第三幕 積み重なる矛盾
部屋には重い沈黙が流れていた。アシルは机の上に肘を付き、考え込んでいる。クレマンは急かさない。ここで焦って責め立てても意味はない。自分で考え気付かなければ、同じことを繰り返し、やがて取り返しのつかない大失態を犯してしまう。
暫くして、アシルがぽつりと呟いた。
「……私が軽率だったのかもしれない」
「はい」
否定はしない。かもしれないではなく、軽率だったのだ。だが、大仰に肯定せず最小限に。まだ折れてもらっては困る。
「ですが、それだけではございません」
「まだあるのか」
「ございます」
アシルは苦虫を噛み潰したかのように顔を顰める。
「今日は随分と容赦がないな」
「殿下の現実認識が甘すぎますので。殿下だからと容赦していた結果が、今回です」
「……耳が痛い」
思わず甘えるなと怒鳴りたくなったが、ぐっと堪える。自分よりももっとアシルに怒鳴り付けたい人物がいるはずだからだ。クレマンは懐から数枚の紙を取り出した。
「なんだ、それは」
「ここ数か月、ニノン嬢が殿下へお話しされた内容を、侍従たちが覚えている範囲で纏めたものです」
「そんなものまで」
「流石に逐語録とは参りませんが」
クレマンが差し出したものをアシルは受け取る。ざっと目を通し、思わず笑った。笑っている場合ではないとクレマンは呆れる。アシルは今瀬戸際だというのに。
「よく覚えているものだ」
「毎回似たようなお話ですので」
その言葉にアシルの笑みが消える。
「似たような?」
「ええ」
クレマンは1枚目を指した。
「まずはこちらです」
──お姉様はお忙しいと言って、全然お話して下さらないんです。わたくしと話す時間など無駄だと。
「これは何度も聞いたな。ジョゼットは忙しいからな」
「そうですね」
クレマンはあっさり認めた。
「王妃教育に加え、1年後の結婚式の準備。更に最近は王妃陛下の執務補佐までなさっているそうです」
「母上の補佐?」
「書類仕事も社交の段取りも苦手でいらっしゃいますから」
アシルは思わず額を押さえた。そういえば母の執務補佐をしていた筆頭補佐官が老齢を理由に辞職していて、後任が中々見つからないとぼやいていた。
「つまり、ジョゼット嬢は本当にお忙しいのです」
「……ああ」
この数か月、婚約者同士の交流もままならないほどに。その隙間をニノンが埋めていた。
「では次です」
クレマンは2枚目を示した。
──お姉様はいつもわたくしを責めるのです。冷たいのです。わたくし、酷く虐められておりますの。
「これも毎回聞いた」
「そうでしょう」
「だから私は……」
そこでアシルは言葉を止めた。クレマンは静かに続きを促す。
「……可哀想だと思っていた」
「でしょうね」
「違うのか?」
「殿下」
クレマンは首を傾げる。
「忙しくて話す時間もない姉が、いつ妹を虐めるのでしょう」
「……」
アシルは固まった。
「会話も出来ないほど忙しい」
「そう聞いた」
「なのに頻繁に虐める」
「……」
「しかも頻度が上がっている」
「……あ」
初めて自分の口から洩れた。矛盾。今迄何度も聞いていたはずなのに、一度も考えたことがなかった。
「更に申し上げます」
クレマンは容赦なく続ける。
「ニノン嬢は、姉君に会うために王城に来たと仰います」
「ああ」
「しかし、姉君のおられる王宮へは向わず、しかも実際には会っておられません」
「……そうだな」
「つまり」
クレマンはアシルに言い聞かせるように一呼吸置いた。
「会いに来たという理由自体が成り立っておりません」
「……」
「そして」
3枚目を示す。
──お姉様は、わたくしを見るといつも怒るんです。恐ろしいお顔で、怒鳴ることもあります。
「……」
「でしたら、何故、毎週2回も3回も、虐める姉上に会いに来られるのでしょうね」
クレマンは穏やかに尋ねる。
「殿下でしたら、虐げられる相手に自ら近付きますか?」
「いや……」
「何度も何度も」
「近付かない」
「ではニノン嬢は?」
答えられない。答えは一つしかない。少なくとも、本当に恐れている相手の行動ではない。
「殿下」
「……」
「私はジョゼット嬢が決して妹を叱らないと申し上げているわけではございません」
「ああ」
「ニノン嬢に高位貴族としての礼儀作法に問題があるのは周知の事実です。公爵令嬢として相応しくあるよう注意なさることはあるでしょう」
「それは姉として当然だな」
「ですが、それを虐待や虐めと呼ぶのであれば」
クレマンは静かに言う。
「この国の家庭教師は全員、教え子を虐めていることになります」
アシルは思わず噴き出しかけた。だが笑えなかった。ジョゼットなら姉として注意をするだろう。
『淑女として相応しくありません』
『姿勢を正しなさい』
『言葉遣いが乱れています』
彼女のことだ、そう、柔らかい口調で妹を正すだろう。それをニノンが『虐められましたわ』と言っている姿まで想像できてしまった。
「殿下、ジョゼット嬢は高位貴族令嬢の鑑とまで言われる方です」
「ああ」
「対してニノン嬢は」
クレマンは一瞬言葉選びに迷った。だが、ここは率直に告げることにした。
「公爵令嬢らしからぬお振舞が多いと眉を顰められることの多い方です」
「……」
「どちらの話に説得力がありますか」
その問いに、アシルは返事が出来なかった。これまで一度も考えたことがなかった。ニノンの話を聞けば、そのまま信じていた。婚約者の妹だから、泣きそうな顔をしていたから、自分を頼ってくれたから。ただ、それだけの理由で。
「もう一つだけ」
クレマンは最後の紙を机に置く。そこにはニノンの口癖が記されていた。
──わたくしでしたら、アシル様のお傍で癒して差し上げられますのに。
アシルは苦笑する。
「これはよく言われる」
「殿下は、どう受け取っておられましたか」
「他意はないだろう」
アシルは肩を竦めた。
「堅苦しいジョゼットより自分のほうが気楽ですよ、と言いたいだけだと思っていた」
「そうですか」
クレマンは否定しなかった。ただ呆れた。そして、その表情から甘さが一切消えた。
「では、その言葉についてお話し致しましょう」
この静かな声音にアシルは胸騒ぎを覚えた。まるで今までの話など序章に過ぎないと告げられたようで、思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。




