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第10話:影喰いの深淵

ギルドを出た悠真とリィナは、その日の午後、早速ダンジョンへと向かっていた。


街の北側にそびえる岩山の麓、ぽっかりと黒い口を開けた洞窟――それが『灰霧のはいむのどう』だ。


初心者から中堅の冒険者までが挑む定番の場所だが、入り組んだ構造と不意に現れる魔物によって、これまでに幾人もの命を奪ってきた危険な迷宮でもある。


「ここ数週間、簡単な討伐ばかりだったからな。ようやく本格的な迷宮攻略ってわけか」


悠真は槍の柄を握り直しながら、薄暗い入り口を見上げた。


「にゃはは、何言ってるの。まさか緊張してるの?」


リィナが不敵にニヤリと笑う。


腰に短剣、背には立派な弓。その身軽な格好に似合わず、彼女の瞳は鋭く冴え渡っていた。


この数週間、行動を共にしてきたことで、二人の連携には確かな自信が芽生えている。


「まさか。ただ……これまでの死闘を思えば、少しは冷静に足元が見えてるってだけだよ」


「ふふっ、頼もしいこと言うね。索敵も後衛もアタシに任せて、悠真は前だけ見ててよ!」


軽口を交わしながらも、一歩足を踏み入れた瞬間に二人の足取りは慎重なものへと変わった。


---


洞窟に足を踏み入れると、空気は途端にひんやりと冷え込んだ。


外の風は届かず、湿り気を帯びた静寂が辺りを支配していた。壁面には発光苔がほのかな青緑色の光を放ち、細い水流が足元を這うように流れている。


「外よりずっと視界が狭まる上に、足音が嫌に響くな……」


悠真は周囲を油断なく確認し、槍を構え直した。


「ふふん、アタシの耳を舐めちゃダメだよ。このくらい響いてくれた方が、敵の位置も掴みやすいんだから」


リィナは音もなく身を沈め、一本の矢を流れるような動作で弦に番えた。


「行くよ」


悠真の小さな声を合図に、二人は迷宮の奥へと歩を進めた。


---


――ガルルル……。


岩を擦るような足音と共に、四つ足の影が3体、暗闇から音もなく姿を現した。


赤く光る瞳に、剥き出しの牙。灰霧の洞に棲む群れの魔物――『洞窟狼ケイブウルフ』だ。


「来るっ!」


リィナの声と同時に、最前の1匹が獲物目掛けて跳びかかる。


「させるか!」


悠真は半身に構え、容赦なく槍を突き出した。


鋭い穂先が狼の喉を正確に貫き、勢いを殺す。そのまま槍を返し、横薙ぎに一閃。狼の体が壁に叩きつけられた。


2匹目の牙が迫る――が、その前に矢が走った。


リィナの放った矢が狼の目を射抜き、苦痛の咆哮が響く。


「ナイス、リィナ!」


「ふふん、もっと褒めてもいいけど?」


最後の1匹は怯えたように下がったが、悠真がすかさず距離を詰め、槍の柄で顎をはね上げた。


体勢を崩した狼の胸を一突き――沈黙。


「3体、一瞬だったな」


「息ぴったり。これなら楽勝だね」


リィナは弓を背に戻し、満足げな笑顔を見せる。


悠真も小さく息を吐いた。呼吸はほとんど乱れていない。


(戦える。今の俺は、確実に強くなっている……!)


確かな実感が胸に広がる。だが、ここで慢心するわけにはいかない。


今回、悠真は自分の中に一つの『課題』を課していた。それは、進化能力には頼らず、自分自身の肉体と槍術だけでどこまでやれるか、ということだ。


---


通路を進むほどに、魔物との遭遇頻度は増していった。


壁の隙間から突進してくる岩トカゲ、天井から群れで襲いかかる巨大な蝙蝠。


しかし、悠真は槍で次々にそれらを突き落とし、撃ち漏らしをリィナの矢が正確に穿っていく。その一連の動作は、無駄がなく洗練されていた。


悠真は、ランタンの光を浴びてしなやかに弓を引くリィナの姿に、ほんの一瞬だけ言葉を失った。


「ちょっと! なにボーッとしてるの! 矢が外れたらどうするの?」


気配を察したリィナが振り返り、頬を軽く膨らませて睨んできた。


「いや、ただ……あまりに手際がすごくて、綺麗だなと思って」


「……っ!? そ、そんなの当然だよ! 弓は私の十八番なんだからっ!」


リィナは一瞬で顔を林檎のように真っ赤に染め、さっと前を向き直した。


照れ隠しにパタパタと忙しなく揺れる矢筒の羽が、薄暗い通路の中でやけに鮮やかに映った。


---


戦いながら進むうちに、二人の呼吸はますます合っていく。


危険な場面もあったが、互いをカバーし合いながら着実に奥へと進んでいった。


「だいぶ慣れてきたな」


「ふふ、あの遺跡でボスを倒してるんだから、中級ダンジョンくらい楽勝でしょ!」


「まあ、あの時は半分運だったけどな」


「にゃはっ、謙遜してるところが逆に怪しいから」


視線を交わしながらも、二人の動きは軽快だった。


---


やがて通路が大きく広がり、天井の高い幻想的な空間に出た。


無数の石柱が立ち並び、天井一面を覆う発光苔の光が、地下の澄んだ水面に反射してきらきらと輝いている。まるで別世界のようだった。


「わぁ……綺麗……」


リィナが子供のように感嘆の息を漏らした。


悠真も思わず息を飲んだが、すぐに警戒を呼び戻した。


「……確かに幻想的だ。だけど、こういう開けた場所こそ強力な魔物や罠が潜んでる可能性が高い。気を引き締めよう」


「分かってるもん。でも……ちょっとくらい見とれたって罰は当たらないよ」


リィナは肩をすくめながらも、瞳を輝かせていた。


「悠真、あれが中層の目印の石柱だよ。ここまでは順調だね」


「ああ」


二人は息を整え、中層の境界線を越えた。


---


通路を抜けると、さらに広大で冷え切った空間が待ち構えていた。


壁の発光苔はまばらになり、天井の高みは完全な闇に支配されている。


「……空気が、重いね」


リィナの猫耳がピクリと不自然に伏せられた。


悠真もまた、湿った地面を踏みしめながら、肌を刺すような悪寒に低く呟いた。


「ああ。この階層に入ってから……何か、嫌な気配がつきまとってる」


ぴたりと、世界の動きが止まったかのような錯覚。


遠くでパツンと水滴の落ちる音だけが響き、自分たちの呼吸音が妙に大きく感じられる。重苦しい短い沈黙が流れた。


「……リィナ。今日は偵察だけにして、一度引き返そう。深く進むのは次回だ」


「え? まだ余力はあるよ?」


リィナは驚いたように顔を上げたが、悠真の真剣な眼差しを見て、すぐに小さく頷いた。


「……ううん、気が合うね。実はアタシも、これ以上進むのはマズい気がしてたんだ。油断は禁物だもんね」


「ああ。無理をして命を落としたら、元も子もないからな」


リィナは安心したように微笑み、悠真も小さく笑みを返した。


だが――その穏やかな一瞬が、最後だった。


みしり、と足元の石畳が、低い悲鳴のような不穏な音を立てる。


「――っ!」


二人が反応するよりも早く、足元の床が爆発したかのように一気に崩れ落ちた。


「きゃああっ!?」


世界が傾き、重力が一瞬で裏返る。


視界が激しく回転する中、悠真は反射的にリィナの細い腕を掴み寄せた。


二人の体は、底知れぬ闇の深淵へと一気に吸い込まれていった。


---


――ガァンッ!!!


硬い石の床に叩きつけられ、鈍い痛みが全身を走る。


立ち込める湿った空気が肌にべっとりとまとわりつく。周囲の発光苔は死にかけのように細く、頼りない。


「くっ……リィナ、無事か……っ!?」


「う、うん……悠真が庇ってくれたから……。でも、ここ……」


リィナが顔をしかめながら立ち上がり、周囲を警戒する。


その場の空気に、全身の肌が粟立った。漂う魔力の圧が、中層とは比べものにならないほど濃密で、禍々しい。


「まずいな……落とし穴トラップか。中層どころか、かなり深くまで落とされたぞ」


「上を見て……戻れるような高さじゃないよ」


リィナが冷や汗を流しながら、弓を引き絞る。


暗闇の奥から、無数の『何か』が蠢く気配が、皮膚を突き刺すように伝わってきた。


ぬるり、と壁の影が不自然に揺らぎ、細長い黒い影が床に伸びる。


次の瞬間、闇の中からその魔物が姿を現した。


人間の顔を歪ませたような不気味な顔に、飢えたようにぎらつく眼。


漆黒の闇そのものを身にまとった異形の獣――『影喰い(シャドウイーター)』。


「来たぞ……!」


悠真は鋭く踏み込み、渾身の力で槍を突き出した。


無駄のない一撃が、影喰いの胸の中心を正確に貫く。手応えは確かにあった。


「やった!」


しかし次の瞬間――


倒れたはずの影喰いの肉体が、ドロリとした闇の粒子へと霧散し、そのまま周囲の壁や床の影へと染み込んでいった。


ぞわり、と首筋に冷たい怪異が這い上がる。


「悠真、うしろ……! 増えてるっ!!」


リィナの悲鳴に振り返ると、左右の壁の影から、今倒したはずの影喰いが『2体』、何事もなかったかのように這い出してきていた。


「クソッ……1体倒すと2体に増殖する仕組みか!」


すかさずリィナが放った矢が、右側の1体の目を正確に穿つ。


だが、その死骸からも再びドス黒い影が溢れ出し、新たな2体が生み出された。


「きりがないよ……! なにこれっ!?」


広間の空気が闇で濁り、視界がじわりと霞む。


数はどんどん増え、やがて10体を超えた。


歪んだ笑い声が四方から木霊し、心臓を鷲掴みにするような圧迫感が迫る。


「リィナ、背中を預けろ!」


悠真は後退し、リィナと背中合わせになる。


槍が振るわれるたびに1体が貫かれるが、すぐに2体へと増殖する。


リィナの矢も次々と敵を穿つが、数は一向に減らない。むしろ壁の隙間を埋め尽くすように膨れ上がっていく。


(無限増殖……! これじゃあ、手練れのパーティーでも、最後は疲弊して――)


「このままじゃ押し潰される……!」


影喰いたちが一斉に蠢き、獲物を仕留めるべく跳びかかってくる。


悠真は槍を薙ぎ払い、リィナは弦を引き絞る。だが、どれだけ倒しても状況は悪化するばかりだった。


背後に退路はない。


二体を突き払いながら踏みとどまろうとした、次の瞬間だった。


「がはっ……っ!?」


不意に死角の影から飛び出した一撃が、悠真の脇腹を容赦なく捉えた。


強烈な衝撃と共に、悠真の体は冷たい石壁へと激しく叩きつけられる。


肺から空気が一気に押し出され、激痛が走った。


手から槍が滑り落ちた。


「悠真――ッ!!」


暗転しかける視界の向こうで、リィナの絶叫が木霊していた――。

第10話、ありがとうございます。


次回『鏡の中の猜疑』


少しでも面白ければ★で応援お願いします。

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