第13話: 魔王軍の斥候“黒き戦鬼”
ギルドの大広間は、今日も冒険者たちの喧噪に包まれていた。
剣を腰に下げた男、魔法の杖を背負った女、荷物を抱えた商人風の依頼人――それぞれの声が混じり合い、活気と熱気を作り出している。
その中で、ひときわ視線を集める二人の姿があった。
「……あれが、例の“影の魔物”を仕留めたってやつらか」
「ギルドの連中でも手こずった依頼を、たった二人で……信じられんな」
ひそひそと囁かれる声。
悠真とリィナは、なるべく気づかぬふりをしてカウンターに向かった。
「今日も依頼を受けるにゃ。……けど、視線が痛いんだけど」
リィナが獣耳をぴくぴく動かしながら、小声で身を縮める。
「仕方ないさ。最近、まともに依頼をこなしているのは俺たちくらいだろ」
悠真は苦笑しつつ、木札の依頼書を手に取った。
これまでも、彼らは小さな村を襲った“血牙の狼群”を一夜で壊滅させ、地下洞窟に巣食う巨大魔鳥「ガンドラ」を仕留め、山間部で暴れ回っていた“暴風のワイバーン”をも撃墜してきた。
どれも本来なら五人以上のパーティーを組まなければ死者が出るような高難度依頼ばかり。
それでも、悠真とリィナはたった二人で、すべてを完遂してみせた。
その成果は確実にギルドに広まり、今では「一目置かれる存在」として名が上がりつつあった。
「やれやれ、すっかり有名人だな」
低い声が後ろから響いた。
振り向いた悠真の目に映ったのは――懐かしい顔だった。
「シグルド!」
リィナが目を丸くする。
シグルドの視線が、ほんのわずかにリィナの耳をかすめた。
だが、何も言わずに悠真へと向き直る。
(……獣人の少女と、得体の知れない槍使いか。珍しい組み合わせだな)
かつてこの街で“最強剣士”と呼ばれた男。
悠真が“天穿の槍”でその肩をかすめ、勝敗を決した相手――。
今の彼は、以前よりも穏やかな気配をまといながらも、眼光の奥には研ぎ澄まされた光が宿っていた。
「お前たち、ずいぶん名を上げているらしいな」
シグルドの口元がわずかにほころぶ。
「いや、まだまだ……」
悠真が言いかけたところで、シグルドは首を振った。
「謙遜するな。影の魔物を討った話は、俺の耳にも届いている。並の冒険者ならば心を呑まれ、命を落としていたはずだ。それを二人で突破した。……大したものだ」
周囲で、耳を澄ませていた冒険者たちがざわめく。
「あいつら、やっぱり本当だったんだな」
「あのシグルドに認められてるぞ……」
視線はますます二人に集中し、悠真は居心地悪そうに肩をすくめた。
リィナが袖を引っ張り、小声で囁く。
「悠真……みんな、あたしたちを英雄扱いしてるよ」
「……困ったな。俺、そんな柄じゃないのに」
そう言いながらも、誰かに認められ、必要とされることの心地よさが、確かにそこにはあった。
その変化を見抜いたように、シグルドはふっと笑う。
「安心しろ。俺も昔は“最強”なんて呼ばれて息苦しかった。だがな――力を得た者には、それをどう使うか選ぶ責任がある。お前はどうなんだ?」
静かな問い。
悠真は答えられなかった。
なぜ戦うのか、この“進化”の力を何のために使うのか――心の中で何度も自問してきた。
リィナが沈黙を破った。
「悠真は、まだ答えを探してる途中だよ。
でも、あたしは信じてる。どんな答えを見つけるにしても、悠真なら絶対に間違えないって」
不意にかけられた迷いのない言葉に、悠真は思わず彼女を見た。
リィナの耳がほんのり赤く染まり、彼女は慌ててそっぽを向いた。
「なるほど。……良い相棒をもったな、悠真」
シグルドが柔らかく笑う。
「ち、違うよ! ただの仲間だから!」
リィナが慌てて否定すると、周囲からくすくすと忍び笑いが漏れた。
そのとき、掲示板の前でざわめきが起きる。
「おい見ろ! 新しい討伐依頼だ!」
「辺境の森に“魔王軍の斥候”が現れたって――!」
場の空気が一変した。
魔王軍。その名は、この世界において純然たる「天災」と同義だった。本能で動く単なる魔物とは次元が違う。明確な悪意と知性を持ち、組織的に人間を蹂躙する恐怖の存在。
悠真は依頼書を手に取り、視線を走らせる。
討伐対象は、魔王軍の尖兵とされる“黒き戦鬼”ただ1人。だが、辺境の村を襲撃し、すでに防衛にあたった二十名以上の冒険者が全滅しているという。
「……行くのか?」
シグルドが問う。
悠真は短く息を吐き、頷いた。
「避けて通れないだろう。これが俺の力の使い道かどうかは分からない。だけど――誰かがやらなきゃいけないのなら、俺はやる」
リィナも隣で胸を張る。
「あたしも行くよ。悠真一人じゃ危なっかしいし」
その言葉に、シグルドは満足げに目を細めた。
「よし。ならば、俺も手を貸そう。今度は敵としてではなく、仲間としてな」
冒険者たちの間にどよめきが広がる。
かつて最強と呼ばれた剣士シグルドと、新進気鋭の二人組――。
その共闘は、すでに英雄譚の始まりのように映っていた。
悠真は槍を握りしめ、リィナと視線を交わす。
彼女の瞳は、未来への不安よりも、まだ見ぬ広い世界を望む輝きに満ちていた。
「……行こう、リィナ」
「うん!」
三人はギルドを後にし、ざわめく声を背に受けながら歩き出す。
その背中を、多くの冒険者たちが羨望と敬意を込めた目で見送っていた。
それは――英雄の兆しに他ならなかった。
⸻
翌朝、三人がたどり着いた辺境の村は、もはや“村”の面影すら残していなかった。
焼け焦げた家屋の残骸から、鼻を刺すような煙と焦げ肉の臭いが立ち上っている。
引き裂かれた柵の破片と、乾いた血が黒くこびりついた地面。粉々に砕けた武器が、まるで玩具のように散乱していた。
風が吹くたび、鉄錆のような生臭さと、焼けた木材の苦い臭いが混じり合い、喉の奥を焼く。
リィナが思わず口元を押さえ、耳をぴったりと倒した。
「……ひどすぎる……。これ、本当にたった一人で……?」
悠真は無言で槍を握り直した。まだ温かみを残す血の臭いが、鼻腔の奥にこびりつく。
シグルドが片膝をつき、地面をなぞる。
「これは……剣の跡だな。だが、深すぎる。人間の力じゃない」
その時——生ぬるく湿った風が吹き抜け、腐敗と鮮血の混じった重い臭いが三人を包んだ。
低く、獣のような唸りが森の奥から響く。
三人が弾かれたように顔を上げる。
森の奥。
木々の間から、陽光をねじ曲げ、飲み込むようなドロリとした黒い影がゆらりと浮かび上がった。
真紅の双眸だけがぎらつき、夜よりも濃い殺意でこちらを正確に射抜いていた。
「――来たか」
シグルドの声が、風の中に鋭く響く。
黒き戦鬼――。
全身を覆う漆黒の甲冑は犠牲者たちの乾ききらぬ血で赤黒く染まり、手にした大剣は人間の身長を優に超える質量を誇っていた。
異様に膨れ上がった筋肉と獣のように歪んだ輪郭が、陽光をねじ曲げるほどの圧倒的な威容を放っている。
一歩、踏み出す。
大地が軋み、重低音が腹の底に響く。甲冑の関節が不気味な金属音を立て、冷たい殺気とむせ返る血の臭いが波のように押し寄せてきた。
リィナの喉が小さく鳴る。
「……やばいよ。気配が重すぎる……これまでの魔物なんか比べものにならない……」
悠真は乾いた唇を噛み、槍を強く構え直した。背中に冷たい汗が伝った。
黒き戦鬼は言葉を持たぬはずの存在。
だがその唸り声は、まるで「お前たちを潰す」と告げているかのように聞こえた。
次の瞬間――前触れもなく、轟音が大地を叩いた。
視界がブレるほどの神速。戦鬼が踏み込みと同時に振り下ろした大剣が、村の中央にあった頑丈な石造りの井戸を、木っ端微塵に粉砕する。
爆発が起きたかのように石片が飛び散り、立ち込める土煙が視界を奪った。
「くっ――!」
悠真は咄嗟にリィナの腕を引き、身を翻す。
すれ違いざまに剣風が頬を裂き、熱い血がにじんだ。
シグルドが叫ぶ。
「油断するな! こいつの一撃は、どれも致命傷だ!」
土煙の向こうで、赤い双眸がぎらりと輝いた。
黒き戦鬼は再び、大剣を構える。
その姿はまるで、人間に絶望を刻み込むためだけに生まれた化け物のようだった。
三人は思わず息を呑んだ。
逃げ道など、最初から存在しない。
――これが、本物の魔族との死闘の始まりだった。
第13話、ありがとうございます。
ここからが本当の戦いです。
次回『空っぽの戦鬼を《進化》でぶっ壊した』
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