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第46話: 三日月の試練

「証拠なんざねえよ。ただな、奴らが動きゃ必ず……病だの、暴動だの、戦の匂いがする。全部な」


店主は低く笑った。


「お前らも気をつけな。

深入りすりゃ、この街で二度と朝陽を拝めねえ」


悠真は杯を置き、深く息を吐いた。


確証はない。だが、点と点が線になり始めている。


 ◇


宿に戻る帰り道。


夜の市場はひっそりと静まり返っていた。

昼の喧噪が嘘のように消え、石畳に冷たい月光が白く落ちている。


リィナがぽつりと漏らす。


「北方領に送られる薬草……

本当に“治す”ためのものなのかな?

もし逆だったら?」


その言葉に、三人の足がピタリと止まった。


セレスが夜空の月を見上げた。


「月影商会はただの闇商会じゃない。

古代魔族の封印符を扱える人間が背後にいる。

そんなこと、普通じゃありえないわ」


犬の遠吠えが夜に溶ける。


――確かめなくては。

この街を覆う影の正体を。


表通りを外れた瞬間、空気が変わった。


「気づいた?」


隣を歩くセレスが、低く囁いた。


「ああ……足音が増えてるな」


悠真の手に、氷柱の盾が音もなく現れる。


気配は三つ、いや四つ。背後を取り囲むように迫ってくる。


リィナも小さく頷き、短剣を抜いた。

刃に走る稲妻の紋様が月光を弾く。


「完全に囲まれた……」


次の瞬間、黒い外套の男たちが姿を現した。

黒い袖口に、淡く青白く光る三日月の印が浮かび上がる。月影商会の見張りだ。


「おや……迷子の旅人がこんな裏道に?」


声は軽いが、その背後に潜む殺気は生々しかった。


「よそ者がうろつくには遅い時間だな」


先頭の男が鼻で笑い、片手を掲げる。

暗がりの中で刃の鈍い光が一斉に立ち上がった。


悠真は即座に盾を構え、仲間を背に庇った。


「悪いが、今は道を譲ってもらうぞ」


「そうはいかない」


合図と同時に、影が一斉に飛びかかってきた。


リィナの短剣が電光とともに閃き、敵の目を灼いた。続く雷光の一閃が武器を弾き、男の腕をかすめる。金属音が夜に響き、一人が怯んで後退した。


「下がって!」


セレスは杖を掲げ、低く詠唱を紡いだ。


「氷鏡――映し惑え」


路地の壁一面に透き通った氷の鏡が次々と浮かび上がり、敵の姿を複雑に反射・複製して幻惑させる。無数の分身が路地を埋め尽くし、攻撃の的を狂わせる。


しかし、鏡を維持する負担でセレスの額に汗が浮かんでいた。


「くっ、魔術師か……!」


見張りたちの動きが一瞬鈍る。


悠真はその隙を逃さず、盾を構えて前に踏み込み、相手を壁際に押し付けた。


盾が男の体にめり込む重い音が響き、男が呻いて崩れ落ちる。


「リィナ、セレス! 抜けるぞ!」


三人は一気に駆け抜けた。

背後で氷鏡が次々と砕け散り、怒声が響く。


だが、追撃は予想より早く止まった。


リィナが肩越しに振り返り、息を弾ませて言った。


「……おかしいよ。あれだけ囲んでおいて、本気で仕留めに来なかった。それに……動きが妙に統率されてる。囲み方といい、攻撃の強度といい……明らかに手加減されてた」


セレスも頷き、眉間に皺を寄せる。


「氷鏡に映ったわ。後ろで、まだ見ているだけの影がいた。

手を出す気配もなく、私たちの動きを観察していた」


悠真は奥歯を噛む。


「つまり、今のはお試しってことか。俺たちの力を測るために……」


宿の灯りが見えてきても、三人の緊張は抜けなかった。

退けたというより、見逃されたような不快な感覚が胸に残った。


ーーーーー


宿に戻ったのは、夜半を過ぎたころだった。


路地裏での小競り合いを経て、部屋にはまだ張り詰めた空気が漂っていた。


リィナは靴を脱ぎ捨てるなり椅子にドサッと座り込み、

セレスは黙ったまま窓辺に立って外を見下ろす。


悠真だけが落ち着かず部屋を行き来していた。


「……大きな影が、いるな」


悠真の独り言に、セレスは視線を戻した。


「ええ。あの小競り合いは見せつけよ。

私たちに『見ている』と知らせるための」


三人はしばらく無言でこれからのことを話し合った。路地で感じた視線と、月影商会の影の深さについて。


そのとき、扉が控えめに叩かれた。


三人が警戒の目を交わすと、悠真が盾に手をかけて応じた。


「……俺だよ。エルムだ」


扉を開けると、少年が立っていた。


疲れの残る表情だったが、瞳には迷いがなかった。


「妹の熱が下がったんだ……ありがとう」


リィナが少し照れくさそうに腕を組む。


「薬草師のばあさんがいい仕事しただけだよ」


しかしエルムは首を振った。


「違う。俺ひとりじゃ、何もできなかった。

……実は昨日、隣の家の子供が同じ咳で死んだんだ。

朝起きたらもう冷たくなってて……俺は何もできなかった」


エルムは拳を強く握り、声を震わせた。


「……俺はずっと、見てるだけだった。貧民街の連中が苦しんで、死んでいくのを。ただ見てるだけだった」


少年の目には、感謝だけじゃない、歯を食いしばるような怒りと後悔、そして守りたいという必死の思いが宿っていた。


「もう、嫌なんだ。このままじゃ……だから何でもいい。手伝わせてくれ」


悠真はその瞳をじっと見つめ返した。


「……危険だぞ。本当にいいのか?」


静かに問いかけると、少年は力強く頷いた。


悠真はゆっくり微笑み、右手を差し出した。


「わかった……歓迎するよ、エルム」


少年は目を丸くして――その手を、力強く握り返した。


ーーーー


翌朝、悠真たちは冒険者ギルドの資料室を訪れた。


昼間は賑わうギルドも、奥の書庫は別世界のように静かだった。


埃の舞う本棚でセレスが古い書物をめくり、やがて指が止まった。


「……あったわ」


ページに描かれた三日月の封印符。


「古代魔族が使った禁忌の印。

魔力を封じ、操り、時に増幅させる……

かつて人の国を滅ぼした“呪い”の象徴よ」


リィナが顔をしかめる。


「じゃあ、やっぱり魔族が関わってるってこと?」


セレスは静かに頷き、指先をわずかに震わせた。


「……師匠の言葉通りだわ。

師匠はいつも怖い顔をして言っていた。

『封印は忘れられたとき、必ず誰かの手で解かれる』って。

その時が来たら、絶対に近づくな……って」


セレスは一瞬目を伏せた。


幼い頃、師匠に強く言い聞かされた記憶が蘇り、胸が冷たく締めつけられる。


「今、まさにそれが起こってる……」


悠真が拳を握りしめる。


「月影商会の背後に、魔族がいる。

もしそれが事実なら、――これはもう街だけの問題じゃない」


リィナは机を軽く叩いて立ち上がった。


「じゃあ決まりにゃ!

裏で何をやってるのか、この目で確かめる!」


重苦しい空気の中、新たに加わったエルムを含め、四人の視線の先は、すでに一本の道に収束していた。


闇は想像以上に深い。

でも、もう退くわけにはいかなかった。

第46話、ありがとうございました。


ここから“本番”です。


次回『上位魔族と三日の死線』


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