第19話: もう、守れないなんて嫌だ
「リィナ! どうした、しっかりしろ!!」
激しい金属音が鼓膜を打つ。
目の前で、悠真が《風裂の刃》を血を吐くような思いで振るい、次々と襲いかかる漆黒の兵士たちを食い止めていた。
だが、リィナの指先はガタガタと震え、弓の弦を引くことすらできない。
目の前で上がる火花、黒い鎧の軍勢、そしてどこかから聞こえる同胞の悲鳴――。
(ああ……やめてっ……。この感覚、この匂い、あの時と……全く同じだ……!)
押し寄せる圧倒的な恐怖の濁流が、リィナの意識を十年前の「あの夜」へと、強制的に引きずり戻していく――。
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リィナが生まれ育ったのは、深い森の最奥に隠された猫耳族の集落だった。
猫耳族の卓越した身体能力と希少な魔力適性は、闇の世界において「一国を買い占められるほどの超高額な奴隷」として常に狙われ続けていた。
そのため、一族の長が展開する強大な結界――『永霧のヴェール』によって、数百年もの間、世界からその姿を隠し続けていた。
慎ましくも、優しく、平和な楽園。
狩人の父が教えてくれる弓の扱い、薬草に詳しい母の温かい手。リィナにとって、それが世界のすべてだった。
しかし、その楽園はある日、内側からあっけなく崩壊した。
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──運命の夜。
結界の核を守っていた長が、突如として何者かに暗殺された。
同時に、絶対に破られるはずのない『永霧のヴェール』が内側から霧散し、村の入り口から地獄がなだれ込んできた。
「敵襲だぁぁぁッ!! 結界が破られた! 魔族の傭兵団だ!!」
引き裂かれるような悲鳴が夜の静寂を破る。
外へ飛び出した幼きリィナの目に映ったのは、燃え盛る松明を掲げ、残虐に笑う黒鎧の兵士たちだった。
「猫耳族を一人残らず捕らえろ! 生かしたまま奴隷市場へ流せば、莫大な大金になるぞ!」
「抵抗する戦士はすべて四肢を叩き斬れ!」
「リィナ、すぐに森へ逃げなさい!」
父が叫び、必死に弓を番えて敵を迎え撃つ。だが、敵の数は無尽蔵だった。
「パパ、ママ! 私もみんなと戦うにゃ!」
「ダメよ、リィナ! あなたは生き延びるのよ、絶対に!」
母が涙を浮かべながら、リィナの背中を強く押した。
しかし、リィナは足がすくんで動けなかった。
燃え上がる家々、倒れていく仲間たち。
(私も……戦えば、みんなを助けられるかもしれない)
そう思った瞬間、目の前で父の胸を敵の冷たい刃が貫いた。
「パパァァァッ!!!」
叫び、駆け寄ろうとしたリィナの細い腕を、母が狂おしいほどの力で掴んだ。
「お願い……生きて、リィナ……!」
それが、母の最後の言葉だった。
次の瞬間、ギラついた目を引き連れた傭兵が母の髪を乱暴に掴み、無理やり引き剥がした。
「へへっ! こいつは上玉だ、高く売れるぞ!」
「やめてぇぇぇッ!! ママを放してえぇぇ!!」
リィナは絶叫した。
その直後――死に体の父が最後の力を振り絞って放った一射が、傭兵の喉を貫き、母が一瞬自由になる。だが、さらに多くの兵士が押し寄せてくる。
血を吐きながら、父が最後の咆哮を上げた。
「リィナ、行けぇぇぇぇッ!!!」
リィナは涙を流しながら、必死に森へと駆け出した。
背後では村が燃え、母の叫びと父の最期の姿が、彼女の脳裏に焼きついた。
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森の奥深くで膝をついたリィナは、震える声で呟いた。
「パパ……ママ……」
返事はない。
彼女は自分の無力さを、心の底から呪った。
「もっと強ければ……! もっと強ければ……!!」
この時、リィナは決意した。
「絶対に、強くなるんだ……!
もう、守れないなんて――嫌だ……!」
逃げるだけの自分とは決別する。
二度と大切なものを失わないために――。
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リィナは、森の奥深くで目を覚ました。
昨夜の出来事が悪い夢であってほしいと願ったが、現実は非情だった。
村は燃え、両親は――いない。
(ここでじっとしていたら、私も見つかってしまう……)
涙をこらえ、彼女は震える体を無理やり起こした。
食料も、水も、何もない。あるのは、昨夜の出来事が染みついた服と、心に突き刺さる痛みだけだった。
(強くならなきゃ……生き延びなきゃ……)
何度も自分に言い聞かせるようにしながら、彼女は森の中をさまよい歩き始めた。
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数日後、食料も水もなく、飢えと孤独で森を彷徨っていた幼きリィナの前に、一匹の巨大な狼が立ち塞がった。
「にゃっ……」
冷たい視線でこちらを見つめる獣。
体は痩せていたが、それでも幼いリィナよりはるかに大きい。
足が震える。でも、もう逃げたくなかった。
「うわぁぁぁっ!!」
リィナは足元に落ちていた木の枝を必死に拾い、牙を剥く狼に向かってがむしゃらに振りかざした。
当然、そんな子供の抵抗が通用するはずもない。狼がリィナの首筋に牙を立てようと跳躍した、その瞬間――。
シュッ――、と風を裂く鋭い閃光が走り、狼が悲鳴を上げて吹き飛んだ。
「お前、こんなところで何してんだ?」
低い、落ち着いた声。
目の前に立っていたのは、一振りの短剣を構えた、黒い毛並みを持つ猫耳族の青年だった。その圧倒的な気迫に圧され、狼は静かに闇へと退いていく。
「助けてくれて……ありがとう……」
腰を抜かしたリィナを見下ろし、青年は深くため息をついた。
「お前、一人なのか?」
「……うん」
「そうか。……まあ、助けちまったんだから、放っておくのも気が引けるな」
青年は肩をすくめると、リィナに手を差し伸べた。
「俺はカイル。お前、名前は?」
「リィナ……」
「リィナか。……強くなりたいか?」
その言葉に、リィナの耳がピクリと動く。
強くなりたい――それは、彼女が何度も何度も心の中で誓った言葉だった。
「……なりたいにゃ!」
「なら、ついてこい。狩りの仕方、戦い方、生き延びる術――全部、叩き込んでやる」
カイルの言葉に、リィナは迷わず頷いた。
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それが、カイルとの修行の日々の始まりだった。
カイルは優しかったが、戦闘の訓練においてはどこまでも冷徹だった。
「お前は小柄だ。だから力任せじゃ勝てない。速度と技術で戦うんだ」
短剣の扱い方、そして素早く敵の懐に潜り込む戦い方――。
速度、隠密、そして敵の意識の隙を突く正確無比な弓の技術。
それらを学ぶ中で、リィナは少しずつ自信を取り戻していった。
カイルと過ごす日々は、リィナにとって新たな希望だった。
「お前、すぐに顔に出るな」
「え……? そ、そんなことないよ!」
「はは、強がるなよ。ほら、肉が焼けたぞ」
そんな軽口を叩き合う日々の中で、リィナは少しずつ笑顔を取り戻していった。
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しかし――。
ある日、カイルはリィナにこう言った。
「ここで生きるのも悪くないが、お前にはもっと広い世界を知ってほしい」
カイルがふとそんなことを口にしたのは、いつものように焚き火を囲んで食事をしていた時だった。
リィナはカイルの言葉に耳を傾けながら、木の枝で火をつつく。
「……広い世界?」
「そうだ。お前はいつも聞いてくるだろう? “他の町には何があるの?”とか、“人間の国はどんなところ?”とかよ」
リィナはハッとした。
たしかに彼女はカイルと過ごす中で、何度もそんなことを尋ねていた。
「だって……知らないことばっかりなんだもん」
「それは当たり前だ。お前はここでしか生きたことがないんだからな」
カイルはそう言って、遠くを見つめた。
「この森は安全だし、俺もいる。だけど、お前が知りたいことの答えは、ここにはない」
「……」
リィナは言葉に詰まった。
カイルの話を聞くたびに心が躍った。
遠くの町には、猫耳族以外の亜人や、いろんな職業の人間たちがいて、見たこともない食べ物がたくさんある。
大きな市場では、珍しい品物が並び、吟遊詩人が楽器を奏でながら物語を語る。
魔法を扱う者がいて、強い剣士がいて――。
(そんな場所に、行ってみたい……)
リィナの胸に、知らない世界への憧れが芽生えていた。
カイルはそんな彼女の様子を見て、ふっと微笑んだ。
「お前、外の世界を見たくてたまらないんじゃないか?」
「……にゃっ」
「その顔は、そう言ってるぜ」
カイルは焚き火に木の枝を投げ入れ、立ち上がった。
「もし外に出るなら、ここにずっといるよりも、もっと強くなる必要がある。世界は広いが、それだけ危険も多いからな」
「……私、強くなる」
リィナは真剣な眼差しでカイルを見上げる。
「強くなって、いろんな場所に行って、いろんなものを見て……もっとたくさんのことを知りたい!」
「……いい決意だ」
カイルは満足げに頷くと、彼女の頭をポンと撫でた。
「よし、なら明日から特訓だな。旅に出るなら、もっともっと生き抜く術を身につける必要がある」
「うんっ!」
リィナは勢いよく頷いた。
――そのとき。
カイルが、ふと真顔になる。
「……それに。お前は、自分自身が思っている以上に“普通じゃない”。あの一族の、本物の『血』を最も濃く継いでいる。……いずれ、嫌でもそれに気づく時が来る」
「え……? どういう意味にゃ?」
きょとんとするリィナに対し、カイルはそれ以上何も語ろうとはせず、ただ静かに話を打ち切った。
「ほら、今日はもう休め。明日から忙しくなるぞ」
胸の奥から、熱い気持ちがこみ上げてくる。
カイルに拾われた日、森の中でただ震えていた自分。
弱くて、何もできなくて、守られるだけだった自分。
けれど、もう違う。
(私は……もう逃げるだけじゃない)
世界は広い。危険もある。でも、それ以上に知りたいことがたくさんある。
焚き火の炎がぱちぱちと弾ける音が、まるで彼女の心の高鳴りを映し出すように響いた。
その夜、リィナは眠れなかった。
心が弾む。胸が熱くなる。
見たことのない景色、知らない世界、出会うはずのない人々――それらが頭の中で巡っていた。
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「――リィナ!!! 伏せろ!!!」
悠真の張り裂けんばかりの絶叫が、過去の回想を強引に引き裂いた。
ハッと我に返ったリィナの視界に、漆黒の兵士が振り下ろす大剣が迫る。
死ぬ――そう確信した瞬間、悠真が横から強引に体当たりし、リィナを突き飛ばした。
ガキィィンッ!!!
身代わりとなった悠真の《風裂の刃》が激しい金属音を立てるが、防ぎきれずに悠真の身体が地面を激しく転がる。
「がはっ……!!」
「悠真!!!」
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次回『故郷で待っていたのは、漆黒の軍勢と幼馴染の涙』
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