誰かに命じられた道ではなかった。

自分で選んだ道だった。

リゼは、嬉しそうに笑った。

「楽しみ!」

窓の外では、夕暮れの風が庭の樹々を揺らしていた。

遠くの王都から、夜を告げる鐘の音が響いてくる。

その音は、街の屋根を越え、石壁を渡り、やがて静かな屋敷の窓辺へ届いた。

リゼは、もう一度剣を見つめた。

そして、そっと柄へ手を置いた。

15歳、剣聖リゼ・バーソロミュー。

その少女が、初めて自分の人生の行き先を決めた夜だった。


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