第47話:上位魔族と三日の死線
夜の帳が街を覆い尽くすころ、悠真たちは宿を抜け出した。
行き先は港の外れにある倉庫街──月影商会の拠点のひとつだ。
昼間は労働者でごった返すが、深夜になれば静まり返り、海風の唸る音だけが響き渡る。
「こっちだよ」
先頭を歩くのはエルムだった。
背丈も小さく、戦士然とした力はない。
しかし、裏通りや小道を知り尽くした足取りには迷いがなく、まるで影のように先を導いていく。
「この時間の見張りは北側の通路に集中してる。
南側から回れば気付かれにくいんだ」
くぐもった声でそう告げ、手で路地を示す。
悠真は仲間を促し、少年の後に続いた。
やがて倉庫街の裏手にたどり着く。
巨大な建物が幾重にも連なり、闇の中で無言の壁のように並んでいた。
灯火は少なく、ところどころ巡回の影が揺れている。
リィナが小声で笑う。
「へえ、やるじゃん。
私たちだけじゃ、絶対こんな道わからないよ」
エルムは困ったように肩を竦めた。
「……貧民区じゃ、このくらい覚えておかないと生きていけないから」
その声音には苦みがあった。
悠真は彼を見やり、軽く頷く。
「無理はしないでくれよ。案内してくれるだけで十分助かってる」
少年は黙って頷き、再び先へ進んだ。
倉庫の裏壁に回り込むと、窓のひとつからぼんやりと光が漏れていた。
セレスが手を上げ、三人を制した。
「……中に気配があるわ」
壁ぎわに身を寄せ、息を殺して窓へ近づく。
埃の積もったガラス越しに、揺れる影が見えた。
悠真がそっと覗き込むと、そこには異様な光景があった。
倉庫の中央。
床に描かれた三日月形の刻印に向かい、ひとりの男が手をかざしていた。
符から赤紫の光が立ち昇り、周囲に並べられた武具や装飾品へ流れ込んでいく。
金属は自ら震え、うっすらと黒い気配を帯び始めた。
「魔具……」
セレスの声が震える。
「間違いないわ。封印符を媒介に、魔力を注ぎ込んでいる」
リィナは眉をひそめる。
「商人の仕事じゃない……完全に別もの」
男は呪文のような低い声を唱えながら、次々と魔具を黒い瘴気で満たしていった。
その手つきには一片の迷いもなく、人間の限界を超えた精緻さすら漂わせる。
そのときだった。
ふと男が顔を上げ、光に照らされたその目が窓際に向いた。
悠真たちは身を固くする。
だが、その目に宿ったものは──人のものではなかった。
ぎらり、と赤い光が走る。
一瞬だけだったが、瞳孔は縦に裂け──獣のそれのように輝いていた。
セレスが青ざめた唇で呟く。
「……魔族。間違いないわ」
リィナは思わず短剣に手をかけたが、悠真が制した。
「今はまだだ。全体像がみえてない……」
男は何事もなかったかのように視線を下ろし、再び作業へ没頭した。
やがて一本の剣が黒い靄をまとい、低く唸るような音を立てる。
倉庫の外にいる三人でさえ、胸の奥が締めつけられるような圧迫感。
ただの武具ではない。殺意そのものを形にしたような気配だった。
「……やばい」
リィナがかすれた声で言った。
「こんなのが街に出回ったら、普通の人間じゃひとたまりもない」
悠真は無言で頷く。額には冷や汗が滲んでいた。
その横でセレスは唇を噛みしめる。
「どうしてこんなものを……封印は破られたの? それとも……」
その疑問は答えを得ぬまま、ただ空気を重くしていく。
やがて男が立ち上がり、魔具を布で包んで箱にしまい始めた。
その動きは、まるで日常の仕事であるかのような自然さだった。
セレスが震える声で囁いた。
「……これはただ事じゃないわね」
「ああ、真相を暴くしかない。放っておけば、この街ごと飲み込まれるぞ」
そのとき──
不意に背後から物音がした。
振り返ると、巡回の兵が同じ通路に入ってきた。
「しまった……!」
リィナが低く叫ぶ。
エルムが咄嗟に手を引き、壁際の陰に誘導した。
「こっちです、急いで!」
細い通気路のような隙間へ滑り込み、物音を殺して身を潜める。
兵の足音がすぐ近くを通り過ぎ、冷たい汗が背中を伝う中、全員が息を殺し続けた。
「……助かった」
悠真が息を整えながら言った。
エルムは照れくさそうに肩を竦めた。
「こんなことしかできないけど……」
夜風が吹き抜ける倉庫街。
その涼しさよりも胸に残ったのは、背筋を撫でる不穏な気配だった。
――人の顔をかぶった魔族が、この街で暗躍している。
その確信が、彼らの心に重くのしかかった。
ーーーー
廃倉庫群の最奥――。
薄闇の通路を進むたび、骨まで凍るような冷気が悠真たちの肌を切り裂いた。
月影商会。表向きはただの交易拠点。
だが地下に潜む秘密の通路からは、冷気を纏った桁外れの魔力がうねりながら溢れ出ていた。
息を潜め、冷や汗をぬぐいながら進む。
そして――倉庫の奥に“あれ”が現れた。
一見、人の形。
だが違う。背中に絡みつく黒い瘴気が生き物のように蠢き暴れ、瞳の奥で血のような赤い光が妖しく脈打っていた。
悠真は思わず足を止める。
「……あれは?」
かすれた声で問うと、横のセレスが吐いた。
「上位個体……魔族の中でも選び抜かれた存在よ。私たちの力じゃ絶対に勝てない」
その一言に、リィナの手が震える。
「じゃ、じゃあ……どうすればいいの……」
上位個体の放つ圧は倉庫全体に満ち、冷たい瘴気の臭いが鼻腔を刺し、肌が粟立つほどの重苦しさがのしかかっていた。
戦えば即座に蹂躙される。
だが幸い、敵はこちらに気づいてはいない。
そのとき、倉庫の側面から荷馬車が入ってきた。
馬車の横板に刻まれた三日月――彼らが追い続けてきた月影商会の印だ。
荷台には木箱がぎっしり詰め込まれ、蓋の隙間から赤黒い光が這い出している。
セレスが息を詰め、耳を澄ませる。
荷馬車を仕切る男の声が冷えた空気に低く響いた。
「……この荷も北方領へ運び出せ。三日後だ。
最後の封印符が揃ったな。船団の準備は終わっている。予定に狂いは無い」
「ああ…儀式の準備も整った。後は開くだけだ」
三日後――。
「封印符」「儀式」
その言葉が静かに胸へ突き刺さる。
上位個体。魔具の輸送。そして三日後に迫る大規模輸送。
セレスの顔色が一気に蒼ざめた。
「……“門”を開くつもりね。封印符を使って、異界との通路を強制的にこじ開けるつもりなんだわ」
悠真が問う。
「通路を開くって……それがどういう意味を持つんだ?」
セレスの瞳が冷たく光る。
「異界の魔力が一気に流れ込む。制御できなければ、大規模な魔力災害を引き起こすの。都市ひとつが吹き飛ぶ規模よ」
その言葉にリィナが顔をこわばらせる。
「そんな……! 都市全部が……!」
悠真は拳を握りしめた。
三日。
その短い猶予の間に、この計画を止めなければ、誰も生き残れない。
背筋に冷たいものが走る。
敵は上位個体――今の自分たちでは到底勝てない存在。
そのうえ、三日以内に止めなければ都市規模の壊滅が訪れる。逃げ場も、迷う余裕もない。
リィナが短剣を握りしめ、震える声で言う。
「……でも、やるしかない。私たちが止めなきゃ、本当に手遅れになる」
セレスも黙って頷いた。
彼女の手も震えていたが、その瞳に揺らぎはなかった。
悠真は深く息を吸い、覚悟を決めた。
「三日だ……。俺たちで終わらせる。どんな手を使ってでも」
倉庫の闇はさらに深まり、遠くで上位個体の赤い光がゆらりと揺らめく。
運命の三日が、静かにカウントを始めていた。
第47話、感謝です。
物語はさらに深くなります。
次回『切り取られた封印の鍵』
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